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from: シニョレッリさん
2012/09/30 07:34:52
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「リナシメント芸術家(25) エヴァリスト・バスケニス」
今回は、バロック期に主にベルガモで活動した画家エヴァリスト・バスケニスです。
彼が描いたものは殆ど楽器が中心の静物画でした。
ブレラ絵画館にあります。
ベルガモのカッラーラ美術館にあります。
これもカッラーラ美術館の所蔵です。
ヴェネツィアのアッカデミア美術館にあります。
区別がつきますか? 彼の作品を見ると並外れた驚異的な写実性に圧倒されます。楽器の上の埃、ほつれた弦、頻繁に使用された痕跡を示す楽器の一部の色褪せなど、正確無比に表現しています。見た時には感動を覚えますが、一旦美術館を出てしまうと、彼の作品の区別がつきません。カッラーラ美術館には彼の作品が5点あったと思いますが、どれがどれであったのか全く思い出せません。多分、私の静物画の鑑賞力が足りないからでしょう。フラ・アンジェリコの「受胎告知」は完全に区別がつくのですが....
Evaristo Baschenis(1617ベルガモ生まれ〜1677ベルガモで没):
芸術一家に生まれ、家族から絵画技術の手ほどきを受けたと考えられています。クレモナの著名な楽器製作者一家と彼の家族とは互いに行き来するなど親交があったことから、楽器を画題にするようになったと伝えられています。画家として一人前になった当初には、静物画以外も描いたようですが、次第に楽器を好んで描くようになりました。静物画でも非常に写実性が高いのが特徴で、大きな成功を収めたことで、静物画が流行するようになり、クリストフォロ・ムナーリ、カルロ・チェレーザ、バルトロメオ・ベッテーラなど彼の技法の模倣者や追随者を多く生み出しました。楽器を中心に正確に描写する専門性によって、今や17世紀を代表するバロック画家の一人と見做されています。
写実的な光の表現は明らかにカラヴァッジョの影響とされています。
私にはよく分かりませんが、彼の卓越した写実力は幾つかの厳しい教訓的な意図を示しているのだ、とされています。icon
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from: シニョレッリさん
2012/09/29 08:12:47
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「リナシメント芸術家(24) レオネッロ・スパーダ」
今回は、バロック期にローマ・ボローニャ、パルマで活動した、カラヴァッジェスキの一人レオネッロ(リオネッロ)・スパーダです。
カラヴァッジョとの接点が明らかではありませんが、彼の作品が一時期カラヴァッジョの作品とされていたことから分かるように、カラヴァッジェスキであることは確かだと思います。
「聖ピエトロの逆さ磔」です。エルミタージュ美術館にあります。
この作品を初めて見た時、カラヴァッジョの返品書き直しの別バージョンなのか、と錯覚しました。
モデナ、エステンセ美術館所蔵の「ジプシー女占い師」です。
Leonello/Lionello Spada(1576ボローニャ生まれ〜1622パルマで没):
ローマで、グロテスク絵画が得意だったマニエリスム画家チェーザレ・バリオーニに弟子入りしました。修業後、生地ボローニャに戻り、ルドヴィーコ・カラッチに学び大きな影響を受けましたが、画風はルドヴィーコ・スタイルから同じボローニャ派でもデニス・カルヴァートの影響を受けたものに転じました。
ルーブル美術館所蔵の「合奏」です。
ルーブル美術館所蔵の「アイネアスとアンキセス」です。
彼と同時代の人々の記録に拠れば、スパーダはカラヴァッジョの同僚でしかもカラヴァッジョの助手を務めていたとの事ですが、カラヴァッジョは一人で仕事をするのが好きで、他人に自分のスタイルを真似されるのが大嫌いだったことから、少なくても助手だったとの説には私は首肯できません。
ともあれ、スパーダは、1607年までボローニャでルドヴィーコの弟子であるフランチェスコ・ブリツィオと一緒に仕事をしていた確実な記録があるので、カラヴァッジョの影響を受けた時期は1607年以降という事になろうかと思います。
一方、スパーダは他の画家の複製画を数多く制作し、それも非常に巧みで好評だったことが知られています。その一環で、カラヴァッジョ作品を模写、複製することでカラヴァッジョの作風を把握するに至ったと言う可能性が最も高いとの説がありますが、私もそれに賛成です。
さて、最後に画像のある作品以外で、私が見た作品リストを載せて終わりにします。
ボローニャ国立美術館:「アブラハムとメルキセデク」
ローマ、国立古典絵画館:「茨の冠を被せられるキリスト」「聖ジロラモ」
ドーリア・パンフォーリ美術館:「ユディト」
カポディモンテ美術館:「キリストの鞭打ち」
ウッフィツィ美術館:「男の肖像(自画像?)」(帰属)icon
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from: シニョレッリさん
2012/09/28 03:50:24
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「リナシメント芸術家(23) フランチェスコ・スクァルチョーネ」
今回は、15世紀中頃にパドヴァで活動した、有名にも拘らず謎の多い不可思議な画家フランチェスコ・スクァルチョーネです。
Francesco Squarcione(1397パドヴァ生まれ〜1468パドヴァで没):
修業時代の記録が無く、画風形成の過程は分かりません。彼の作品よりも弟子の育成に熱心で多くの弟子を抱え、彼の下から、その時代で一流とされる画家たちが巣立ちました。ヴァザーリに拠れば、137人の弟子がいたとの記述があります。多くの有能な弟子が彼に師事したことは事実の様で、その中にマンテーニャ、カルロ・クリヴェッリ、コズメ・トゥーラ、フランチャ、ヴィンチェンツォ・フォッパ、バルトロメオ・ヴィヴァリーニがいます。
古代彫刻の収集が趣味で、若いころのギリシャ、イタリア各地への旅行によって、その趣味が培われ高じたとされています。
ところが、近年の研究で、彼は弟子の育成どころか才能を摘みダメにしたことで、弟子たちから嫌悪され沢山の訴訟を提起されたことが判明したのです。而も、弟子の成果を彼自身だけのものとしたことも分かりました。
訴訟については、マンテーニャが師匠に対して幾つかの訴訟を幾つか起こしたのが代表的で事実だと思います。
ところが収集したとされている古代彫刻は一つも残されていません。それに弟子の成果を独り占めにしたとされている割には、残された彼の署名入りの確実な作品は二つしか残されていないのです。その二つの作品が次の画像です。
パドヴァ市立美術館の「デ・ラザラ祭壇画」です。
パドヴァ市立美術館には帰属作品の「聖母子」もあります。
「聖母子」です。ベルリン国立美術館にあります。
横向きの肖像画が当時の流行でしたが、それを聖母にしたのがユニークで面白いと思います。
パドヴァの教会で、彼の作品とされるフレスコを2点見た記憶があるのですが、その時にはメモを取っていなかったので、今となっては何処の教会だったか分かりません。icon
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from: シニョレッリさん
2012/09/27 07:00:03
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「リナシメント芸術家(22) ジロラモ・ダ・トレヴィーゾ・イル・ジョヴァーネ」
今回は、16世紀前半にヴェネツィア、ボローニャ、イギリスなどで活動した画家、彫刻家、建築家、そして軍事技術者だったジロラモ・ダ・トレヴィーゾ・イル・ジョヴァーネです。
わざわざイル・ジョヴァーネと呼ばれるので、イル・ヴェッキオもいるだろうとお思いになるでしょう。そうです、当然います。イル・ヴェッキオは15世紀後半にトレヴィーゾで活躍した画家ですが、イル・ジョヴァーネとは血族関係や師弟関係など全くありません。然し、支払記録、作品の帰属を巡って混乱が生じていることは確かです。
本名がわかりませんが、Girolamo Pennacciとも呼ばれていたようです。記録が少なく画風形成の過程がよく分かっていませんが、ペッナッチと呼ばれていたことから、ピア・マリア・ペッナッチに師事したと思われています。
「眠るヴィーナス」です。ボルゲーゼ美術館にあります。
私が初めて彼の作品を見たのが、これでした。その時には特に印象が残りませんでしたが、彼の経歴を調べてみて興味が出てきました。
何故ならば、彼は1538年からヘンリー8世の王宮に軍事技術者として仕え、1544年のブーローニュ包囲戦に参戦し、戦死したからです。彼の経歴を調べてみると、何処で軍事技術を習得したのか不明ですし、そもそも軍事とは無縁だったように思えます。
画家にして軍事技術者ならば、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが有名です。ミラノ公イル・モーロに仕えるためにレオナルドが書いた自薦状が残っていますが、それによれば一番自信があるのが軍事技術で、最後に絵も描けますと書きました。でも、レオナルドの修行経験はヴェロッキオ工房だけで、工房では軍事技術とは全く無縁でした。
と言う事は、当時の軍事技術は、本人の自信がものを言うもので、修業して習得するものではなかった可能性がある、と私は思っているのですが。
沢山の技術者を面接しましたが、例えばSEを採用するのにC言語は分からない、コンピューターを学んだこともない人を採用する気にはとてもなれませんが、どうもヘンリー8世やイル・モーロは違っていたようですね。
「聖家族」です。イタリアの銀行所有の作品で普段は常設展示されていませんが、トレヴィーゾの市立美術館で見たことがあります。
Girolamo da Treviso il Vecchio(1497頃トレヴィーゾ生まれ〜1544ブーローニュ・シュル・メールで没):
画風はジョルジョーネの影響を受けたヴェネツィア派と言われていますが、ヴェネツィアのアッカデミア美術館所蔵の「聖母子と四聖人」を見るとそれが頷けます。icon
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from: シニョレッリさん
2012/09/25 14:16:52
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「イタリア以外の旅(2)」
オクトーバー・フェストで大賑わいのミュンヘンにいます。
朝夕は10度を下回って少し寒いですが、日中は晴れると20度を超えて、絶好のビール日和です。名物の白ソーセージ、それに大好きなアルト・ビアを楽しむために、これから街中に繰り出す予定です。朝九時にはフェスト会場や有名なビアホールも開店していると思います。
ロンドンでは拍手は出来ましたが、サークルの書き込みは出来ませんでした。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーの名画をたっぷりと鑑賞出来ました。音声ガイドの過剰鑑賞、過剰過大評価には相変わらずビックリでした。モローニの「仕立屋」は傑作には違いないですが、あそこまで解釈されるとウンザリしました。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」に再会できた喜びに浸りました。でも、あれって多翼祭壇画の中央パネルですよね、早くイタリアに返還して元の多翼祭壇画に復元すべきだと痛感しました。
日々の更新が上手く行っているので安心しています。
では、また。icon
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from: シニョレッリさん
2012/09/25 07:29:47
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「リナシメント芸術家(21) アントニアッツォ・ロマーノ」
今回は15世紀後半から16世紀初頭にかけて、主にローマで活動したアントニアッツォ・ロマーノです。
アントニアッツォは西洋絵画史上、非常に重要な貢献を果たした事で有名です。画家として、15世紀のローマ絵画界で重要な位置を占めるほど大きな成功を収めましたが、彼の貢献と言うのは彼自身の絵画ではなく、他の画家の画家たちのマネジメント業を確立したことにあるのです。
当時の絵画需要は、教会からの祭壇画やフレスコなど、パトロンからの肖像画や宗教画などが殆どでしたが、有名な画家やパトロンに恵まれた画家は多くの弟子を抱えた工房を運営して、繁盛していましたが、その一方で実力がありながら受注が少なく困窮していた画家たちも沢山いたのです。
アントニアッツォは、売れない画家たちをパトロンや教会などに紹介して受注させるなどして、画家の生活安定に寄与したのです。家庭用祭壇画など小規模の仕事に於いても、富裕な人々と画家たちを仲介したと伝えられています。
この様にすることによって、ローマの絵画界を牛耳ることが可能になり、やがて彼は画家ギルドのヘッドに収まりました。
また、彼はサン・ルカ・アカデミーの三人の設立者の一人でした。
「受胎告知」です。ローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会にあります。
ミネルヴァ教会はさながら小美術館のような教会で、傑作、秀作が溢れています。
ローマ・バルベリーニ宮、国立古典絵画館所蔵の「聖母戴冠と聖パオロと聖フランチェスコ」です。
「羊飼いの礼拝」です。これもローマ、バルベリーニ宮の国立古典絵画館にあります。
Antonio Aquilio, detto Antoniazzo Romano(1430頃ローマかその近郊生まれ〜1508/12没):
記録が少なく、画風形成の過程が明確になっていませんが、ベノッツォ・ゴッツォリに師事したとされています。ペルジーノやメロッツォ・ダ・フォルリなどのウンブリア派と、ドメニコ・ギルランダイオやベアト・アンジェリコなどのフィレンツェ派を融合させた画風だったと言われています。
こう書くと何が何だか分かりませんが、この時代の作品を沢山見るに従って、何とか分かる様になるのが不思議です。
後年、決まりきった画題を工夫せずに繰り返し描く、所謂マンネリに陥って、後世の評価が低くなりました。マネジメント業で繁盛したので、本業では次第に努力しなかったのかも知れません。
最後に私が観た彼の作品の中で、傑作、秀作だと思う作品リストをアップして終わることにします。
モデナ、エステンセ美術館:「ピエタ」
ペルージャ、国立ウンブリア美術館:「聖母子」「慈悲の聖母」「三聖人」
ヴェネツィア、カ・ドーロ、ジョルジョ・フランケッティ美術館:「ライオンの棘を抜く聖ジロラモ」
ヴィテルボ市立美術館:「聖母子」
ロンドン、コートールド美術館:「聖母子と聖ジョヴァンニーノ(多翼祭壇画の中央パネル)」icon
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from: シニョレッリさん
2012/09/24 09:28:49
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「リナシメント芸術家(20) アントニオ・アルベルティ・ダ・フェッラーラ」
今回は、15世紀前半にフェッラーラ、ボローニャ、ウルビーノなどで活動した画家アントニオ・アルベルティ・ダ・フェッラーラです。単にアントニオ・アルベルティと呼ばれることも多いと思います。
彼の作品を初めて見たのは、ウルビーノの国立マルケ美術館でした。それまで見たことが無い画家にしては、沢山の作品が展示されているので興味をそそられました。それにフェッラーラ出身の画家にしては、顔の表現がまともで更に興味を掻き立てられました。
それにしてもフェッラーラ派の画家と言うと、人物表現が際立って特異ですが、私にはその理由がよく分かりません。
ウルバーニア(マルケ州)、教区美術館にある「聖母子」です。
こうして改めて作品画像を見ると、やはりフェッラーラ派の人物表現の特徴が垣間見えますね。
Antonio Alberti da Ferrara(1390又は1400フェッラーラ生まれ〜1449フェッラーラで没):
画風形成の過程がよく分かっていませんが、ヴァザーリの「列伝」に依ればアーニョロ・ガッディの弟子との事です。肖像画と宗教画が得意でしたが、輪郭が明瞭な線描と色彩豊かな点が特徴とされています。息子も画家になりましたが、名前が父と同じで、父から絵画技術の手ほどきを受け、画風も父と似ているので、二人の作品の帰属を巡ってしばしば混乱を来しています。彼の孫ティモテオ・デッラ・ヴィテも画家になりました。アントニオ(父)の弟子にオノフリオ・ガブリエリとフラ・カモヴァーレがいます。
最後に私が観た彼の作品リストを掲げて、この項を終わります。(画像の作品を除きます)
ウルビーノ、国立マルケ美術館:「十字架磔刑(フレスコ)」「聖母子と四聖人」「磔刑されたキリストを哀悼する聖人たち」「聖女アガタ」「多翼祭壇画」
フェッラーラ国立美術館:「福音書記者聖ヨハネ伝」
フェッラーラ市立美術館(スキファノイア宮殿):「聖母子」icon
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from: シニョレッリさん
2012/09/23 06:25:37
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「リナシメント芸術家(19) アルカンジェロ・ディ・コーラ・ダ・カメリーノ」
今回は、15世紀前半にカメリーノ、フィレンツェ、ローマなどで活動記録が残っている画家アルカンジェロ・ディ・コーラ・ダ・カメリーノです。カメリーノの出身なので、ダ・カメリーノが後に付きますが単にアルカンジェロ・ディ・コーラと呼ばれることもあります。
Arcangero di Cola da Camerino(1416〜1429カメリーノ、フィレンツェで記録):
残された記録が少なく、彼の生涯については殆ど分からないようです。1420年、フィレンツェに来て、当時フィレンツェに滞在していたジェンティーレ・ダ・ファブリアーノに師事したと考えられています。また、同時期にフィレンツェで活動していたマザッチョとベアト・アンジェリコからも影響を受けたとされています。
ウルビーノの国立マルケ美術館所蔵の「玉座の聖母子と聖人たち」です。
この時代の典型的な「聖母子」を描いた作品のように見え、私にとっては、特に印象が残らず、ありふれた作品と思いました。作品画像がありませんが、彼の作品としては、アンコーナ市立美術館の「ウミルタの聖母」やモデナ、エステンセ美術館の「キリスト伝(5連画)」の方が之よりも優れている様に思えます。
退色が少し進んでいますが、ピオーラコ(マルケ州)のサン・フランチェスコ教会の「受胎告知」のフレスコは中々の傑作と思いました。カメリーノ市立美術館所蔵の「聖母子と二天使」は、彼の作品で唯一、制作年度が1428-1429年と記録が残っている作品ですが、特に感銘を受けたとは言えません。icon
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from: シニョレッリさん
2012/09/22 07:05:41
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「リナシメント芸術家(18) ヤコポ・アヴァンツィ」
14世紀後半にパドヴァ、ボローニャで活動記録が残っている画家ヤコポ・アヴァンツィを取り上げます。
パドヴァ、サンタントニオ聖堂、サン・フェリーチェ礼拝堂にあるフレスコです。
彼の作品で私が最初に見たものです。パドヴァですから、彼はジョットやジュースト・デ・メナブオイのフレスコも当然見ていた筈ですが、彼らの影響は微塵も認められません。これもゴシックからリナシメントへの新しい息吹を伝える作品と思いました。
Jacopo Avanzi(1363〜1384活動記録が残る):
実は、彼の時代にボローニャで支払記録がある同名の画家がいて、混乱が生じており、作品の帰属を巡って今なお議論が絶えません。パドヴァの支払記録などにはヤコポ・アヴァンツィは一人しか記録が残っていないので、パドヴァの作品からボローニャの彼の作品を特定している現状です。ボローニャ国立絵画館にヤコポ・アヴァンツィの「モーゼの生涯」がありますが、私が観た限りでは、パドヴァのヤコポ・アヴァンツィの作品なのか、全く分かりませんでした。
ローマ、コロンナ美術館にある「十字架磔刑」も私には判断不能でした。
パドヴァの教会にはゴシック様式の古いフレスコが沢山ありますが、多くの教会ではフレスコの制作者の名前が明らかにされていません。サンタントニオ聖堂の彼のフレスコに似たような作品があるので、中には彼の作品があるように思います。icon
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from: シニョレッリさん
2012/09/21 02:57:59
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「リナシメントの美女たち(3)」
リナシメントの美女たちは今回で終了です。
ラファエッロの「ナポリ副王妃ドナ・イザベルの肖像」です。ルーブル美術館にあります。
ナポリ副王と言えば、有名な副王の娘を直ぐに思い出します。
ブロンズィーノの「エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像」です。ウッフィツィ美術館にあります。エレオノーラはナポリ副王の娘で、コジモ1世の妻です。エレオノーラには晩年の肖像画が幾つか残されていて、それを見ると少し気の毒になります。彼女はこの豪華な衣装を着た姿で埋葬されました。
ロレンツォ・コスタの「真珠のネックレスを付けた女の肖像」です。ボストン美術館の所蔵です。肖像画とは言え、コスタの特徴が良く出ている作品と思います。
ロレンツォ・ディ・クレディの「若い女性の肖像」です。メトロポリタン美術館にあります。
ティツィアーノの「ヴィオランテの肖像」です。ティツィアーノは彼女が好きで好きでたまりませんでした。
パオロ・ヴェロネーゼの「イサベッラ・グエッリエリ・ゴンザーガ・カノッサの肖像」です。ルーブル美術館の所蔵です。
セバスティアーノ・デル・ピオンボの「若い女性の肖像」です。ウッフィツィ美術館にあります。
画家の表現によって、その人の印象が随分変わると思います。
作品画像を見つけるのが大変でした。icon