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from: シニョレッリさん
2013年03月13日 13時26分48秒
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リナシメント芸術家(33) サーノ・ディ・ピエトロ
師匠サセッタの画風を忠実に受け継ぐだけでなく、サセッタの死後、サセッタの未完成作品を完成させたり、サセッタが受注したにも拘らず制作しなかったものを代わりに制作したことで、二人の間の作品帰属を巡って混乱が生じている、シエナ派の画家サーノ・ディ・ピエトロを取り上げます。
「カンポ広場で説教する聖ベルナルディーノ」です。シエナのドゥオーモ博物館にあります。1445年の制作ですが、現在、我々が見るプッブリコ宮がそのままの姿で描かれています。当たり前といえば当たり前なのですが、568年後の2013年ですから、ある種の感慨を覚えます。
彼の主要作品はシエナで見ることが出来ます。
シエナ以外の地で見ることが出来る彼の作品の殆どが、多翼祭壇画を分解したパネルです。
「エジプトへの逃避」です。
「ご生誕」です。
「聖母の教会への出現」です。
「聖母の結婚」です。
以上4枚は多翼祭壇画の裾絵で、「ご誕生」と「エジプトへの逃避」が同じ祭壇画の裾絵、「聖母の教会への出現」と「聖母の結婚」が同じ祭壇画の裾絵と考えられています。これら4枚はヴァチカンにあります。ヴァチカンにはサーノだけではなく何故か分解されたパネル・裾絵が多い様に思いますし、元あった所に返却して完全な多翼祭壇画に戻すことに消極的な気がします。
最初の裾絵が小さくなった理由が分かりません。
Sano di Pietro(1406年シエナ生まれ~1481年シエナで没):当初、ジョヴァンニ・ディ・ピエトロに師事しましたが、その後、サセッタに学び、サセッタの忠実な追随者となりました。それにも拘らず不思議なのは、サーノは1428年シエナの画家ギルドに登録されましたが、サセッタのギルド登録はサーノと同じ1428年だったものの、その順番はサーノの方が早く登録されたことです。という事はサーノは親方ではなかったサセッタの弟子となり、師匠よりも早く親方になったという事ですが、どの様に解釈、判断すべきなのか困ってしまいます。更に不可思議な事は、1443年以前のサーノの作品が一つもない事です。(支払記録などの記録が一切残っていないそうです)私の勝手な想像では、1443年までにサーノが制作した作品は、師匠サセッタの作品として制作されたからだと思います。1450年、サセッタが死去しましたが、それ以降、制作年度の記録が残っているものが全てサーノの作品であることに間違いありません。制作年度がはっきりしない作品はサセッタ作なのかサーノ作なのか、今なお作品の帰属に混乱が生じています。
彼の類稀な才能はシエナ国立美術館で展示されている大祭壇画(5点あります)を見れば直ぐに分かります。圧巻ですよ。
私が見た彼の作品リスト(イタリア以外の地を省きます)を挙げて、この項を終わることにしましょう。
シエナ市立美術館:「磔刑」
シエナ国立美術館:「聖母子と四聖人」(5点あって全て大祭壇画の傑作です)「聖人たち」「聖母子と二聖人」「羊飼いの礼拝」「シエナの聖ベルナルディーノ」「聖ジロラモ」「聖母子と聖人たち」「聖ベルナルディーノと天使」「聖母子」「聖パオロ」「聖バルトロメオ」「四聖人」「聖母子」「聖母被昇天」「聖母子と四聖人」「聖母子と二天使」「聖母戴冠」「牧者ねのお告げ」
ローマ国立古典絵画館:「磔刑」「聖アゴスティーノと聖ニコラ」
ウッフィツィ美術館:「ピエタと聖母と福音書記者聖ヨハネ」
ミラノ、教区教会美術館:「三聖人」「ピエタと聖人たち」
ヴィテルボ市立博物館:「聖ベルナルディーノと天使たち」-
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ぐら姐、
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