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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

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  • from: シニョレッリさん

    2014/04/10 16:51:07

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    リナッシメント芸術家(46) Alessandro Araldi

    「イタリア芸術」の掲示板なので、このところ真面目にリナッシメント芸術家シリーズに取り組んでます。
    美術館や教会に行くと、どうしても知らない、これまで名前さえも聞いたことがない芸術家の作品に出会います。知らない画家や彫刻家をそのまま知らないで放っておくことが出来ない性分なので、
    必ず調べますが、検索しても全く何も出てこない芸術家が多々いるのが残念です。

    今回は、盛期ルネサンスにパルマ、ピアチェンツァなどで活動した画家アレッサンドロ・アラルディを取り上げます。

    大体混雑しているフィレンツェのウッフィツィ美術館

    ウッフィツィ美術館に入館して、この女性の肖像画を目にした方が多いと思いますが、この作品「バルバラ・パッラヴィチーノの肖像」(1510‐20)はアレッサンドロの作品では最も有名なものだと思います。

    Alessandro Araldi(1460cパルマ生まれ-1530cパルマで没):アレッサンドロの生涯については殆ど分かっていません。確実な記録としては、Filippo Mazzola(パルマ1460c-1505)の工房で働いていたこと、Cristoforo Caselli(パルマ1460‐1521)の助手を務めたことがあるくらいです。
    Filippo Mazzolaと聞いて、パルミジャニーノの名を連想する貴方は相当なルネサンス通だと自慢できると思います。パルミジャニーノの本名はGirolamo Francesco Maria Mazzola、姓はMazzolaですよね。Filippoの息子がパルミジャニーノで、パルミジャニーノが2歳の時に父Firippoはペストで死んでしまいました。思わず脱線してしまいました。
    アレッサンドロの初期の画風は、ジョヴァンニ・ベッリーニやヴィヴァリーニ一族の影響を受けたヴェネツィア派のスタイルでしたが、これはアレッサンドロがFilippo Mazzola(ヴェネツィア派の画風でした)の工房で働いたこと、それにCristoforo Caselli(ヴェネツィア派の画風でした)の助手を務めたからでしょう。
    しかしながら、1510年頃を境に次第に画風を変えて、フェッラーラのロレンツォ・コスタやボローニャのフランチャ、更にピントゥリッキオの影響が強いものになりました。興味深いのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の複製をパルマのドゥオーモに残したことです。画風を変えた理由などは分かっていません。
    では、彼の作品を幾つか見てみましょう。

    パルマ大聖堂ですが、ここに彼の作品が幾つかあるのです。

    「玉座の聖母子と聖パオロと聖アントニオ・アバーテと寄進者」

    「聖家族とイーモラのベアト・ドメニコ」

    「聖母の結婚」
    残念ながら「最後の晩餐」はありませんでした。
    サン・パオロ修道院に彼のフレスコ画が残されています。

    パルマのサン・パオロ修道院です。

    このような所から入るので分かり難いかも知れません。

    アレッサンドロが天井に描いたフレスコ画です。
    この他に国立パルマ美術館、パルマの旧サンタ・マリア・デル・カルミネ教会などに彼の作品があります。

    あまり独自性が感じられない画家ですが、端正な構図に軽い色彩感覚に彼の巧さを感じてしまいます。

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