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from: 沙羅(Sarah)さん
2013年06月15日 15時01分01秒
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がんばろう!という言葉
パリのセブラン教会にある絵、
時々、色々なサイトを読んでいると、「あぁぁ、、やはりねぇぇ・・・おかしいよね?現状の道徳意識?」と 自分が社会から感じ取る
道徳とかモラルに関する意識、つまり大多数の人間が無意識に流されて価値を見出すであろう・・・・そういう大衆意識の深層に根付く・・・何らかの善とされてる意識とのズレ・・・・・これを感じるのは、私だけではない・・・・という文章を見ると、膝を打つ・・・「あぁぁぁ、やはりねぇぇ」と思わされる。
わたしも、がんばろう日本・・・とは言いたくない自分がいるし、それを言うと、自分が、頑張らないとならないとならない、想念世界に存在しないとならなくなるから、、、、
だから、ガンバロウ、、、、とは述べたくない。
でも、そのような事を述べて必ず呼応される人の反応が、「それでは、日本がこのままで良いと思っているの?」という対峙世界の理屈に結びつけるという反応。
で、これが、「ああ言えば、こう言う」状態の呼応運動。
つまり、その言葉の意味する事までは、考察をせず、その言葉の表面上の意味を、対峙させるのみの、世界で、、貴方とわたしの
呼応世界にどっぷり浸かってしまう・・・・という事らしい。
戦争の被害、又は自然災害といった被害を受けた立場に立たされた時、、、、いったい、人間は何を生きる為に思わされるのだろうか?
、「復興しなくてはいけない、早く、建ちあがらなくてはいけない、、、早く前の生活に戻さなくてはいけない、早く、早く、早く・・・・」
まるで、ヒロシマ,ナガサキといった経験をした終戦後の日本人気質、というか、真面目な日本人、優秀な日本人と世界を驚かせたあの当事の民族意識が、又ジワジワとガンバルという意識に火がともされたのだろうか?、何かに向かって驀進している塊のようなモノを感じる。
世界は、YOUTUBEで、仙台の復興の早さを駒切イメージを通し、被災時と
2年後のイメージを目の前で展開させられて、「どうです?すごい復興速度でしょ?」と言う感じで、皆が、驚きや感嘆の声をあげてしまう・・・という存在の仕方になっている・
わたしが、なんだわ違和感を感じるのは、
頑張る事がいけない・・・と言っているのではなく、そうではなく、どのように頑張るかが?問題であり、
頑張るという行為のみにしか、価値をみない・・・という存在方は、危ない・・・と思うだけなのですね。
なんだか?違うと思う・・・・そうではない?でしょ???・・・と思う気持ちが、わたしを、ガンバロウニッポン・・・と安易に口に出せない自分の存在が明らかに存在しているのだから、しょうがない。
それは、愛という意識を問いても、同じヅレを感じるのに似ている・
まるで、愛を求めるという意識と、愛するという意識は、全く違うという違いに気がついていないで存在しているらしいという事。
何故なら、愛を求める・・・という意識は、足りないから求めるのであり、足りていたら求めたり、探しにいったり、買ったりしないのでしょう。
わたしは寂しい・・・という気持ちを表現する時、
アルファベット圏語は、
~が足りなくて<居なくて、ここに存在しなくて>わたしは寂しい・・・・という言語の仕組になっているという意味を考える。
つまり、寂しい・・・という意識の単語は、
わたしに 足りない、、不足している、、、という単語を使うという事。
寂しいという主体<わたしは
さみしい>という文態はなく、
それが<愛が、貴女が>わたしに不足している、足りない・・・・という言語の構造である・・・という意味を考えると、言語のしくみ・・・つまり、
何が?わたしを寂しく感じさせているのか?・・という風に、深く考察仕向けているのだと思う。
愛するという意識は、そのモノを、大事にしたい・・・という意識であり、自分<個>の存在とモノの関係ではなく、<見返り求める>・・・ただ、その存在があるという事だけで、心が豊かな気持ちになるという事だと思う。
ガンバル事で復興という結果求める行為の途上に存在させるというというガンバリリズムではなく・・・・、
もっと、自然の天災を被るといった時間の断面図の結果に自分の魂をFIX<固定>していいのかどうか?
そのような存在の仕方で、大多数の人間が、義援金の援助を求める事、ボランティアに徹する事・・・ある人は、東北を地を離れてしまい、全く未開地に住む人・・・・色々です・・・・
、、、でも、何か?違う・・・という気持ちがわくのは、しょうがないのですよね。
一体、フクシマの経験は、未来へ向かい活かせているのか?という地点で懐疑してしまうのでしょう・
将来への2度と同じ過ちを犯してはならない・・・死者達の死を無駄にしてはいけない・・・というヒロシマ、ナガサキの死者達の死の意味を
ちゃんと考えて、終戦後の復興をしてこなかったのではないか?
もちろん、原発の問題は日本だけの問題ではない事は、今回のチェルノビル、フクシマの件で、世界がやっと動き出したと思う。つまり原発は、危険だ・・・という人類への危機感を心の底から自覚できるようになる・・・・という感じだと思う。
フクシマの事故を介しヨーロッパのほとんどの国が左派陣営の力を増してきた。いやフランスに関して、久しぶりの左派陣営復活が、そのまま存在力威力を増して、
今年、とうとう同性同士の婚姻を法案化するという選挙時の公約を守る事にまるでフランスは政治家も国民も真正面から各個人のイデオロギー、各党のイデオロギーをかけ死闘するという、空気の中を駆け巡っていた。
同性同士も男女婚姻と同じように国は平等に扱うべし・・・・
日本に住んでいると たぶん自覚出来ないと思うけど、平等という意識は、男女の賃金格差を問題にするというレベルではなく、男女の性差をなくす・・・という、人間が平等に扱われるべき、平等に接するべき、平等に人間一人の尊厳を守るべき・・・というむしろ次元の高い域での格闘になってしまうのであろうと思う。それは、男女の差異による婚姻を 正しいとする現行の法はおそらく未来観がないのだと思う。つまり閉塞性を呼ぶのでしょう。
今までは、宗教の
アダムとイブの男女の違いの概念が規範になって、歴史をくぐり共同体としてコミューンから国の制度を強いてきたであろうと考えるのですね。
この時の世界の反応も興味深い。物見見物的に、300人近い世界のジョーなリストがモンプリエに
男性同士の初の結婚が市役所で行われる場に、集まって報道したのですよね。
この同性同士の婚姻の法案化に反対のマニフェスタシヨンは、日頃は教会などいかない、無信仰者達の逆鱗に触れ、右派系にあるナショナリズムの運動と一緒になって、法案化反対のデモ乱闘や、ナショナリズム、ラシスト、ファッショ、過激な隠れ極右に所属している若年層までが感化されてしまった。19歳の
左派コミュニストのミリタンをいきなり路上で数人集まって殺してしまう・・・という事まで生じてしまった。若干、20歳代の若者たちの事件だった。このあと、知識人や文化人は一斉に、このような事件が生じる原因は、左派陣営が進めた同性同士の婚姻法案化を強引に進めてしまったツケを社会が負わされているといいデイベートがあちこちで話されている。
男と男が愛し合う?
女と女が愛し合う?
そんな事が、生じる訳ないであろう?
いったい、どうして、男と男や女と女が愛し合うんだ?
それで、ある日自分の息子が、「パパ?僕、ダヴィット君と知り合って彼をとても愛している・・・一緒に結婚して、しあわせな家庭を築きたいと思うから、結婚する事にしたよ」
というような事が自分達の家庭の中に生じる事として、とても、受け入れられない・・・・認められない、、、、他人事ではない・・・・という事なんでしょう。
同性同士の婚姻、法案化反対運動は、1984年以来の大きな、マニフェスタシヨンだった。何万人、何十万人のフランス人達がパリで行進し、各都市にも拡がった。
国が法案化するという事は、フランス人自身の自己の問題であるという事なんでしょう。何故なら、法が認めるから力<存在>をなすのであり、法が認めなかったら、力<存在>出来ないのでしょう。自分の周りに
同性愛者はいないし、少数の問題だから、深刻に考えなくても良い・・・という立場にはなれない、自分自身=国
という同質<同根>の存在として時間途上にある・・・という自覚がそのような行為に出るのだと思う。
正直、、、、わたしは、空を仰ぐ・・・という状態になっている。何も述べる言葉を持たない・・放てない
創造神は何の意図があり、このような現実をしょうじさせないとならないのか?
・・・・・・ただ祈るとか。。ただ神域に通うとか、
お経や祈りの言葉を毎日あげるだけではもう追いつかない・・・状態であるような気がしている。それさえも、完全に出来上がっている宗教人は、「」これが地球の姿です・・・」と、言って平然としている宗教者もいるけど、こういう人達のは自分のコミュニケートの無さを少し自覚した方がいいのではないか?と思ったりする。何故なら、この世に肉体をもつのに、同化しようなんて意識はなく、異化する事で精一杯存在しようとしているというのが観えるから。。普遍性はないのである。
それでも、そのような流れの底辺には、なんらかの意図にそって、時間をかいくぐるという手ごたえがあるのだけど、それが皆目わからなくなってきている。
正直、いったい・・・日本語で、何故?フランスという国を
仏という漢字をあてはめて
仏国という漢字がフランスになってしまっているのか?当時の仏教徒は、この漢字の意味を見て、何も異議を唱えなかったのか?よく分らないけど・・・・・
日本とフランスの国の違いを外から眺め、客観的に分析していると、何故か?なるほど~ねぇぇ、、日本が、仏という漢字をつけてしまう意味が、分からないのでもないのですよね。
外見上全く何の関係も見えない・・・・いや、たとえば、原子力発電所の数や
フランスがかなりの電力を原発で補い、外国に電力を売っているという状況を考えると、経済的には原発に依存する国・・・としては、日本もフランスも同じように見える。そういった、概念上や頑張りイデオロギーの対極にいると思われる二つの国は、何か?底辺で繫がっているように観じてしまう。
それが?なにか、、、分らない。ただ、あの、奈良の法隆寺の
虚空蔵菩薩と呼ばれていた、百済観音と、 十字架の苗字を持つ、ドラクロアの
自由の女神の絵画が、両国の文化交流で、お互いの国をはじめて訪問したのが、1998年~1999年。
かたや、インドから来たであろう、百済観音と、かたや、自由の女神マリアンヌ・・・・・
一見、仏像と絵画・・・極端な違いに見えるけど、未来への思いはマリアンヌも虚空蔵菩薩も一つであろうと思う。その途上にわたし達人間が生死を繰り返しているのであろうと思う。
話を元へ、
この日本語の無意識に口ぐせになっていると思える頑張ろうという意識
民族のDNAに染み付いてしまったものなのか?とも思う。とにかく、どの方向に向かって存在しようとしているのか?100年後、200年後あるいは、1000年後の
先を観ながら、努力する、生きるという事ではなく、とにかく、目の前の瓦礫をかたずけ、元の家を建て直さなければいけない・・・・とにかく肉体を、頑張る、頑張る、頑張る意識に
帰属させる事で、生かされる、、、いや、むしろ、頑張る事で、日ごろ感じる生きる事の辛さ<辛苦>から一時でも忘れる事が出来る。
考えないで存在していける・・・肉体を酷使する事で、深層部分の
無意識に苦にリンクする事はなくなる。なんというか、観ていて痛ましい魂の存在の姿なんですよね。これでは、この世に生まれて来た理由は?幸せになる為・・・という、個々人の究極の存在理由は、全く価値などもてなくなり、生まれたばかりの赤ちゃんに、貴方は死へ
刻々近づいているというような期限付きの生命の存在しか出来なくなると思う。
この期限付きの考えが、閉塞性を生むのではないか?と思うのだ。
期限というのは、結局
死 が終わり・・・・という意味である。
この考え方を
展開すると、やはり死へ逃れる事で、辛苦から開放されると思い込む事に偏るのではないか?つまり、年齢を重ねれば、重ねるほど、なんだか、人間として生きる価値を見なくなり勝ちになるのではないか?それは、ただ、若い方が良い。。。。若い方が、人々に好かれる、であったり、若い身体の方が老いた身体より、良いに決まっているでしょう?的な、単純な価値を
優位に位置づけているのではないか?と思う。
これは、明らかに、おかしい。20世紀を生きる高等教育を受けた人間の愚考故なのか?
人間の存在の意味、時間や空間の存在の意味を、考える事なし目の前の情報源にだけに自分を依存させ呼応させて生きていると、このような考え方でしか、モノや人を観ル事が出来なくなるのではないか?と思う。
話があっちこっち飛んでしまったけど、、、送信します。
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中道とは「いい加減」精神
わたしの嫌いな言葉に、"がんばる"があります。
実はこの言葉が嫌いになったのは最近のことで、それまでは平気でよく使っていました。
がんばるという言葉は、本当は悪い意味です。辞書を引けば3つの意味が書かれてあります。
1.他の意見を押しのけて、強く自分の意見を押し通す。我を張る。
例「ただ一人反対意見を述べてがんばる」
2.苦しさに負けずに努力する 例「子どもが大学を出るまでがんばる」
「負けるながんばれ」
3.ある場所に座を占めて、少しも動こうとしない。
例「立ち退きをせまられたが、最後までがんばる」「守衛ががんばっている」
こうしてみると、"がんばる"っていやな言葉ですよね。
1のがんばるはよくない。どうも日本人は、自説に固執しすぎます。
会話のとき他人の話を聞かずに自分の意見ばかり述べている人が多いですね。
そうかと思うと、大筋では同じ意見なのに、ほんのちょっとした違いを青筋立てて
議論しています。日本人はよく白黒をつけると言いますが、白黒をつけるということは、
自分の意見は白(100点)、相手の意見は黒(0点)ということですね。
そんなケースは滅多にありません。たいていの場合、自分の意見が80点とすると、
相手の意見は75点くらい、つまりどちらも灰色ということです。
そうだとすると何もがんばる必要はありません。
以下「ひろさちやの般若心経の生き方から抜粋」
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hiroikikata.htm-
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