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from: 沙羅(Sarah)さん
2014年02月24日 07時55分35秒
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知性 は 知識ではない理由
知性と、認識とは同義語ではありませんね。
知性という語は、ある能力とか力を示しているのでしょう。
ラテン語の知性は、INTELLIGERE
日本語カタカナだと、インテリジェンスと 読みたくなりますね。
本来の意味は、~の中から選択する legere inter
ですので、何かの行為途上です。
つまり、心の中で読む という訳し方にちかいでしょう。
選択するというLEGEREは、理解する分かる、識別する・・・・という意味ですから、
心の中で、分かる、読む、識別する
という事を、知性と 呼ぶので、
認識があるであるとか、知識が豊富という 時間経過の結果の量を述べているのではありませんね。
テーヌの 「 知性論」では
「 最も広い意味では、認識を対象とするすべての機能の総体
<
感覚的印象、連合、記憶、想像、悟性、理性、意識>」
と言っています。
ここで述べたいのは、
理論的知識と
実践的知識の 混同は
知識と 知性の混同と同じでしょう・・・という事ですね。
ベーコンによれば、
事実を説明することができないままになされる事実の認識に 帰着するというのは、ほとんど、知性をともなわないで、
ほとんどが、思い出や記憶に帰着する
つまり、 通俗的な知識・・・・・だそうです。
そして、それは 真の知識ではない・・・と言います。
つまり、先人の 知識や記憶の リピートを後世代の 人たちが、その場限りで、 演じていても、それは真理とは言えず、
伝言ゲームのようなコミュニケーションなのではないでしょうかね?
それは知性とは言えないのでしょう。
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「 真に知るとは、 原因によって知る事にある」
vere scire per causas scire
そこにあるのは、説明的な知識だけである。
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説明的知識の獲得は知性を要求し、発達させる。
説明するためには、理解しなければならなず、理解するのは、知性である。
そして知性はいっそう困難な問題解決の為につかわれれば使われるほど、いっそう 理解するのでしょう。
しかし、知識の所有は、一般的な理解能力としての知性とは無関係であること。
なぜならば、
知識はいわば、知性に 供される手段ではあるが、知性と ひとつになることはない。
よって、知性が、知識より重く価値をみるのであろう。
P FOULQUIE 哲学講義-
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