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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

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  • from: シニョレッリさん

    2013年03月12日 15時21分39秒

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    リナシメント芸術家(32) ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ

    今日までダニエレ・ダ・ヴォルテッラの名前が残ったのは、ヴァチカン・システィーナ礼拝堂に描かれたミケランジェロの「最後の審判」の臀部や性器を腰布で覆い隠したからでしょう。ただ、法王庁が一旦それを決定したからには、例えダニエレがその仕事を拒否したとしても、他の画家に注文したと思われ、そうなるとダニエレの悪評は単に運が悪かっただけかも知れません。
    ミケランジェロとの交遊で知られ、今日見ることが出来るミケランジェロの胸像の殆どがダニエレの作品と言う訳で、性器・臀部の件の悪評は少し不当ではないでしょうか。それに残された絵画作品を見れば、とても凡庸な画家とは言えません。歴史に名を刻んだマニエリスム画家・彫刻家だったと思います。
    Daniele Ricciarelli, detto Daniele da Volterra(1509ヴォルテッラ生まれ~1566ローマで死去):少年時代、シエナに赴きソドマやバルダッサレ・ペルッツィに師事しましたが、画家として芽が出ず、1535年ローマに出てペリン・デル・ヴァーガに弟子入りしました。ヴァーガ工房が馬が合ったというべきなのか、ダニエレの腕は飛躍的に向上し、やがてミケランジェロと知り合いました。
    ミケランジェロはダニエレを大変気に入り、ダニエレの為に下絵をデザインしたり、構図を書いてやった上に、時の法王パウルス3世に口利きして、法王庁で仕事が出来るように計らったのです。ダニエレの主要作品の殆どがミケランジェロの何らかの関与が認められるそうです。パウルス3世の庇護を受け様々な装飾事業に従事しましたが、パウルス3世が死去すると絵画関連の注文がめっきり減って、彫刻を主体に仕事をするようになりました。

    代表作「嬰児虐殺」です。フィレンツェ、ウッフィツィ美術館にあります。

    「ミケランジェロの胸像」です。フィレンツェ、バルジェッロ国立博物館にあります。
    画風ですが、初期はソドマの影響が強く、ミケランジェロとの交友後はミケランジェロ・スタイルの誇張気味なものに転じました。ミケランジェロの死後、ラファエッロに急接近してラファエッロの影響を受けたマニエリスムの画風に転じました。
    上記二作品以外に、私が見た作品リストを載せて、この項を終わることにします。
    フィレンツェ、ミケランジェロ博物館:「ミケランジェロの胸像」
    ミラノ、市立博物館(スフォルチェスコ城):「ミケランジェロ像(デスマスクから取ったブロンズ像」
    トリノ、サバウダ美術館:「洗礼者ヨハネの斬首」
    ナポリ、カポディモンテ美術館:「若い男の肖像」
    ローマ、ドーリア・パンフォーリ美術館:「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」
    ローマ、サンティッシマ・トリニータ・デル・モンテ教会:「嬰児虐殺(フレスコ)」「聖母被昇天(フレスコ)」「聖母の出現(フレスコ)」「十字架降下(フレスコ)」

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