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続 哲学〜真理〜探求について

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2013年02月14日 09時17分10秒

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    サルトルとボーヴォワール





    サルトルと聞くと、わたしは今一
    心が傾かなった理由はなんだっけ?
    と考える。
    「実存主義者は、、、神が存在しないことは、非常に困ると考えている。何故なら、神とともに、理解可能な天空に価値を見出せる可能性はすべて消え去るからである。もはや<ア、プリオリ>な善はありえない。というのは、それを考える無限で完全な意識がないから、善が存在するとは、どこにも書かれていない」、、【、実存主義はヒューマニズム】
    サルトル
    そして、今度は、個人的主観性を超越する規範を承認することを、
    「きまじめ者の精神」と呼ぶ、、「存在と無】サルトル
    などという言説を
    放つからでしょうね。
    その点、サルトルの彼女でもあった ボーヴォワールは、其処まで辛辣的な公言はしなかった。

    自由な自己拘束にこそ、倫理はある」【、実存主義と常識 】ボーヴォアール

    ちなみに常識は、良いセンス<bon sens> と
    放つ。
    日本語で、「そんなの常識でしょう?」という咎めの使い方を、フランス語に当てはめると、
    「そんなの、良いセンス
    でしょう?」となる・
    何故なら、常識という意味使いが違うからなのですね、
    ちなみに、センスであり知識ではないです。
    つまり、常識は、センス<感性>が必要であるという事でしょう?
    しかも、良い感性
    です。このような 意味使い不一致がどうして生まれるのか?どちらが、間違いとか正しいという意味ではなく、他者を理解するという本当の意味は
    言語の意味使いと、何故?
    その意味使いなのか?という事を、奥深く他者の存在を理解する事だと思うのですね。

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