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from: yeshangさん
2013年07月27日 21時44分49秒
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「法華経」を読みなおしています
若いころ、岩波文庫の「法華経」を読みましたが、今、「図説 法華経大全」(大角修著 学習研究社)を読んでいます。
比喩や方便に類する話が多くて、非常に人間くささのあるものなのですが、弘法大師が賞賛し、日蓮がお題目にしているので、内容には深いものがあると思っています。
ただ、大乗の思想が断片的に随所にちりばめられていますが、法華経の本質がどうもよくわかりません。
何が、法華経の本質なのか? 教えていただければ非常に有難く思う次第です。-
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コメント: 全1件
from: yeshangさん
2013年08月12日 20時43分27秒
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先だって法華経を読み終えました。
やはり、玉ねぎの皮をむくような、入れ子になった(法華経を法華経が賞賛する)、そして無数・無量の数が随所にあらわれて、遠い過去と異次元世界が述べられての世界ですが、比喩、方便は今も生きています。
畢竟して、般若心経に要約されると思いました。
法華経では、それをお話のあちこちで述べていますので、多少うんざりします。 般若心経では詳しく述べられなかったことが、ここではもう少し具体的に書かれています。
しかし、注意しないと見過ごしてしまいます。
法華経にある三宝印(縁起)をよく考えたいと思っています。
・諸行無常 あらゆる現象は常に変化している
・諸法無我 自我を含め、すべてはあらゆるものとの関係において存在している
・涅槃寂静 諸行無常 諸法無我をみつめることによって、平安に達せられる。
デカルトの「我思う故に我あり」もいいですが、君あって我あり、我有って君がいて、社会があって我あり、身近なものがあって我あり、我あって社会も身近なものもあるという、この世は非常に相対的な関係にあります。
「我思うゆえに我あり」もいい言葉ですが、虚空にあって金銀財宝に囲まれていても何の意味があるか?との疑問があります。
そういったものを超越して、涅槃寂静の世界に至るのは、カタストロフィー(飛躍)的な思考と行動が必要なのかもしれません。
現実世界を直視して、その中で右往左往しつつ、それに流されずに行雲流水のごとく有るがままに生きていきたいとも思います。
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