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from: シニョレッリさん
2013年06月06日 08時42分32秒
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リナシメント芸術家(35) チーマ・ダ・コネリアーノ
ヴェネツィア~ウーディネ~トリエステ間をFSで往復するうちに車窓から見えるコネリアーノのカステッロに魅かれたのと、好きな画家チーマ・ダ・コネリアーノの故郷であることの二つの理由から、初めてコネリアーノに行ったのが2012年4月でした。
その時は大雨に祟られ、不十分な街歩きに終わったので、再訪して是非ともゆっくりと過ごしたいと思っていました。
漸く念願が叶ったのは先月(5月初旬)で、幸いにも天気に恵まれ,楽しい時間を過ごすことが出来ました。
以上2枚はコネリアーノの街並みの写真です。
右から二軒目の白い建物がチーマの家で、現在は博物館として公開されています。チーマの主な活躍の場はヴェネツィアで、そこで大工房を運営していましたから、1年のうち僅か1,2ヵ月しかこの家で過ごせなかったと言われています。
コネリアーノ大聖堂です。
カステッロは現在、コネリアーノ市立博物館として使用されています。
コネリアーノに残されたチーマの作品ですが、大聖堂と市立博物館にそれぞれ1点、合計2点あるだけです。
大聖堂の主祭壇画である「玉座の聖母子と聖人たち」(1492)です。
市立博物館にある「受胎告知」(1517c)です。「c=頃」と考えてください。
Giambattista Cima detto Cima da Conegliano (1459/1460コネリアーノ生まれ~ 1517/1518コネリアーノで没)
盛期リナシメントに主にヴェネツィアで、その他ではヴィチェンツァ、コネリアーノ、パドヴァ、パルマ、トレヴィーゾなどで活躍した画家です。通称は生まれ故郷に由来しています。
師匠や修行した工房など画風形成の過程がよく分かっていませんが、初期の画風がモンターニャの強い影響を受けたことが明らかなので、1480年からヴィチェンツァに住んでいたバルトロメオ・モンターニャに師事したとの説が有力とされていますが、記録が残されていません。また、ヴァザーリに拠れば、師匠はジョヴァンニ・ベッリーニとの事ですが、ベッリーニ工房の記録にはチーマに関する記述が一切ないので、ヴァザーリの思い違いであるとの説が強いようです。
リナシメント盛期に於いてヴェネツィア内陸部を代表する画家であり、時に「貧者のベッリーニ」と呼ばれたそうですが、私にはこの「貧者のベッリーニ」と呼ばれた理由がよく分からないのです。ヴェネツィアで大いに繁盛した大工房を運営していたことは記録から明らかなので、「繁盛イコール収入が多い」に繋がるので、貧者とは言えないと思います。私の想像では、画料がベッリーニほど高くなかったからだ、と思っています。
多くの画家たちの沢山の作品を研究したと伝えられており、その研究を通じて、初期の硬質的な粗野な表現が影を潜めて、徐々に優雅で品位溢れるものに転じ、鮮明な色彩を駆使しながら最終的に非常に洗練された古典主義のチーマ独自の様式を確立した、天才であるものの、努力の人であったと言われています。
聖母子像、聖会話や壮大で光り輝く祭壇画など宗教画が得意で、彼の作品は今なお多くの人々を魅了して已みません。
ティツィアーノの出現後、ヴェネツィア派の画風はティツィアーノの成功を受けて色彩中心の画風に転じましたが、チーマだけは色彩中心に移行することなく、細部描写に拘った、従来の優雅で穏やかな表現を堅持しました。
では、これから彼の主要作品を見ることにしましょう。作品画像は例によってWeb Gallary of Artからの転載です。
ヴェネツィア、アッカデミア美術館所蔵の「オレンジの木の聖母」(1495)です。
ヴェネツィア、アッカデミア美術館所蔵の「玉座の聖母子と聖人たち」(1496-99)です。
ヴェネツィア、アッカデミア美術館所蔵の「聖トマスの不審」(1505c)です。
「羊飼いの礼拝」です。ヴェネツィアのカルミネ教会にあります。
ヴェネツィア、サン・ジョヴァンニ・デル・ブラゴラ教会にある「キリストの洗礼」(1493-94)です。
ヴェネツィア、マドンナ・デッロルト教会にある「洗礼者ヨハネと聖人たち」(1491-92)です。
「玉座の聖母子と聖人たち」です。パルマ国立美術館にあります。
フィレンツェ、ウッフィツィ美術館にある「聖母子」(1504c)です。
ミラノ、ブレラ絵画館所蔵の「三聖人」です。
きりがないので、この辺で作品紹介を終わりましょう。
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