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from: シニョレッリさん
2014年02月27日 09時24分52秒
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美術館・教会巡り(251) Museo Civico di Montepulciano
ルカ・シニョレッリ、カラヴァッジョ、ソドマなどの質の高い展示を誇るモンテプルチャーノ市立博物館でしょう。
この街でも古い建物が立ち並ぶリッチ通りです。
14世紀に建てられたPalazzo Neri Orselliです。
この建物は、1957年から市立博物館として使用されています。
さて、Museoと言う言葉ですが、彫刻と絵画のみ展示されている場合、美術館としています。それに加えて、貨幣、武具、皿、考古学的出土品などが展示されている場合、私は博物館と呼んでいます。
博物館の入り口。
陶器の展示があったので、博物館としました。
エトルリア遺跡からの出土品です。
では、絵画と彫刻の展示に行きましょう。
Maestro di Badia a Isolaの「聖母子と二天使」
13世紀のアレッツォで活動したMargarita di Arezzoの「聖フランチェスコ」
ピサの無名画家による「聖フランチェスコ」
ルカ・ディ・トンメの「磔刑」
14世紀のシエナ派の無名画家による「聖母子と三聖人」
トスカーナの無名画家の「聖母子と二聖人」
ビッチ・ディ・ロレンツォの「アレッサンドリアの聖女カテリーナの神秘な結婚」
サーノ・ディ・ピエトロの「聖母子」
如何にもサーノらしい表現です。
Jacopo di Mino dell Pelliccianoの「聖母戴冠と音楽天使」
Benvenuto di Giovanni(シエナ1436-1518?)の「羊飼いの礼拝」 これは帰属作品とされています。
フィレンツェの彫刻家の「磔刑像」
この「磔刑」ですが、フィリッポ・リッピ工房の作品です。工房にいた弟子のうち、Francesco Botticiniが恐らく描いたと帰属されています。
15世紀のフィレンツェ派画家による「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
ラッファエッリーノ・デル・カルボ工房作の「聖母子」 工房作としては、非常に出来が良く、親方よりも上手い?
フィレンツェ派画家の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニーノと二天使」
ポリドーロ・ダ・ランチアーノ(ランチアーノ1514-ヴェネツィア1565)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」
フィレンツェ派画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
アンドレア・デル・サルトの影響が強いですね。
ソドマの「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」
一見しただけでソドマの作品と分かりますね。
時間が無くなってきたので、一旦、ここで切りましょう。
(続く) -
from: シニョレッリさん
2014年02月26日 09時01分58秒
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美術館・教会巡り(250) Montepulciano、Chiesa di Santa Lucia
モンテプルチャーノの旅の目的の一つは、この教会でした。
わざわざ過去形にしたのは、次にモンテプルチャーノの来ることがあっても、多分、この教会に来ることは無いだろうと思うからです。
この通りを上った所に教会があります。
1653年奉献のバロック様式のサンタ・ルチア教会です。
12世紀に創建されたロマネスク様式の教会が前身ですが、17世紀にそれを取り壊して全面的に改築されました。その後、一度も大がかりな修復が行われず、今現在に至っています。
説明板で傷んでいて、よく読めませんが、ルカ・シニョレッリの祭壇画があると説明されています。
確かにサンタ・ルチア教会とあります。
翼廊がない、単廊式でバロック様式の内部です。
内陣から祭壇を見た時、一瞬、嫌な感じがしました。
御覧のように祭壇画が無くなっています。この祭壇画がここに来た目的なのに >泣 泣<
「市立美術館に移されたかも知れない」と思いました。何故なら、1600年代までの西洋美術といえば、宗教画や聖人たちの彫刻であり、現在、美術館などで展示されている作品の多くは、且って教会の祭壇を飾ったものですからね。
この後、市立美術館に行ったら、予感通りありました、この作品が。
ルカ・シニョレッリの「玉座の聖母子」です。
一般に、祭壇から外され美術館などに移されると、元の祭壇には代替えとなる祭壇画やオリジナルの複製画が置かれるのが普通ですが、サンタ・ルチア教会では外されたままになっています。これでは、地元の信者の方々にとって、祭壇を拝むには不都合ではないか、と心配してしまいます。
内陣中央から見た左側壁方向
こちらは右側壁
ボケ写真でスイマセン!
主祭壇の木製「磔刑像」はGiovan Battista Alessiの作品です。
主祭壇横の「聖母像」ですが、制作者が分かりません。
この他に聖人の大理石彫刻が幾つかあります。
「聖ロッコ」
「聖セバスティアーノ」
「聖女アグネス」
Gaetano Perpignaniの「聖母子と四聖人」
以下の四祭壇画の制作者が分かりません。
アトリビュートで聖人を識別します。描かれている二人の聖女を特定できますか?
取り壊された、以前の教会の祭壇画が幾つか残されています。先のシニョレッリの作品もそうです。
この教会は高台に建っており、眼下には御覧の景色が広がっています。-
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from: シニョレッリさん
2014年02月25日 09時07分30秒
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美術館・教会巡り(249) Montepulciano、Chiesa di Sant'Agostino
モンテプルチャーノのメイン通りのVia di Gracciano nel Corsoです。
この先に教会らしき建物が見えてきました。
サンタゴスティーノ教会です。観光に力を入れているからでしょうか、日中でも開いています。
1285年に建てられたロマネスク様式の教会でしたが、15世紀にフィレンツェの建築家ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(1396-1472)の設計によって、全面的に改築されました。
1784年から1791年にかけて修復が行われ、その際、特にファサード上部に多くの手が加えられ、現在の姿は18世紀末の修復後のものとなっています。
ポータルのルネッタにあるテラコッタ「聖母子と洗礼者ヨハネと聖アゴスティーノ」は15世紀の作品です。一説によれば、Nicholo Dandreiaの作品だそうですが、私には馴染みがない名前です。
では、中に入ります。
翼廊なしの単廊式の内部です。
15世紀の姿を留めるファサードとは異なり、内部は18世紀末の修復によって、大きく変えられたのでしょうか、可なり新しく見えます。
内陣中央からの左側壁方向を写したものです。
こちらは右側壁
主祭壇と後陣です。後陣に聖歌隊席があるのは珍しいと思います。
スッキリしたクーポラです。
手前に見える木製の「磔刑像」は、Antonio da Sangallo il Vecchio(Firenze1455-1534)の作品です。
祭壇画に行きましょう。
ジョヴァンニ・ディ・パオロの「聖ベルナルディーノ」
アレッサンドロ・アローリの「ラザロの蘇生」
ボケ写真でスイマセン。ロレンツォ・ディ・クレディの「磔刑」
以下、4点の作品ですが、私には制作者等、詳しいことが分かりません。一般に教会が祭壇画や彫刻を注文する際、制作者側と契約書を作成します。これらの契約書、その支払い記録が教会に残されているのが普通なので、制作者不明となっているのは多くの場合、後世に名前が残らなかった芸術家である可能性が高いのではないでしょうか。
これは秀作だと思います。
アンドレア・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタ「洗礼者ヨハネ」
Presepioの礼拝堂がありました。
何時頃造られたのか分かりません。
Presepioは、普通「キリスト降誕」の場面を表現しますが、これは「マギの礼拝」のような?
やはり「キリスト降誕」=「羊飼いの礼拝」でしょうか? -
from: シニョレッリさん
2014年02月24日 06時56分00秒
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cokemomoさん、こんにちわ。
コメント有難うございます!
昨年2月のイタリアは、cokemomoさんはラヴェンナで大雪に遭遇し、ご苦労されたと思いますが、私も雪と寒さで難儀しました。それを教訓として、今年はヒートテックの下着など、防寒対策を万全にして出発したのですが、豈図らんや、連日、気温が高めに推移する暖かいイタリアでして、逆に汗だらけになる始末でした。(20℃を超えた日が数日ありました)
ミラノですが、そろそろ飽きてきたので、今日の教区美術館で一旦区切りとして、他の街に行きたいと思います。icon
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from: cokemomoさん
2014年02月23日 20時03分14秒
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シニョレッリさん、こんにちは。
イタリアからお帰りになられて、こちらの寒さと残った雪の多さに驚かれたのでは?
本当にたくさん降ったのです(><。)
「あれ、この模様は?」と思ったモザイク装飾、やっぱりガッラ・プラチーディア廟のモザイクを模したものだったのですね。ラヴェンナのものの方が美しい気はしますが、これはこれで見てみたいと思いました。
シニョレッリさんのおかげでミラノでも見学したいものが増えてきました。
私もよく目にする「ミラノは最後の晩餐だけ」という意見、ちっともそんな事はないですね。icon
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from: シニョレッリさん
2014年02月22日 09時03分23秒
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美術館・教会巡り(246) Milano、Basilica di Sant'Eufemia
サンテウフェミア聖堂です。
創建が472年、完成と奉献が498年の初期キリスト教会が前身ですが、15世紀に再建されました。その15世紀の建物を生かしながら、Enrico Terzaghiの設計によって、1870年に完成したのが、現在の姿となっています。
という事で、ネオロマネスク様式の教会は可なり新しく見えますが、それは当然と言う訳です。
ファサードにポルティコがあって、そのルネッタはモザイクによって装飾されています。
モザイクは、ラヴェンナのガッラ・プラチーディア廟のモザイクを模して造られたそうです。
1869年頃の制作です。
聖堂内部は、単廊式、ネオゴシック様式となっています。一見、古そうに見えますが、よく見ると新しいのが分かり、やや興醒めです。
左右の側壁に礼拝堂が設けられています。
右側壁
壁と言う壁は、フレスコ画で装飾されています。
後陣は3つに分かれています。19世紀に描かれたフレスコ画の制作者は明らかにされていません。
マルコ・ドッジョルノの「玉座の聖母子と四聖人と三音楽天使」です。マルコは、レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子で、典型的なレオナルドスキの画風でした。
マルコ・ドッジョルノの「聖女カテリーナの神秘な結婚」です。(フレスコ)
これもマルコ・ドッジョルノの「聖女カテリーナの神秘な結婚」ですが、こちらはテンペラ画です。
「磔刑」の制作者が分かりません。
Augusto Lozzia(1896-1962)の「ロザリオの聖母」です。
以下、制作不明の祭壇画を並べましょう。
教会には、祭壇画の支払い記録が残っている筈で、当然、画家名もその記録に記されていると思います。
これは現代の宗教画でしょう。
聖堂のすぐ横にも教会があります。
通常、この教会は開いてません。
開いていない教会の名称です。-
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ぐら姐、
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from: シニョレッリさん
2014年02月16日 15時01分15秒
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早春の旅(11) ピストイア
フィレンツェから近く、日帰りで訪れる方が多いピストイアですが、見所が沢山あるので、泊まる価値は十分ある街だと思います。
今回の旅は僅か一泊でしたが、行けなかった教会が沢山あって、心残りとなってしまいました。教会巡りは午前中が勝負で、かなり急いで回りましたが、ミサ中や元々時間的に無理があったことから、そうなってしまいました。
昨日のピストイアは曇り時々晴れ、気温が17,18℃で汗ばむくらいでした。
主な広場には、市が立っていました。
同じドゥオーモ広場ですが、午後になると賑わっていた店はいなくなって、閑散としていました。
市立美術館は有難いことに無料(65歳以上)で、例の如く入館者は初めから最後まで私一人だけで、沢山の傑作秀作をそれこそ独り占めで鑑賞できました。
この美術館で最も有名な作品(写真)にも再会できて、大満足です。
ピストイアの画家Bernardino Detti(1498‐1566)の「聖母子と聖人たち」(1523)です。
何故有名なのか、はお分かりですよね。聖母がふくよか。キリストの腕にハエが止まっています。描かれた当時、この作品は物議を醸しだしました。でも画家の言い分が理に適っているとして、逆に大いに評価が高まったのです。
このハエ一匹の表現が秀逸で、見とれてしまいます。ハエの影が皮膚に映っています。名人芸をさりげなく表現しているところに凄さを感じます。
道路の突き当りがチェッポ病院ですが、工事中で見ることが出来ませんでした。(ロッビア一族による彩釉テラコッタが壁一面にあります) -
from: KOBARUさん
2014年02月14日 17時52分12秒
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from: シニョレッリさん
2014年02月14日 15時43分10秒
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from: シニョレッリさん
2014年02月14日 13時11分36秒
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早春の旅(9) サン・ジミニャーノ
順調な旅を続けてきましたが、例の「イタリア流」に遭遇して流石に慌てました。
2月でもサン・ジミニャーノは人気があって、ホテル代が高いので、今回はリーズナブルな価格、それにBooking.Comの評価で9.4のB6Bを選びました。朝食がないので厳密にはB&Bではありませんが、B&Bとして話を進めましょう。
そのB&Bは、この通りVia Benignanoの38番地にあります。
バス停から門を潜ったメインの通りから左に一本入った道です。
「うわっ、この番地の付け方は何だ!」と心の中で叫びました。
4,48,16,34,10、8,60番地ですからね。
番地が乱数表のように一貫性がないのです。でも通りの番地をよく見ると、道を挟んで向かい側が奇数番地、こちら側が偶数番地と言うことが分かりました。
仕方がないので、偶数側の番地を順々に辿って行くことにしました。
目指す38番地です。「B&Bらしくないなあ」
呼び鈴のボタンを押しましたが、無人のようです。何回も試しましたが、ダメでした。
ここで焦りました。「ひょっとして間違えた?」
ショルダーバッグから予約確認書を取り出して確かめました。やはり間違いはありません。
「携帯電話はバッグの中にあるけど、ここでバッグを広げるのは嫌だなあ」
イタリアでは、同じ通りがブロックによって名称が変わることが頻繁なので、通りの名称表示板を確認しました。
「番地が間違っているかも知れない。この通りの偶数番地側を一軒一軒当たってみよう」と独り言の私。
初めの38番地から200mほど離れた所にB&Bらしき建物が・・・
ジャーン!ここも38番地でした。
漸く無事到着です。同じ通りに同じ番地が二つあるとは全くの想定外。イタリア流に感化されて少々の事には動じなくなっていますが、これには参りました。
B&Bのオーナー曰く、「サン・ジミニャーノは古い街なので、番地の付け方は建物の建てられた順番とかで決められたりで、一貫性がないのです。同じ通りに同じ番地があるところが他でもあるのです。」
短い時間でしたが、この件では結構疲れました。
この日のイタリア流の教訓です。
1.番地が順々に規則正しく並んでいない街がある。
2.同じ通りで同じ番地の場所が複数以上ある街がある。