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from: シニョレッリさん
2016年06月22日 15時44分40秒
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村歩き(120) オルタ・サン・ジュリオ (その6 最終回)
サクロ・モンテは、広い山中に聖フランチェスコを奉る礼拝堂が約20棟点在する一大聖地です。
聖フランチェスコを崇める信者やオルタ湖周辺の観光客が一年中訪れます。
礼拝堂の中はフレスコ画や彫刻などで一杯です。
各礼拝堂には番号が付けられているので、番号の順番に従って見るのが良いでしょう。
ただ、施錠されている礼拝堂が多いので、礼拝堂の中の写真を撮るのが骨です。
山の上にあるので、オルタ湖の絶景が楽しめます。
サクロ・モンテは「美術館・教会巡り」で改めて取り上げることにしましょう。
比較的新しい作品が多く、私の好みから若干外れます。
道を下ってサクロ・モンテを後にしました。
村に戻りました。
かなり楽しめましたが、泊まったホテルには閉口でした。
(おわり)icon
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from: シニョレッリさん
2016年06月21日 17時02分47秒
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村歩き(120) オルタ・サン・ジュリオ (その5)
サンタ・マリア・アッスンタ教会です。
拝観しました。
村の規模にしては、質の高い作品がありました。教会の祭壇画や彫刻などの質は、そのコムーネの繁栄や人口などに比例するのが普通です。
教会に来る途中に小さな美術館があるのを思い出しました。
ここですね。
入館してビックリ。展示が変わってる!!
イコンがあったけど、今は全然違うものが展示されていました。
何の展示が分かりませんでした。
サクロ・モンテに行く前にトイレを済ませておくことに。(これ非常に大事です)
一休みしました。
泊まる人が多いと見え、夕方近くになっても人出が減りません。
サンタ・マリア・アッスンタ教会を越えてサクロ・モンテを目指しました。
丘を上りました。
かなり上ってきました。
サクロ・モンテはもう直ぐです。
着きました。
(つづく)icon
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from: シニョレッリさん
2016年06月20日 16時53分23秒
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村歩き(120) オルタ・サン・ジュリオ (その4)
この日のお目当てはサン・ジュリオ島ではなく、サクロ・モンテでした。
殆ど何もしないで毎日をゆっくりと気ままに過ごすために何泊もする人たちが多いと聞いてます。
特にこれと言った見どころが無い村です。私ならば、2泊もすれば飽きてしまいます。
観光客が押し掛けることはありませんが、一年を通じて、それなりに賑わいを見せてますが冬季には何をするのでしょうか?
このところ毎年2月にイタリアに行ってますが2月にこの村に来たいとは思いませんね。
この先が村の中心の広場です。
観光客は、イタリア人が少なく、フランス人とドイツ人が多かったようでした。
村の中心、モンタ広場です。
モンタ広場からサン・ジュリオ島に向かう定期船が出ています。
鐘楼がある建物が有名です。
1582年に建設されたPalazzo della Comunita o Brolettoです。
広場を離れて丘上の教会に向かうことにしました。
階段を上ります。
目指しているのは道の突当りにある教会です。
振り返って見下ろすと、このような光景です。
坂の途中にある建物の壁にフレスコ画がありました。
古い物ではありませんね。
(つづく)icon
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from: シニョレッリさん
2016年06月18日 13時26分32秒
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美術館・教会巡り(470) リヴォルノ、サンタ・カテリーナ教会
ドメニコ会のサンタ・カテリーナ教会です。
17世紀末から18世紀中ごろまでトスカーナ地方を中心に活動した建築家ジョヴァンニ・デル・ファンタジア(フィレンツェ1670‐リヴォルノ1743)の設計によって、1720年創建、1753年に完成したバロック様式の教会です。奉献は1753年に行われました。
ファサードは未完成です。
ほぼ四角形の外壁の上に高さ63m、八角形のクーポラが乗ってます。
遠くからしか見えない鐘楼は、ローマ、ナポリで活躍した18世紀の建築家フェルディナンド・フーガ(フィレンツェ1699‐ナポリ1782)によって設計されました。
内部は八角形で、その上に八角形のクーポラがあります。
八角形の先に祭壇と7つの礼拝堂が設けられてます。
バロック様式なので装飾が多いようです。
クーポラのフレスコ画は、チェーザレ・マッフェイ(シエナ1805生まれ‐1876年頃死去したようだがその場所を含めて詳細不明)によって1855‐58年に制作されました。
マッフェイのフレスコ画のうちの「聖母戴冠」
主祭壇
主祭壇画はジョルジョ・ヴァザーリの「聖母戴冠」(1571)です。
ヴァザーリの作品は教会の完成よりも180年も前に制作されたものです。それにも拘らず、この教会の主祭壇画になった理由や、その間何処に作品があったのか、その辺の詳しい経緯が不明です。
詳細不明の「聖母子」
「ロザリオの聖母」も詳細不明です。
見るに値するのは、ヴァザーリの作品とクーポラのフレスコ画でしょうか。
リヴォルノはイタリア海軍の基地が置かれていたので、第二次世界大戦で爆撃によって徹底的に破壊されました。その結果、古い貴重な祭壇画やフレスコ画は殆ど残されていません。
祭壇前から見た入口です。
教会の横に運河が走ってます。
(おわり) -
from: シニョレッリさん
2016年06月17日 17時13分34秒
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from: シニョレッリさん
2016年06月17日 15時50分46秒
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「修復」の続きです。
今回はウルビーノのサン・ジョヴァンニ・バッティスタ祈祷所を取り上げます。
先ずはファサードです。修復前のファサードです。
14世紀に建てられたファサードですが、近代になって改築されたものです。
これは2014年2月に撮った写真です。ご覧のようにファサードに覆いがかけられていました。
修復中と分かりますが、具体的に何処が修復されているのかについては、覆いがあるので窺い知れませんでした。
これは2016年5月に撮った写真です。
修復前後で形状、構造は全く変化が認められません。修復後では外壁が修復前よりも白っぽく磨かれたようになっていたので、外壁の表面を削り取り洗浄したと思いました。修復と言ってもごくマイナーなものであったことが分かります。
では、内部はどうでしょうか。
この祈祷所はサリンベーニ兄弟によって描かれたフレスコ画で有名ですが、正にそのフレスコ画の修復の真っ最中でした。
フレスコ画のイタミがある箇所に直接絵筆で描き加えているようです。
修復が既に終わった箇所です。
2016年5月に撮った写真ですから、フレスコ画の修復後ということになります。
修復前の写真があると良いのですが、当時は写真撮影が禁止されていたので私の写真がありません。外部サイトで探しましたが、見つかりませんでした。
修復前は色あせてぼんやりした感じでしたが、修復後は色鮮やかで鮮明になりました。修復前の状態を知っている者としては、ちょっとやり過ぎの修復と感じました。
フレスコ画の修復に於いて、フレスコ技法は採用できません。漆喰を塗ってから、それが乾かないうちに一気に書き上げるのがフレスコ技法です。原画の上に漆喰を塗るなんて暴挙ですから。
そうなるとフレスコ画の痛んだ場所の上に直接絵の具を塗って修復するよりありません。そうなるとフレスコ独特の色調から離れて、色鮮やか鮮明になってしまうのは仕方がないのです。
修復無しでは作品の維持保存は不可能ですが、修復作業を経ると少し違った感じになってしまうと思います。icon
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from: シニョレッリさん
2016年06月16日 17時58分49秒
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修復
私「シニョレッリ」のプロフィール写真は、ルーカ・シニョレッリが1504年に制作した「マグダラのマリア」です。
これです。
この作品画像は外部サイトから拝借したものですが、修復前のものです。修復が行われたのは2012年頃でしたが、当時は写真撮影が禁止されていたので、私の写真がありません。だから、外部サイトから拝借したのです。
この作品は、オルヴィエートのドゥオーモ付属博物館にあります。
これが修復後の作品の写真です。(2015年頃から写真撮影が解禁となりました)
空の色など随分違った感じがします。制作当時の空の色はこうだったそうで、絵の具の経時変化によって、修復前の赤っぽい色に変色したという研究結果に基づき修復が行われました。
全体の印象も修復前と修復後では随分感じが違います。修復前の姿に慣れてしまっている私としては、修復の価値というものが中々分からないのです。 -
from: シニョレッリさん
2016年06月16日 16時06分07秒
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村歩き(120) オルタ・サン・ジュリオ (その2)
次のイタリアは全く予定してません。
世界中に点在するイタリア芸術作品の傑作を見ておきたいと思いますが、漠然とした願いの段階です。
さて、オルタ湖の大きさですが、長さ15km、幅2.5㎞の細長い形をしています。
湖の中央にあるサン・ジュリオ島です。
小雨が降ったり止んだりの中、かなりの距離を歩きました。
歩きやすい道だったので何とかなりましたが、貰った案内所と地図に拠れば徒歩15分でチェントロに着くと書いてあったので、40分も歩いてもチェントロに着きません。湖畔沿いに道を歩いて来たので、道に迷ったとは思えないし・・・
後でホテルのフロントで聞いたら、15分というのは走った場合の時間との事。これも絶対に嘘、オリンピック競争に出場する選手じゃないんですよ。
誤植と思いますが、フロントの兄さんに馬鹿にされたようでした。
漸くチェントロに到着したようです。
イタリア人の殆どが大変親切ですが、ごく稀に態々間違ったことを教える妙に親切な人がいます。
地図を見ていると、近づいてきて「何処に行きたいの?」「○○を探してます」「そこならば、この道を行けば良い」と全然違うところを教えてくれます。
「アリガト」と言って別れますが、土地勘があるので騙されません。
観光客がいる一角にやってきました。
1631年に建設されたサン・ロッコ教会です。
観光客で成り立っている村なので、昼休みの時間帯でも教会が開いています。
村の目抜き通り
村役場(Palazzo Comunale)です。
中に入りました。
(つづく)icon
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from: シニョレッリさん
2016年06月16日 09時01分24秒
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from: ぐら姐さん
2016年06月15日 20時33分04秒