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続 哲学〜真理〜探求について

続 哲学〜真理〜探求について>掲示板

公開 メンバー数:6人

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2016年01月31日 23時53分23秒

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    観音経

    日本で一番読まれるお経は、と聞かれれば・・・・確かに、般若心経かもしれないですね。次に読まれるお経は、観音経でしょう。日本の仏教界は、何故か?宗派とか

    日本で一番 読まれるお経は、と聞かれれば・・・・
    確かに、般若心経かもしれないですね。

    次に読まれるお経は、観音経でしょう。

    日本の仏教界は、何故か?
    宗派とか…・・・同じ、お釈迦さまの教えじゃないのですか?
    と、思えますが・・・なんだか、時々、何々宗ではこのように解釈します・・・と
    仰るので・・・・

    そうですか?それでどうなさいますか?

    と聞くと、大概その応えが返ってこないのですね。

    哲学は、その応えが返ってこないであろう・・・

    それで、どうなさいますか?という、未来にむかって、

    貴方は、それでどうなさいたいのですか?

    と、聞いているので、個個人の知識や、テキストの解釈云々ではなく、

    生き方<死に方>の問題を、聞かれているのですね。

    どのように、生きたい<死にたい>のも自由でしょうけど・・・

    哲学は、結局、知識ではなく、智慧というか、心や魂の存在の仕方を、

    問われるであろう・・・という域の 教えに思えます。


    つまり、第三者の存在なくして、自分がこのように生かされてる意味が分からないのですね。

    その第三者というのは、もちろん死者も含む事が、書かれているのが、

    法華経と呼ばれるお経だと思います。

    法華経になると、方便品から譬喩品にかけて、よく言われる

    一切衆生は他者なしには存在しない・・・と解釈する他者は、他人ではなく、

    自分をその存在の形で存在させてる、他者の存在がお経に書かれています。

    日常的に相互に容易に出来る他者という単純な解釈ではなく、突然現れる人間を超える他者の存在理解不可能な他者が、仏によって象徴される事が書かれている、抽象度の他界雄京が法華経ですね。
    菩薩の存在が書かれた法華経では、他者<死者>達との説法が書かれていますから、

    生きてるこの世の世界は衆生の世界ですが・・・・生きてる人達だけの世界では、限界があるのでしょう。
    法華経にも書かれている通り、私達生きてる生者達は、死者の介添えがなければ、
    存在しないという事が書かれているはずです。

    空海にしても、この世に出現した覚者は、やはり霊界とのコミュニケートが可能であるはずですから・・・・
    超越世界の存在は必要でしょう。
    ただ、何が、世界的にも普遍化するのか?
    宇宙と自分との 一体感は、もち続けなければならず、その上においては、如来と呼ぼうが、神と呼ぼうが、アラーと呼ぼうが・・・アマテラスと呼ぼうが・・・

    人間が自由に生まれた土地の 知識を復唱しているだけの事なのでしょう・・・・

    世界が動く感じというのは、世界と一緒に存在するという事なのでしょう・・
    ですから、ある程度の予測ができてしまうのだと思う。
    それは時間や空間の無い世界の事なのでしょう。

    次元が高いと言う事は、抽象度を上げるという事なので、お経でも、聖書でも・・・
    コーランでも・・・抽象度を上げると言う事は、どの言葉で表現しても構わす、大事な事は、意味に寄って・・・・心作用の意味でしかないと思うのですね。

    宇宙と人間存在の法がそれぞれの言葉によって書かれて来たのでしょうから・・・
    どの国の言葉でも、理解出来るという 次元があるのだと思います。

    空海に関しては、サンスクリットで書かれたお経は、サンスクリット語を習わなくても、既に知っていたのでしょう。

    輪廻の世界と言うのは、何千年前に既に知っているという経験した魂や心をもって、あたらしく肉体をもつのでしょうから・・・新しい言語を習うという必要なないのでしょう。
    既に知っていたのですから・・・・

    そう考えれば、空海の並外れた学識や 言語能力も納得できますし、時間を超える、超越するという意味も理解出来てくると思います。

    生きてる衆生だけの世界では限界があるという事なのでしょう。

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    from: yeshangさん

    2016年02月05日 19時55分17秒

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    素晴らしいと言われるお経はいくつかあります、「般若経」、「華厳経」、「法華経」、「浄土三部経」、「維摩経」などなどあります。私は、これらのお経は生きて

  • from: yeshangさん

    2016年01月29日 21時43分50秒

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    仏教の教えは生きていてできること、生きているものへの教えと思います

    般若心経の教え、布施、自戒、忍辱、精進、禅定、知恵は生きている我々に対する教えだと思います。そして、禅、念仏、真宗・浄土真宗、称名、法華宗にしてもこの

    般若心経の教え、布施、自戒、忍辱、精進、禅定、知恵は生きている我々に対する教えだと思います。
     そして、禅、念仏、真宗・浄土真宗、称名、法華宗にしてもこの世に生きている人間に対する教えです。

     死んでは難しいことと思います。
     この世に生きている者の教えと考えます。

     死ぬまでのわたくし共の行動、心構え、努力が必要と思います。
     これは死んでも後にのこる、続いていくものと思います。

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  • from: 沙羅(Sarah)さん

    2016年01月24日 02時34分47秒

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    話が通じる時と通じない時

    久しぶりに書きます。他所の書き込みをここ数年していて、すっかりここはご無沙汰してしまいました。2011年の7月・・・本家のめるろ~さんが起てた、哲学ブ

    久しぶりに書きます。
    他所の書き込みをここ数年していて、すっかりここはご無沙汰してしまいました。
    2011年の7月・・・本家のめるろ~さんが起てた、哲学ブログを引き継いだのに・・・亡くなれてから5年近く・・・
    めるろ~さんは、2011年、大震災の直後に突然亡くなれてしまった。

    去年、日本に4月帰国した時、NHKの連続テレビドラマがはじまったばかりだった。
    画面には、めるろ~さんの故郷の見附島がよく映されたのだ。

    マレという名前の主人公の話だったが、めるろ~さんは、輪島のご出身なので、よく輪島の話をしたのだった。

    さて、現象学のメルロ=ポンティというフランスの哲学者が好きで、ハンドルネームも、メルローにしました。と最初仰っていた。
    メルロ、ポンティーが亡くなった年に僕が生まれたのです。と、誇らしげに言うので、
    なんとなく、かわいらしかった。年齢もわたしより年下だったからなのか?
    一年に一回しか、哲学コミュのメンバーでのオフ会を京都で始めたのが、きっかけだったのだ。
    もう、かれこれ…9年くらい前の事かな?

    哲学の話は、確かに、通じる人と通じない人がいるのだけど、それは仕方がないと思っていた。メルローさんとは、最初からツーカーに分かりあえる・・・余計な説明が要らない程、相手の言いたい意味・・相手の言ってる意味がすぐ理解できたのだ。おたがい哲学を勉強しているから・・といえば、それまでだけど、それ以上に、分かり合えたという感じがした。
    昨今の風潮では精神世界の話を大っぴらに外でするわけには行かないから、慎重に話題を選んでいても、それでも話はじめてから、
    「この人は全く話が通じないんだ」と感じて仕舞う…度々ある。

    あ・・この人、気があいそう!と思っていると、

    食事に誘われる、「嬉しいな?ルンルン」お誘いを受けて、待ち合わせの場所を約束する。異性、同性・・・どちらも期待したい人と少ない会うのが少ない、昨今にあって、
    第一印象や、数回の会合でも言葉には、気が合いそう・・・という直観が働くとやはり嬉しい・・・

    でも、食事を数人で初めて一緒に取って・・・お蕎麦を味見もせず、いきなり、調味料や、胡椒や。唐辛子を、バンバン振る・・・・食べ方を見ると、正直…がっかりする。

    初めて入って食べる時は、一応、どういう味かな?という味への興味というか、アンテナが働かないのかなぁぁ?

    と期待していただけに、その人の味覚感覚にがっくりしてしまう事があったりする。

    人生の、楽しみ方というか、自然の楽しみ方というか・・・植物の楽しみ方というか、
    食物の味は、どうしてこんなに違うのか?とか、興味をもって、生きる・・・・

    人と接する時も同じで・小さい事だけど・・・人生の単調な時間でも、想像力如何で、とても、楽しく、生きてる人がいると思う。
    そのような楽しい生き方をする人と 離すとやはり世界が広がる・・・楽しいのだ。

    哲学は結局そのような、方向に意識が向くような勉強の仕方を、健康的な・・・精神とか健康的な心理現象とか、言うのだと思う。
    現象学は、そのような事を教えてくれる学問だと思う。

    ところが、
    それはどんな人とかと言えば、「幸福とは、自分が金持ちになって、衣食住不自由なく暮らして、趣味などの気晴らしも適当にできることだ」と思い込んでいる人達に逢うと、
    必ずや・・・話が合わないのである。それは次元からいったら、・・・低い次元の 幸福感であり、唯物至上主義であるからだろうと思う。

    このような人達はの生活ぶりはいわゆる小市民的と称され・・・煩悩を滅すといいながら座禅をくんだりする人にもよくお目にかかる・・・
    そしてこのように思い込んでいる人に対して、

    「現世利益は、人間の本当の幸福とは関係ないでしょ?」と言っても、聞く耳は持たず、馬耳東風・

    哲学が現世利益を求めたら・・・神は、人間のお願い叶え役としてなってしまう。

    それは、神を馬鹿にしている事であり、同時に自分を馬鹿にする事と同じという意味・・・自他共存世界であるという事・・・自殺と他殺も同じ人間に生じる裏表の世界観である事・・・

    話がわかる人にはわかるんだけど、分からない人には、いつまでたっても、自分と他者が、引き離されてしまっている 孤立世界を自分で想起しているらしい。

    宇宙とか世界から断絶している世界に存在しているらしい・・・

    どうするんだろう?と思う。


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