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from: シニョレッリさん
2013年11月19日 10時16分07秒
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美術館・教会巡り(195) サンセポルクロ大聖堂
サンセポルクロのサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)大聖堂ですが、現在の正式名称はConcattedrale di San Giovanni Evangelistaと言います。
Concattedoraleになっているのは、1986年に行われた司教区の再編によって、サンセポルクロが新たに出来たアレッツォ・コルトーナ・サンセポルクロ司教区に組み入れられたからです。
尚、これによってCattedraleはアレッツォに、コルトーナとサンセポルクロがConcattedraleという事になりました。
10世紀、この地に建てられたサン・ベネデット修道院がこの教会の前身です。
修道院は一旦取り壊され、1012年創建、1049年完成のロマネスク・ゴシック様式の教会が改めて建てられました。
当初、四福音書記者に奉献されましたが、1520年、メディチ家出身のレオ10世によって、福音書記者聖ヨハネ単独に奉献されると共に、司教区が置かれることになりました。
この銘板では単にCattedraleとなっています。
鐘楼と後陣
大聖堂に隣接するPalazzo Vescovileで、併設されているサン・べネデット修道院にはここから入ることが出来ます。尚、11世紀の取り壊された修道院は13世紀に再建されました。
翼廊がない三廊式の聖堂内部です。
木組みの梁の天井です。
主祭壇側から見た内陣です。
身廊中央から見た右側廊
右側廊
身廊中央から見た左側廊
左側廊
この大聖堂は傑作、秀作に満ちています。
主祭壇画は、シエナの巨匠ニッコロ・ディ・セーニャの「キリストの復活の多翼祭壇画」(1348)です。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの傑作「キリストの復活」は、この作品から強い影響を受けたとされています。眠りこけている兵士の背後に石棺に足をかけて立っているキリストの構図は、ほぼ同じと言って良いでしょう。
何の話をしているのか、とおっしゃる方の為にご参考までに画像を載せましょう。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの復活」です。サンセポルクロ市立美術館にあります。
ペルジーノの「キリストの昇天」
パルマ・イル・ジョーヴァネの「聖母被昇天」(1602)
バルトロメオ・デッラ・ガッタの「磔刑(フレスコ)」(1486)
サンティ・ディ・ティートの「聖トマスの不信」(1576-77)
「玉座の聖母子と聖人たち」(フレスコ)(1383)
上の作品の説明板です。
ラッファエッリーノ・ダ・コッレ(ボルゴ・サン・セポルクロ1494/1497-1566)の「キリストの復活」です。
「磔刑」の制作者は不明のようです。
16世紀に描かれた「ロザリオの神秘」は連画となっており、筋が追えます。これも制作者が不明のようです。
Raffaello Scaminossi(サンセポルクロ1529生まれ~没年不明)の「慈悲の聖母」
Durante Alberti(サンセポルクロ1556頃生まれ~1623頃没)の「羊飼いの礼拝」
ロッビア工房による彩釉テラコッタ
「聖ロムラルド」もロッビア工房の制作
以上4点の作品ですが、制作者など詳細が不明です。
(続く)-
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ぐら姐、
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コメント: 全1件
from: シニョレッリさん
2013年11月19日 16時35分50秒
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美術館・教会巡り(195) サンセポルクロ大聖堂 (続き)
大聖堂に来たからには、司教館と、修道院に続く回廊に行かないと、美術ファンとしては画竜点睛を欠いたものになってしまうと思います。
大聖堂に隣接している司教館です。
サン・ベネデット修道院に向かう回廊です。御覧のように壁にフレスコ画が描かれています。
聖ベネデットの生涯が描かれています。順番に見ていくと彼の生涯が辿れるようになっています。
この様に場面ごとに説明文があるので簡単に理解出来ます。
何人かの画家たちによって15世紀から16世紀に描かれましたが、それらの制作者が不明のようです。
退色があるので鮮明ではありません。
落剝がありますね。
殆ど落剝してよく分らない画面が幾つかあいます。
天井の装飾です。
回廊の最大の見所はここです。
Monacato礼拝堂です。
1492年10月12日、ボルゴ・サン・セポルクロで没したピエロ・デッラ・フランチェスカの墓がここにあります。
祭壇は彩釉テラコッタとフレスコ画による「磔刑」です。私には制作者が分かりません。
礼拝堂祭壇の向かって右にある「聖母子」も制作者が分かりません。
「キリスト」の制作者も私には分かりません。
この階段を上って2階に行きました。二階は、蔵書数2万冊以上を誇る図書館、歴代司教の肖像画を収めた部屋、聖職者たちが生活する部屋などがありますが、写真を撮るのはNGでした。多分、私的な生活空間だからだと思いました。
この場面は鮮明な方でしょう。
11世紀に一旦取り壊されたサン・ベネデット修道院の建物の破片が残されています。
中々見応えのある大聖堂で、全て見ようとすると可なりの時間が必要だと思います。
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