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続 哲学〜真理〜探求について

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2014年08月29日 20時10分27秒

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    現象学

    今回の広島の土砂崩れのニュースを知った感想です。

    GOOGLE EARTHで、かなり 近くまで見える・・・・

    正直な話し・・、被災者の捜索云々という話題に意識を 採られて反応する・・・・という 状態ではなく・・・・

    いったい・・・・どうして、あのような地形に、家を建てられるという 許可が出ていたのか?

    という疑問がわきます。

    行政なのか?国なのか?

    家を建てる・・・・という事は、

    土地を購入したり・・借りたり・・・・するのでしょうけど・・・
    それよりもまず・・・

    建築許可が降りる 元の 部分が何処なんでしょうか?

    現象学は、全体・・・・総体のバランスなんですよね。

    地形を見て、ここは、水が流れる通り道・・・・

    という直観で全体の地形のバランスが見えないで・・・・・

    隣の家との 壁は、最低Oメートルあけるとか・・・・建築許可でも・・・こまかい 部分に 視線を捉われないで・・・・もっと、自然の 姿、自然の存在の仕方・・・・全体に 見れば・・・

    谷底に、家を並べて建てる許可を出すって・・・・・・

    土地が安い?

    そういう問題なんでしょうかjね?

    国や行政が、現象学の 意識でなく、いつも、問題しょうじてから 部分の 後ろばかりの尻拭き対策ばかりをする・・・・
    原発の問題も、
    何もかも、起きてからでないと・・・・皆は騒がない・・・・

    戦争も、いつまでも、原爆落とされたという被害妄想で、他国に、怒りの矢を飛ばすばかりでなく・・・・・・
    もう少し・・・・どうして、原爆がアメリカによって 日本の広島に落とされたのか?

    という事を考えれば・・・・終戦の年に、5月、すでにドイツとイタリアは、終戦を向かえ、日本だけは、本州が毎日 爆撃され、毎日、日本のどこかの町では、空襲で3千人、5千人と、死んでいった。今は、何処こそで、災害が起きると、日本中騒いで、事の重大さを訴えるようなニュースの姿勢ですが・・・・死者の弔い以前に、何故?その状態に成るまで・・・誰も、懐疑しないのか?・・・・という事に思えます・

    終戦の年の大都市空襲は、すさまじい、数の日本人が亡くなっているのですよね・・しかも毎日、毎日・・・毎日・・・・処が・・・・軍は、まだまだ、負けるとは思いたくない。どこかで、戦線が矛先を向けて、突発口が見つかると、思い込む・・・・日本、本土は、毎日、3千人、4千人死者をだし、何万人、家を焼かれ・・・・・毎日の被災者の数字はすさまじい・・・・
    それでも、まだ、勝てると思い込みたいのか?よく分からない、自己陶酔心なのか?

    結局、 原爆を 落とされないと、終戦に ならなかった・・・・・・・

    しかも玉音放送を聴き、涙する国民の言葉に、かなりの人は、「負けるとは思わなかった」と、イ述べているのを聞いて、、、、
    学生の頃・・・・・ここまで、日本人の思考は孤立している事に、ビックリしました。

    本土に毎日 アメリカの 飛行機が、爆弾を落としていっているという事・・・逆に、日本軍が、アメリカ本土に爆弾を同じくらい落としているのか?というと、そんな事はないでしょう・・・・
    本土に、敵が来たら・・・お終い・・・・

    本土に 敵が入らないように、諍いが生じるのに、 本土が焼け野原になっても、

    日本が負けるとは思わなかった・・・・という言葉は、わたしは子どもだったけど・・・そのような終戦体験を語られて・・・・愕然とした記憶があります。あれから、70年も経っているのに、・・・・・その閉鎖的な試行は、なんとかしないと、自分で自分を 自滅に追いやっているのでは?
    と思えてしょうがない・・・・・

    広島の土砂崩れだけでは、終わらない・・・・と思う。神頼みしか残されていない域ですね・・・・





    WIKIから・・・・

    東京[編集]

    1942年(昭和17年)4月18日 - ドーリットル空襲。1944年(昭和19年)11月24日 - マリアナのB29による初空襲。B29・111機が出撃し、途中故障で引き返した機を除き88機が爆撃に参加。中島飛行機武蔵製作所(現在の武蔵野市)が目標。 東京はこれ以後、以下の大空襲を含む106回の空襲を受けた。11月27日 - 中島飛行機武蔵製作所2回目の空襲。中島飛行機武蔵製作所は初回から最後の翌年の4月12日まで11回空爆される。1945年(昭和20年)2月15日 - 米空母機動部隊艦載機による本土初空襲(ジャンボリー作戦)。関東の軍需工場が標的。3月10日 - 東京大空襲(下町大空襲)。死者約8万-10万。負傷4万-11万名。焼失26万8千戸。4月13日 - 城北大空襲。B29・330機。死者2459名。焼失20万戸。主として豊島・渋谷・向島・深川方面。4月15日 - 城南京浜大空襲。B29・202機。死者841名。焼失6万8400戸。主として羽田・大森・荏原・蒲田方面。隣接している川崎市も同時に空襲を受けた。5月24日 - B29・525機。死者762名。焼失6万5千戸。主として麹町・麻布・牛込・本郷方面。5月25日 - 山手大空襲。B29・470機。死者3651名。焼失16万6千戸。主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面。国会議事堂周辺や皇居の一部も焼失。


    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2

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