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続 哲学〜真理〜探求について

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2014年01月30日 23時39分39秒

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    反対感情併存






    心理学で話される内容で、多いのが人間の「反対感情併存」という意識があります。
    同じ対象<目的、執着対象>に、両立しない矛盾の感情をもつ事らしい。対象が血縁関係の中で生じると益々ややこしい。例えば、同じ人間に愛と憎しみの両方の感情を抱く事・・・・自分では、無意識なのか?自覚できないのか?よく分からないけど、対象相手から、離れられない自分がいるのであろうと思う。その憎しみを相手に感じながら、本とは、愛しているから離れられないのよ!と自己納得させないといきてゆけないという感情らしい。
    愛人でも夫婦でも、親子でも、兄弟でも、お互いの存在が自分にとって居心地の悪い存在になっていたら、自分は距離をとる・・・・何も、好き、嫌いの問題ではなく、精神的に成熟した人間関係であれば、少なくとも相手と距離をもって暮らすという事ができるとおもうのだけど、そういう問題ではないらしい。相手<対象>を、心の底から憎ければ、別れればいいいいし、心の内から愛していれば、求めればいい・・と思うのだけど、そういう問題ではないらしい。詰まり、本気で、愛したり、本気で憎んでいるのではなく、心の葛藤を抱く矛盾する対象に併存、つまり依存しているらしいのですよね。憎ければ、別れてスッキリすればいい・・・・と思うのに、結局「反対感情併存」と心理学でいう意識なんですね。
    矛盾した感情を自分の中で抱く・・・・家庭内暴力はその典型だといわれています。神経症的な人の意識に多いです。反対感情併存には、恋人達の喧嘩にも見られ、つまり、喧嘩恐怖症は、別離恐怖症とも言えるでしょう。何か自分の思っている事を言うと、相手は傷つく・・・・<ほんとは、傷つかないかも知れないけど、自分が同じ事を他者からいわれると、傷つくから、相手も同じと思って暮らしている>
    だから、黙って不機嫌に暮らす事を、続けていく・・・・
    ボールビー博士、精神分析学者は、愛と恐怖と憎悪の相互関係について適切な言葉を述べている。
    愛という言葉は、本来相手の幸せを願うという気持ちがともなうのではないか?親子関係であれば、空爆の土地に暮らす人間が、生きてさえいてくれればいい・・・みたいな、むしろ、相手の存在を願うのでしょう。ところが、心の病気を抱えてくる神経症の人達は、もともと、本来の愛の意識を感じた事がないのではないか?だから、心の病になるのではないか?
    つまり愛とは到底呼べない意識を、愛と勘違いする。支配的な親や社会で育てられたがゆえに、もつ占有性愛着行動・・・人は自分が不安であれば、不安であるほど、他者の意識を自分に向けたがる。つまり、それは目立ちたがり屋と、批判するのではなく、そうしないと自分の存在を自覚出来ないのである。自分が、ここに居という感覚を、皆の中で把握しなければ、自分の存在を感じる事はできないのでしょう。ですので、他者を占有してしまうのは、既に、自分自身を占有してしまっているのでしょう。つまり孤立、、、コミュニケート層が途絶えているという状態なんでしょう。
    本当にどうにかなりませんかね?


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