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from: 沙羅(Sarah)さん
2013年03月22日 23時46分18秒
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アッシジ、フランチェスカ
ヴァチカンの コンクラーベのニュースを流している間、あの見慣れた赤いお姿の枢機卿、フランス語では
.(カーディナル)の姿を映し出しているのを何回もニュースで流していた。
世界の 枢機卿が 招集されるらしい、、、
各国の
枢機卿が集まって、3分の2の合意に達するまで ヴァチカンに滞在するという。
コンクラーベでは投票結果は煙 あの屋根の
煙突からでる煙で、結果が分かるという。しかし~、、何というか~、、あの煙突は~、、、
昔から、もう何百年も、煙突から
煙をだしているのかしら?
と思わすような、どこの 家にも昔は着いていたような、古めかしい煙突である。
おかしいのあの煙突の 直径から
噴出す 煙の量って、、見慣れている西洋人はわかるでしょう?
あの煙突の 直径からいって、あんなに 煙もモーもー 炊いたら、
普通、、、「家事?」と思わすような、すごい、煙の量なので、これもおかしかった。
そういう事、思いません?
煙突の直径って、決まっているでしょう。使い道によってね、、
暖炉に
つける煙突の直径とかね?
そのような 、身の回りの日常生活における
物事の観察があると思うのです。
それで、モーもー炊いてる煙突の下の人の様子が観えておかしくて笑ってしまった。
そうそう
フト、日本人の枢機卿もヴァチカン入りされているのかなあ?
確か、その前のコンクラーベの時は
いらしたと思うけど、、、
WIKIで読んだら、日本人の枢機卿は
5人で、皆さん帰天されているらしい・・・・と書かれてあった。
今回のコンクラーベには、日本人の 枢機卿は
参加されていなかったのね・・・
と思ったら・・・・
友人の一人から3ヶ月前に、天気がいいので、九品仏と関口の聖マリア教会メイルという面白い組み合わせで訪ねてきましたと写真を
送ってきた事をを思い出した。
もう一度、関口の
聖マリア教会を調べてみた。
あぁぁ、、、やはり、、、、と思わされた。
今回選出された フランチェスコ一世、新しい教皇
フランチェスコは、アッシジの フランチェスコ、
フランス語は、フランソワ一世、フランソワーズは、女性形、
フランチェスカ、フランツ、フランセス、、
アッシジ、フランチェスコ聖人の名前の由来が普遍化しているのでしょうね。
日本が、真珠湾に
攻撃をかけた日は、カトリック教カレンダーの日は、聖母マリアの 無原罪の御宿りの日、12月8日に 中っているのを知ったのは、数ヶ月前でしたが、聖母マリアに関した
日ってそれほどないのですよね。
聖母マリアの被昇天、8月15日
この日は、日本の終戦記念日に中る
聖母マリアのお誕生日は、9月8日
聖母、マリアの無原罪の御宿りは、12月8日
今、空で、思い出しても、この3日しか思い出せないけど、他にあったかなぁぁ?
日本軍は、1941年
「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号の12月8日
は、どうして決められたのか?分からないけど・・・・何故か?そのように、歴史を無意識に潜り抜けてしまっている。
後から観ると、実に不思議な流れになっているけど、途上は、感じられないらしい。
サンフランシスコで、
平和の調印が
されたのは、終戦後、1951年、9月8日で、聖母マリアの誕生日に中る
サンフランシスコという名前ももちろん、聖人フランシスコの名前からきている、
今回の新教皇の選任、フランソワ一世の音素を聞いて思い出した。ハテ?順不同とはいえ、不思議な世界である。
日本という国が、平和の
印、サンフランシスコでの平和の調印をした
その時の役を担ったのは、
そうだった、吉田茂首相という事も、まぁぁ、歴史で習っているから知っている。
ソレより、歴代の首相でカトリック教徒であるのは、吉田茂首相以外、他に
いるのかしら?
何故?サンフランシスコで、平和の調印をする
役を担う、人生になっていたのかなぁぁ?
吉田茂首相の葬儀は、関口の聖マリア教会だそうだ。わたしも、メイルを送ってきた知り合いも 家族に
吉田という苗字を持つ人や親戚がいる。
苗字名前も同じ人なのだ。2、3ヶ月前に話した話題だったけど、、、
もちろん、新しい教皇聖フランチェスコ一世が選任される前の話題である。
実は、わたしはコンクラーベの
時、メディアで言われる、イタリアの教皇が選ばれるという
予想には、中らないと最初から思っていた。
いや、中らないというのは変だ、イタリア人ピエモンテ出身の
御先祖だから、元イタリア人の血は流れているのでしょう。
そういった意味で、中っていたのかも知れない。ただ、イタリア人<現在>が選出されるという事になんとなく、イヤ、違うでしょう?・・・・意味が見えない、、、時間を潜る、未来へ向かう意味が観えない・・・
そのような
気持ちが生じていたのだ。しかし、本当は、違う、、
アッシジ、フランチェスカ一世の名前として教皇が選ばれる、、という視点に気がつくべきだった。
何故なら、
わたしが、去年日本に
滞在し、母の 宝石箱に、ミラノに二人で観光し、ダヴィンチの 最後の晩餐を見にいった。15年くらい前の旅行で、母が買った、木製の
十字架の飾りがあった。「あぁぁ、、コレ、買ったねぇぇ?サンタ、マリア、デレ、グラッツェ教会で、、」と想いだす。
母は、「身につけないから
ほしかったら、持って行けば?」というので、
わたしの、身についている。十字架は身につけないのだが、木製でもあり、中のイエスの
絵が素敵なのだ。時々、どくどくしい、磔の様子の十字架もあるけど、センスからして、とても、人が見て、ドキっとするような
ものを、身につけるのは、わたし自身、イヤなので、装飾品は、やはり
センスを問われると思う。人の視線がいくとしたら、修道女ならわかりますが、一般の人が私服の上につけるものはアクセサリーとして身につけ・・・それでもって、なんらかの思いがあれば、よいと思う。他者との共存する社会において、他者の眼からみると自分がどのように写って観えているか?という自己内での無言のコミュニケートは必要だと思うのですよね。
話しは、それたけど、その十字架は、
アッシジ、フランチェスコが、ダミアン教会で祈ってた時に、その十字架のイエスから話しかけらたとされる、、、その十字架の
ペンダントだっのだ。
ミラノで購入したから、てっきり、ミラノの教会にある十字架だと思っていた。-
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