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続 哲学〜真理〜探求について

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2014年02月03日 01時47分01秒

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    神の 絶対?






    インドの聖人 ラーマクリシュナの 言説。
    どの宗教がどうの、あの宗教や信仰や、どの民族がどうの、、、、ツマラン議論をお辞めなさいという事でしょう。

    「人 望、学問、その他細々としたことも神に比べればくだらないことばかりだという。絶対の価値を知った人間にとって、相対的な価値はもはや無意味ということだ。
    世界はすべて「神」そのものであるから「私」などというものは本当はないという。しかし我執によってそれが分からなくなってしまう。「私のもの」「私の行為」という無知から来る考えによって。私とは本来神の道具のようなものに過ぎないとラーマクリシュナは説く。」

    WIKIから・・・

    ま、学者や宗教家が語るいろいろありますが・・・・・

    絶対という 総体でしょう・・・全て・・・・・・なんですから・・・・




    時々 この次元でのインドの聖人達と、500年前の ノストラダムスの PROPHETIS大預言の 次元は、どこまで 類似しているのだろうか?
    と思う。

    ラーマクリシュナは、神の絶対性を、体験し、 説くのであろう。

    『インドの聖者ラーマクリシュナの前で、ある日数人の人が神の属性について議論をし、理性によってそれらの意味を知ろうとした。

    ラーマクリシュナは、彼らを止めて言うには「もう良い、もう良い、神の属性が理解できようとできまいと、そんな議論をして何の役にたつのかね。・・・・あなた達は神は善であると思う。あなたたちはそういう理由によって、神の善を私に信じさせることができますか。

    何千人もの死者を出している洪水を御覧なさい。慈悲深い神が、それを命ぜられたということを、どう証明するのかね。その洪水は、不浄なものを一掃し、大地に水をもたらしたなどと、おそらく答えるでしょう。だが善なる神は、何千人もの罪なき男、女、子供までも溺死させずに不浄なものを一掃することができなかったのでしょうか」と

    その時すぐに、論争者の一人が言った「それならば、わたしたちは、神は残酷であると信ぜねばならないでしょうか。」

    「ああ、大馬鹿者よ。だれがそんなことを言いましたか。合掌し、うやうやしく、"おお神よ、わたしたちはあまりにも無力で、その上愚かなので、そなたの本性も、そなたの行為も理解できません。どうか私たちをお導き下さい"と言いなさい。議論などやめなさい。神を愛しなさい。」とラーマクリシュナは答えた。』

    絶対の価値を知るということは、

    すでに、 対峙者と なんらかの 問題について、議論をするという行為にはなにも意味がなく、絶対なのでしょう・・・・

    (スワミ・ヴィヴェーカーナンダの生涯/法律文化社から引用)

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