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from: 沙羅(Sarah)さん
2013年02月27日 00時38分30秒
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liquidateur リキダテゥー 水溶液、流動性、液体性 の人という意味
一度 前に書いた内容ですが、
東北震災の後、世界中で ボランティア運動が
起こりました。
わたしも、ある日本女性から、のり巻き造るの参加?しませんか?
というアイデアに
便乗した。
彼女の家を開放し、のり巻きを作れる
日本女性が、好きな時間に来て作った。
小さい子供連れでも来れるよう、彼女は、全ての個々人の環境の違いに応対出来るよう、彼女のご主人が、
小さい子供達を連れてきたお母さん達を、海苔巻き造りに専念出来るよう、近所の 公園に
連れて行ってくれる、、、
こうして、随時15人くらい日本女性達が、のり巻きを造り、材料費だけ差し引いて、売り上げ金を、日本に送金するというアイデアだったのだ。
20万円から30万円くらい送金出来た事、ボランティア行為は、地元の新聞に
紹介されていた。
彼女の家は、わたしの家から歩いていける距離だった。集まった女性達の 半分以上
初対面の方だったのです。
何時間も何時間も、何千本、海苔巻 巻いたか?分からないけど、、、
巻いてる間、口だけは、お喋りに
夢中であるのは、見ていておかしい。
その時、ある女性が、
「
義援金は、どうやって、日本に送るのですか?」
と言う質問をしたのだ。
確かに、、、そういう事は考えないで、海苔巻を巻いている。
「
日本の被災地の様子を映した後 赤十字に 送るように、仕切りに ニュースで
言ってるわよ」と、誰か応えている。
わたしも、数週間前に、小切手を赤十字に 送金してあったので、義援金は小切手であろうと現金であろうと、赤十字が
取り仕切るのでしょう、、と思って、黙って聞いていた。
すると、
ある人が、
「
えぇぇ~?赤十字は国際的な機構でしょう?、、赤十字に送ったら、例えば、ハイチとかに送金去れるんじゃない?」
と、言う。
それを聞いて
そこに集まってた、日本女性、10人くらいが
「それじゃー困る~、、、」と、不満をもらしていた。
わたしは、黙ってきいていたけど、、、
これは、言い換えると、
ボランティアに
、ある 見返りを期待するという 意識であり、 見返りに 目的が執着することで、自分に 行動させてる、、と
分析するのですよね。
それを、簡単に表現してしまうと、
それじゃ、ハイチの人間は、被災にあっても、平気でいられて、自分の民族だけは、被災に遇うと平気でいられない、、
つまり、自由意志(ボランティア)の
頻倒 ですよね?
人間に ある行動を 起させる 元の元は、
義務感ではなく、自由だから、ですよね。
ボランティアという単語の意味は、自由 という意味が含まれているのですよね。
その
自由は、他者を含む 自己であり、つまり 自他共存の世界観を造る途上の
上、、つまり、今を生きる、、という意識なんですよね?
例えば、時間を後ろ向きに観る という意識が、
いけないのではなく、
その意識が自分を支配していると、どんどん、閉塞的な世界観を おのずと造るので、他者との
健康的な世界観が造れなくなるのですよね。
それを何度も
述べているのですが、、どうも、忍従意識を美化し過ぎの民族にあっては、自由意志という理解が、悪の意識と解釈され勝ちなので、
コミュニケートは難しい・
「我慢するのは、当たり前」、、とか、「人はこれくらい
我慢しているのだから、貴方も我慢しなさい」、、と、押し付け、型はめ、倫理、道徳観を、 他者や 家族員の間で、造っていると、
愛、、という
人間として、生まれ、一番 次元の高い、意識は、理解出来にくいでしょう?
何故なら、 自由だから、愛すのであり、
義務感で、仕方なく
愛すという意識は、在り得ないでしょう?
何故なら、その人ならではの存在感と自分との
独立した関係を、造らされる世界観でなければ、
その人の 存在、代わりは 居ないという宇宙で 唯一無二の
大事な存在として、その個人に愛情を向けるのは、
後ろ向きの意識、義務感だけの意識では、育ちにくいでしょう?
自分が、社会や家族から、存在感のない人間として扱われたり、必要ない存在として
接してこられたり、、、
表現、言い換えると、自分が、社会や家族から、存在感や 必要な人間として認めてもらえるのは、生活費や、唯物的な
物的な物を与えられる事が出来る人間が、良いと
考える。
回りがちやほやするのは、そのような唯物的なものを、簡単に手中出来る、財力や地位がある事が、存在感を
示すと思い込んでいる。
つまり、人間的な 内面的な 価値に
視差が行き難いのでしょう?
今世紀、経済不況におちいり人びとは、経済的にますます、節約を強いられ、子孫をもたない独身者が増える。同時に世界的に不吉な事故や
自然天災に見舞われる事、ますます、目の前の 放射能汚染という危険には過剰に呼応しながら、20年後、30年後の、 老人医療にかかる お金は、
誰が?払うのかしら?
税金を納める若い現役労働者の人数と、老人医療を必要とする層の人数とのアンバランスを、どのように
帳尻収めるのでしょうかね?
国債発行?
このような、自分が20年、30年後、あるいは40年後、生きているであろう
未来の事は、
観ないように、考えないように、する?????
そう言えば、2011年3月11日の震災の
ニュースが毎日世界中に流れていた途上の経験は、今でも忘れませんが、翌日、つまり、3月12日に、フランスのニュースで、高千穂連山 新燃岳の 爆発が
すでに、一ヶ月前くらいにあった事を述べていた。
しかし、それを日本人の知り合いに述べると、「
聞いていない!」とメイルで返ってきた。
多分、被災地の 様子の
酷さに、信じられない、、というショックが、心に占有してしまって、
「なんで、 九州の話しを、今東北がこんなに大変な状況になっているのに、、火山の
話し、今するの?」
という 心の状態なんでしょうね?
それは、良いのですが、火山活動は、
未来の地震予知と関係ありますし、地層の動きから、東北だけでなく、
これから未来、揺れる可能性があるという意味での、発信なんでしょうと思う。
地震の震源地に近い、原発が爆発せず、福島原発が、次々爆発してしまった、途上においても、、
近い未来に生じる、放射能の汚染被害を世界中が、懸念しだした、チェルノビル事故の20年後の
今の 現状と比べる
世界のメディアの動きが、あちこちから、入ってきた。
多分、地震から、5,6日経った頃だと思う。
ヘリコプターで、海水を
救い上げて爆発した原子炉に、海水をかけて、温度を下げる、、という 様子が毎日 テレビに映し出された。
正直、、、、あの様子を、客観的に
観れる人達は、どのような事を 心に思うのか?
わたしには、よく共感出来る。
ヘリコプターで、
海水を上空からかけて、温度を下げる、、という一見、原始的な行為に見える 行為を 方や、命がけで行うという、情動に訴える、イメージの
ギャップに、人びとは、無言にならざるを得ない。
この情動運動は、その行為が、命がけであれば、あるほど、犠牲 という字が
心に浮かぶのだと思う。
途上に置いては、 犠牲を払う、、という行為は、美しい行為、であると、他者に 「黙れ!」 という雰囲気が伝わるほどの
意味の重さがある事を よく観ないとならないと思う。
つまり、犠牲を払うような 行為を国民に させてはならない、、という 次元の高さに
国や政府は、存在しなければ、ならなかったはずなのだ。
ならなかったはずというのは、過去形ですけどね、、、
何しろ、国も
政府も、その時よければ、全て善し、、という時間軸の短い
判断でいると、
ドンドン、存在しにくくなり、その時、その時、問題が生じた時、時間の後ろを追う、尻拭い処理を
永遠にしていかなくてはならなくなり、ドンドン、後ろに ズルズル、下がってしまうのですよね?
分かりますか? 空の存在の仕方
を問いているのです。
もう一度、ラテン語の使い方を述べますが、
例えば、福島の原発の 原子炉の近くに 行き、高い放射能を浴びる
危険をおかす、いくら、宇宙人のような格好をしようと、とりあえず、命の 危険を周知の上で、福島原発の
処理をする。
このような、人達や家族の勇気は、確かに 私達の心に動揺を呼び起こすのですよね。
でもね?
一番大事なのは、
そのような、人達を 社会やその土壌に根ざす民族が、最善をはかり、存在させてはいけない、、それまでの途上の
生き方、示唆、あるように思えます。
2度と、犠牲者をだしてはいけない、、、、という
意味で、私達は何世紀も何世紀も、同時体験しているのではないでしょうか?
フランスの新聞に、福島原発の原子炉付近に入る
人達のニュースがでた時
タイトルは、 LIQUIDATEUR
リキダテゥー
です。
リキッドliquidは、水液とか液体という予想はつくでしょう?
eurが語尾につくと、何々する人、、という意味なんです。
つまり
このリキダテゥー
liquidateur は、 水液、液体の人
という音素です。水の人という音素で 放つと、形而下の世界で通じる
意味は、「
決算者、精算人 」
という意味なんです。<辞書を引くと、、>
分かります?
意味、、、、、人間の命は、お金の決算をする為にあるんじゃないんですよ。
命は、水に流して、事の終結に急ぐ為に「はい
終わり」にしては いけないんです。
そのような 行為を
人間に強いてはいけないんです。
それが、美しい、犠牲による行為として、ウルウル感動するのは、特攻隊の人達の
命の死を無駄にしているのと同じです。
広島、も、長崎、も、福島も、今同時に
生じているのでしょう?連呼しながら気づかせるように、死者達の永遠の訴えに 思えます。そうすると、東北震災の、5ヶ月前に初めて、広島の 原爆資料館や
平和公園に行かされた、、というわたしの、行動も、意味がわかるんです。
どの次元に 存在しようとしているのか?というのは、 火<精神>の
存在が必要に思えます。
いつまでも、他者の命の犠牲に、ホロホロ、国民が泣いて、その後、すぐ忘れてしまう、、と言う意識でいては困るのですね。
犠牲者あるいは、殉教者といった命や魂の
浄化や成仏は、それなりに忘れないよう、個々人が、その人の死を無駄にしないよう、他者に起こった事物にしてはいけない、、という自他共存世界観を持つ事でしかないと思います。-
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