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続 哲学〜真理〜探求について

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年01月23日 19時16分25秒

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    根本概念の連鎖 < 途上、通時態>




    こんにちは
    自分自身がどのような人間であるか?どのような思考形態や傾向や 癖をもっているのか?という事を自覚するのには、自分以外の
    他者とのコミュニケートによってでしか、分からないのですよね?コミュニケートは 他者達との交流であり、他者が自分にとって
    自分という人間がどうして存在しているのか?という
    意味を知る(感じる)には必ず他者は必要な存在ですし、むしろ他者と知り合う為に、時間や空間があるような感じがするのですよね。
    なるたけ自分と違う他者が地球上に存在するという自覚がないと、いつも
    自己の内的な一部分、同部分、類似部分を探す方向は一方向にしか意識は向いていないと思うのです。自分と同じ類似エレメント探し、または共感探しの呼応ばかりですと、密着度が強いのと同じ、結束させて自己保存、守る、、という形態になりますから<それはそれで仕方のない事だと思うけど>、そこには
    他者を 除く、他者排除という 世界を
    意識していようが、無意識であろうが、同言語を話す、同民族だけでの世界観を造っていると思うのです。

    時々、哲学分野の世界の
    言説を聞いたり、読んだりして思いますが、唯物的な事に偏重する、あまりにも、偏り過ぎて普遍性に必要な柔軟性の思考に欠けたり、一対一の話し方も、
    多数に話す時も全く、同じ表現力であったり、、、、この存在の仕方は、普遍性含まないでしょう?権利や力や言葉の持つ 権力的な力を 利用して
    他者を自分の支配下に置こうとしたり、自分より 無学であろうという人ばかりを、狙って 知識や認識で、相手や対峙者に、良い印象を
    感じてもらおうとしたり、あるいは、自己を上位に位置づける事で存在性を 示したり、、、知っているという事が、他者より 素晴らしいと思う事で、他者に
    印象づけようとしたり、、、マ、色々 権力的な世界造りで、自分を保護したいのは分かりますが、、、
    どちらにしても、自分自身の
    心の状態が、自分自身の行いによって、満ち足りた気分、幸せを感じる、、、という至福感ね、、、征服感=至福感を勘違いしていると、
    老いるに連れて、ドンドン、起動修正しないとならなくなると思いますよ。
    何故なら、死のヱタップを超えるのは、そのような 唯物的な事に
    価値を置いている訳ではないでしょうと思うからです。
    人生においてだけではなく、死生観においてでも、ある 納得できる 心が癒される
    安らぎを感じるものでなければ、ならないと思うのですね。それはやはり、宇宙や 地球や 総体的、全体との一体感という
    コミュニケートであると思うのですよね。そこには、何も、自分が知っている人だけ、が、コミュニケートや感情交流に必要な訳ではないのですから、、、
    時間途上、人生途上において、気持ちの良い、驚きや遭遇なんですよね。そのような体験は、別に、何か?一つの宗教や信仰だけが、導く、、、という事ではないと思うし、もっと開けた未来観を伴わなければ、閉鎖的でしょう?そのような事を考えませんか?
    自分は、
    何に、執着し、何が不安で、何に、一生懸命しがみ付きながら、絶対と思っている 一部の真理を
    頑なに信じ込むという目的に、猪突猛進しなければならないのか?、、とか、、、
    その 道に、
    他者の存在や他者の介入する場所はないでしょう?
    そういう事を考えた事あります?
    理性的と論理的は、時々、同じように解釈されるようですが、ラテン語に理性(RAISON)レゾンの
    語源があるからでしょう、、、しかし、事物の理由を把握する能力、、それを論理と訳したところで、理性と論理の混同をしていいとは思えないのですよね。
    これは唯物論に傾いてしまう
    一番の欠点といってもいいと思う。
    RAISON レゾンは、
    理由とか原因という意味も含み、そして真理の推論過程では常に、理性ではなく理性的原理を頭に置くと思うのですね。つまり二つの語、
    理性的、、原理(PRINCIPE)プランシプです。
    明証的であるという点で、これが絶対だ、、という決め付けではないのですよね。
    論理は、後から推論する事であって、途上での思考では、ないと思うのですね。
    理性的原理についていえば、論証されることが不可能であるので、この地点で第一原理とも呼ぶ事が出来ます、、、
    普遍的な存在の仕方、、と
    言うのは、この理性的原理には、理性的活動にとっては、必要不可欠であり、ソレであり、他者達の存在を必要とする途上で明証的であるという事でしょう。
    明証的であるという点で、他の原理から区別されているのですから、、、、論理的な骨組みを形づくる明証的かつ必然的な真理であるとしても、
    その
    論理そのものが、絶対真理と述べてしまう事は、違うでしょう。
    理性的秩序はそれ自体として考察された事物に基づき、論理的秩序は命題の構築にとって思考の道具であるのですから、思考を
    表明する手段である、言語の形式と秩序とに基づいているのでしょう。
    ですから、理性的秩序を、論理的秩序と、混同してはいけないのですよね。
    A
    クルノー「 根本観念の連鎖について」から、引用

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