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from: シニョレッリさん
2014/04/04 09:20:01
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フィリッポ・リッピの生家
久し振りにサンタ・マリア・デル・カルミネ教会に行って、ブランカッチ礼拝堂のフレスコ画を鑑賞していたら、ついでにフィリッポ・リッピの生家にも行ってみようとふと思いつきました。
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。リッピの時代の教会は、ブランカッチ礼拝堂を除いて、18世紀の火災によって焼失してしまったので、この建物は再建されたものです。
リッピはこの自画像を描いています。
この「聖母戴冠」の中に、さりげなく自画像を描き込んだのです。エート、この作品はウッフィツィ美術館にあります。
カルミネ教会のファサードに向かって左に行きます。
途中に小さな教会があります。既に教会としての機能を停止した旧サンタ・モニカ教会です。
少し進むと右に折れる、この道があります。
通りの名前はVia di Ardiglioneです。この通りにリッピの生家があります。
途中に「聖母子」の彩釉テラコッタがあります。
道路を跨ぐ建物の先に生家があります。
この家がリッピの生家です。
1406年にこの家で生まれた、との表示があります。
Via di Ardiglioneの黒の30番地です。フィレンツェは番地表示が、赤の〇番地、黒の〇番地、青の〇番地となっています。
2階で生まれたようです。
リッピ博物館になっているか、と思っていたのですが、相変わらず民家のままです。
私の生家は現存していません。15世紀の建物が未だに現役の家屋とは、日本人からは驚き以外の何ものでもありません。
Via di Ardiglioneの赤の18番地にある「聖母」です。
コメント: 全3件
from: シニョレッリさん
2014/04/04 12:59:58
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「フィリッポ・リッピの生家」に、リッピが没したことについて続けるのは、やや気が引けますが、次はそれについて触れましょう。
リッピは、1469年10月8日、スポレートで没しました。
スポレート大聖堂のフレスコ画制作を依頼されたので、妻のルクレツィアと息子のフィリピーノを伴ってスポレートに赴きました。
このフレスコ画の仕事半ばで、病を得て没したのです。
と言うことで、リッピ家族がスポレートで生活していた家、恐らく、その家で死んだと思うのですが、スポレートに行くと、その家が残っていないのか、探しています。
スポレート大聖堂にあるリッピの墓です。
コムーネの記録に、その辺の事は多分記されているのでしょうが、私の調べた範囲では、その家が何処にあるのか、分かりません。
生家のように、家の前に「リッピが没した家」の銘板がありやしないか、と思って歩き回っています。
古そうな裏道です。
何方か、リッピが死んだ家を御存知ではないでしょうか?
from: シニョレッリさん
2014/04/05 07:07:01
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「受胎告知」と「聖母への死のお告げ」




「フィリッポ・リッピの生家」とは関係がありませんが、リッピの作品について触れるので、まあ善しとしてください。
フィリッポ・リッピの「受胎告知」です。
フィレンツェのサン・ロレンツォ教会にあります。
こちらは、フィリッポ・リッピの「聖母への死のお告げ」です。これはBarbadori祭壇画の裾絵です。
Barbadoriの祭壇画の中央パネルです。
この祭壇画は、元々フィレンツェのサント・スプリト教会のバルバドーリ礼拝堂の祭壇を飾っていましたが、ナポレオンのフィレンツェ侵攻の際、分解されて中央パネルは、フランスに持ち去られ、現在はルーブル美術館で展示されています。
「聖母への死のお告げ」を含む裾絵は、ウッフィツィ美術館の所有となっています。
「受胎告知」と「聖母への死のお告げ」ですが、両方とも、大天使が聖母に告知をする構図となっているので、その違いを知らないと間違えるかも知れません。
区別するのは、大天使が手にしている白百合(純潔の象徴)と棕櫚(死と超えた勝利の象徴)によって行います。
勿論、大天使も違う訳で、受胎を告げるのは大天使ガブリエルで、死を告げるのは生死を司る大天使ミカエルとなります。
死のお告げから3日後に、聖母マリアは死にました。
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