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from: 沙羅(Sarah)さん
2013年02月27日 05時09分28秒
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薩摩落ちについて
戸隠の鏡池。ちなみに主人と知り合った場所。
この池を見ると、大宰府の戒壇院にある、ル遮那仏像を思い出す。
北海道に住む知り合いが、突然、「鹿児島行く」と言う
「 何で?わざわざ?」と私が聞くと
「鹿児島に呼ばれている」みたいな事を言う。
「 ふうぅぅぅん、」、と聞いて、鹿児島人は、苗字が 素敵!
幸福 さんという名前の 鹿児島県人と去年知り合ったわたしは、なんとなく、雰囲気よさそう、、、、、
などなど話していた。
何処に行くのか?と聞くと、指宿だという。
指宿には幕末に活躍した豪商・浜崎太平次(はまさきたへいじ)という人物がいたそうだ。浜崎太平次は『山木』の屋号で代々廻船商を営んできた浜崎家の8代目当主で、薩摩藩家老・調所広郷(ずしょひろさと)の後ろ立てを得て、薩摩藩の財政政策に関わり、唐物商いと黒砂糖商いで薩摩藩に多大の利益をもたらして明治維新の原動力ともなった九州一の大商人だったという。
という話しだそうだ。
それはそうと、日本の豪商番付で東は
最高位・大関三井、
西は
大関が湊屋・浜崎太平次であったというほどの豪商だったそうだ。
母方の渋谷氏の御先祖の 事もあり、薩摩落ちの記録を読んで見る。
日本豪商の浜崎家の先祖を辿ると、、、、真田幸村に辿り着くらしい
面白い!
なぜ薩摩で真田幸村なのか?
薩摩に残る豊臣秀頼の薩摩落ちに関係があるらしい。
豊臣秀吉の死後、豊臣家を継いだ秀頼は大坂夏の陣で落城した燃え盛る大坂城の中で自害したことになっている。<MSNのコミュで、千姫救出の書き込みを随分記事にしました>
しかし薩摩落ち伝説によれば秀頼は真田幸村の手引きで秘密の抜け穴から大坂城外に脱出し、島津義弘の手引きで薩摩国まで落ち延びて島津家により匿われたという。
面白い!
地元では薩摩落ち伝説に因む地名があり、
真田幸村の子孫と称する方々もいらっしゃるそうだ。歴史はこれだから、面白くて堪らない。
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