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続 哲学〜真理〜探求について

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年02月07日 07時04分23秒

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    神の住む家への訪問 2月2日




    ちょっと、うまく説明出来るか?分からないけど、真理というのは、
    多分動的で変化しながら時間を潜るのでしょうね。
    そうする事でしか存在できないのでしょうね。
    つまり、今現在、世界の人々から信頼されたり求められていても、
    死後にその人の事を何年も語る人々が後に続くか?という事が真理に近いと思う。
    これを普遍性がある、という事なのでしょう。それは死後に存在を求められるという事なのだと思う。
    生前に求められても、ソレは多分虚構のイメージに違いないと思う。
    つまり、真理は、死なないとわからない(笑)という事なのでしょうかね。
    今現在生存中の
    知識人でも宗教人でも,真理は普遍性に尽きるでしょう?と述べたくなるのはそういう事なのですよね。
    わたし達が生きてる時いくら
    崇めたり持ち上げても、本当の事は後世代の人達如何なんですよね。
    ヒットラー時代の
    ビデオカメラを見ても、公道を歩くその時代の権力者に、一般の人達や若い人達が、芸能人を追うように、黄色い声をあげて集まり見たがるのですよね。
    バタバタ対象を追ったり、求めたり、善悪の判断は、結局時代が判断するのでしょうね。その時、その時、一生懸命に
    何かを追っている人達はカメレオンみたいで、一種のストーカー現象なんでしょうね。

    ですから、その時代一生懸命 アピールしたり
    本を出版したり色々知識人や宗教人しますけど、本当の事は、あの世に逝ってから、、、
    だからあまり人の後ろを追わないだけ、、なるたけ、スタンスを長く遠目で観る事。
    それしかないと思う。
    無原罪の御宿りの祝日は
    1854年12月8日ピオ9世によって教義として公認され
    その4年後の1858年2月11日、聖母がベルナデッタにご出現。
    ベルナデッタは、ルルドに住む
    薪拾い娘だった。
    当時、ベルナデッタが 洞窟の
    中の婦人の事を話した時
    「アレが教会を建てるように言われた」と告げると、司祭は、アレではわからない、その女性の名前を聞いてくるように命じたという。「私は無原罪の宿りです」との返事を得て持ち帰ると司祭は驚き、初めて信じたという。
    何故なら
    「無原罪の御宿り」は、四年もたっている教義とはいえ、マリアについてのこの呼び名や教義については司祭や一部の知識人だけが知るところで、無学なベルナデッタには知る由もないことだったから、、
    パリの不思議のメダイュ教会でのマリア出現から14年後の事にあたる。
    ベルナデッタも、不思議のメダイュを身につけていました。という事は
    この
    無原罪の御宿り の 教義は、ヴァチカンで公認(1854年)されてからそんなに 経って居ないのですよね。エル、グレコが
    生存したのは、1400年代なので、もちろんもっと400年以上前に画家は絵心をくすぐられるんですね・。
    普遍性をもつ何世紀先、何十世紀先まで存在し続ける芸術家というのは、生存する時代に通常規範として浸透している価値観になど、あまり意味をおかないんでしょうね。
    先の事<未来>に生きる人々が抱く心情や感情を先掴みしながら芸術品を生むんでしょう。その時代、時代の時の断面に
    個々人の感情移入をしたり自己投影を過剰にする事は、ないのでしょうと思う。存在するというのは、存在し続けるという永続性、途上に 大事な意味<次元の高い層に
    存在しようとする、心や魂の存在意図>があると思うのですね。
    その時空をかいくぐる、歴史をかいくぐる 聖母マリアの出現は時代と共に価値観の変遷とともに、
    関係しているのですよね。
    何故?エルグレコの受胎告知があるのか?(倉敷?)
    何故?受胎告知だけではなく、無原罪の御宿りが、2012年に上陸するのか?
    長崎に、何故?グレコの聖母の戴冠が
    初めて公開されたのか?
    それだけではないけど、ここ数年、聖母マリアの関係事をわたしの知り合いは、驚く事を話してくるので「アレ?何故?21世紀?」と思うのですね。
    話は違いますが、去年の紅白は、美輪明宏が77歳で初出場で、ヨイトマケの歌を歌ったそうだ。YOUTUBEで見ましたが、「あぁぁ、、やはりねぇぇ」と思わされました。
    日本の何人もの霊脳者に
    観音マリアが後ろについている、、と云われた美輪氏だそうですが、エルグレコの無原罪の御宿りが日本に上陸している時期に、戦後の貧困時代、一生懸命子供育てる、夫婦愛の歌を熱唱する。
    子殺しや親殺しや
    魔が心に住み着いたとしか思えない事件が、普通の家庭人の生活に忍び込む
    NETや携帯電話で、ごく当然と、、思いながら不倫の約束をし、一瞬の快楽に浸る事が普通に思えるような風潮や社会の中で育てられる子供達。性愛と人間愛の違い?いや全て愛の意識?

    ちょっと、違うんじゃない?
    子供が大人に反旗をふりかざす事が起きても不思議ではない。
    家庭の軸が基盤にならないと、民族はドンドン宙に浮いてしまうでしょう?
    いつも、テレビでは派手派手衣装の美輪明宏氏ですが、
    2012年末の紅白歌合戦は黒一色の上下で、直立不動で
    熱唱された。
    すごいですねぇぇ、、
    気迫というもの感じます。エル、グレコの聖母マリア絵画公開の年2012年に美輪明宏氏が初出場したのは、偶然ではないですね。
    ルルドの聖母初出現は
    2月11日で、この日は、フランスのカレンダーも、ノートルダム
    ルルドの日と書かれているんですね。
    日本の建国記念日が、同じ日、2月11日なのも、偶然ではないですね。美輪明宏氏が、エルグレコの聖母戴冠の
    絵画が初公開された、長崎に生まれ、原爆を経験している事も、無関係ではないですね。すべて、時空を超えて、繋がってますね
    2,3日前に、2011年に初めて知り合ってから、頻繁にメイル交換をする
    Yさんが、「昨日エルグレコの無原罪の御宿りを見てきました。」とメイルを送って来た

    その時は、「ふ~ん」と読んで
    普通に簡単な返事をする。
    少し、経ってから、「なぜ?
    昨日に、エルグレコの無原罪の御宿りを見にいくのかしら?」と懐疑視点に気がついた。
    一ヶ月前に、暖かくなってから、行こうかな?と言っていた彼女なのだ。
    ハ!と思い、フランスのカレンダーを探しに行った。
    やっぱり、、そうだった。
    Y嬢が
    エルグレコの無原罪の御宿りを 見にいった 昨日というのは、2月2日。
    フランス語で、présentation du seigeur
    プレザンタスィヨン デュ センニュー
    聖書では、 マリアが生まれた イエスを はじめて
    テンプル<神域>に、連れてにいった日。
    つまり、神の家で、<神に呼ばれて>
    遇わされた、、という意味。
    これは、ロザリオの玄義の一連、月曜日と土曜日のどちらかに中る不思議な歓喜ミステリアス
    と呼ばれる出来事の日に中る。福音書ルカの2,22
    ロザリオの玄義は大変不思議な一連の出来事を唱え祈るという事で、
    受胎告知から最後が、聖母マリアの戴冠で終わる、一生の出来事がすべて、そのように
    シナリオが出来ていたように、曜日が重なるように生じているらしい。
    13日の金曜日は、金曜日という意味は不幸を呼ぶ意味になっているのは、キリストが、毎年、金曜日に他界したという事にも
    誘引されているらしい。火曜日と金曜日は、苦難の日なのですよね。
    日曜日に復活祭になっているのは、必ず、日曜日になるというこれらの途上の出来事が毎年綺麗に一週間の日に毎年同じ曜日に行われているという事らしいんですね。
    日曜日と水曜日は、グロリア至福、壮麗、輝かしい日に中る、復活祭、イエスの昇天、精霊降臨祭、聖母マリアの被昇天、聖母マリアの戴冠、、、などなど、、、
    この2月2日の、フランス語ではpresentation
    du seigneur
    <神の前での紹介>が、日本語訳<WIKI>は以下の通り
    聖燭祭(せいしょくさい、キャンドルマス、英語:
    Candlemas, ラテン語: Candelaria, ドイツ語: Lichtmess)または主の奉献の祝日(ラテン語: Praesentatio
    Domini nostri in templum, 英語: Presentation of Jesus at the
    Temple)は、西方教会(カトリック教会・聖公会・プロテスタント諸派)の祝日。イエス・キリストが聖母マリアとナザレのヨセフによって神殿に連れて来られた際の出来事を記憶して祝う。日本聖公会では被献日(ひけんび)と呼ぶ[1]。グレゴリオ暦で2月2日に祝われる。
    になっている。
    驚いた事があった。2011年、Yさんと初めて会った時、わたしはヒーラー教室の知り合いの先生にモニターとして呼ばれ初めて教室を訪ねてみた。20人くらいの生徒さんがいて、その後、皆で、懇親会になった、その時、すべて初対面の人達で、わたしの両隣りに座ったのが、自分でキャンドルをつくるお仕事をしている
    Rさんと Yさんとの間に、座ったのだった。
    何故?2月2日をキャンドル祭 と呼ばれていたのか?
    フランスのカレンダーしか見ていなかったから
    今まで気がつかなかった。

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