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from: シニョレッリさん
2015年01月18日 08時07分10秒
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ルネサンス芸術家(67) ジロラモ・アリブランディ別称ラッファエッロ・ダ・メッシーナ
今の所、次回の旅でメッシーナに行く予定なので、久し振りにジロラモ・アリブランディの作品と再会できそうです。
Girolamo Alibrandi note anche come Raffaello da Messina(1470年頃メッシーナ生まれ~1524年頃メッシーナで没):
盛期ルネサンスにメッシーナ、ヴェネツィア、ミラノ、ローマ、パルマなどで活動した画家です。
メッシーナの無名画家に画家としての手ほどきを受け、その画家の工房で修業中に、当時、ヴェネツィアで活躍していた、生まれ故郷の先輩画家アントネッロ・ダ・メッシーナから誘いを受けて、ヴェネツィアに渡り、アントネッロに師事しました。
また、アントネッロがヴェネツィアにいることを知ったジロラモがアントネッロを頼ってヴェネツィアに渡ったという説もあります。
アントネッロに師事して、その修業中にジョルジョーネと知り合ったようです。
その後、ミラノに赴きレオナルド・ダ・ヴィンチ工房で修業するようになり、レオナルド工房でチェーザレ・ダ・セストと知り合いになりました。
何時頃ミラノ行ったのか、何故アントネッロの下を去りレオナルドに師事したのか、詳しいことは分からないようです。
レオナルドの絵画上の主な弟子であるマルコ・ドッジョルノやベルナルディーノ・ルイーニらは、レオナルドの二回目のミラノ滞在である1506年から1507年に弟子となったことから、ジロラモがレオナルドに師事したのは、恐らくこの時ではないでしょうか。レオナルドがイル・モーロに仕えた一回目のミラノ滞在では絵画の弟子を採らなかったようです。
しかしながら、私はこれらの説に対して疑問を持ってます。
何故ならば、アントネッロのヴェネツィア滞在は1475年から1476年とされており、1470年頃に生まれたジロラモがヴェネツィアに赴いたのは僅か5歳か6歳の時となるので、俄かには信じられないのです。
ただ、一時期、ジロラモの画風がチェーザレ・ダ・セストの模倣者であったことは確かなようですから、レオナルドに師事した可能性が高いと思います。
短期間に終わったミラノ滞在の後、古典主義を学ぶためにローマに赴きました。ローマにおける滞在の期間中に、ラッファエッロの作品から強い影響を受けて、次第に画風をラッファエッロ・スタイルに転じるようになりました。「ラッファエッロ・ダ・メッシーナ」の名称はそれが由来となっています。
ローマから一時期パルマに居住した後、生まれ故郷のメッシーナに戻りました。シチリア各地で仕事するため、メッシーナを離れることがありましたが、それを除けば終生メッシーナに留まりました。
メッシーナを中心にシチリア各地で多くの仕事に従事しましたが、彼の作品の殆ど、特にフレスコ画は後のエトナ火山の噴火や地震によって失われてしましました。
1524年頃、当時メッシーナで流行していたペストに罹患して死去しました。
では、彼の作品を見てみましょう。現存する作品の多くがメッシーナのシチリア州立美術館で展示されてます。
「玉座の聖母子」 シチリア州立美術館(メッシーナ)
「最後の審判」 シチリア州立美術館(メッシーナ)
「割礼」 シチリア州立美術館(メッシーナ)
シチリア州立美術館はパレルモにもあるので、区別する必要があります。
「アレッサンドリアの聖女カテリーナ」 シチリア州立美術館(メッシーナ)
「聖ピエトロ」 シチリア州立美術館(メッシーナ)
「聖パオロ」 シチリア州立美術館(メッシーナ)
「キリストの教会への出現」 シチリア州立美術館(メッシーナ)
「ジャルディーニの聖母」(1515-16) メッシーナ、Parrocchia di Santa Maria dei Giardiniにあります。
この他にモディカ大聖堂の多翼祭壇画がありますが、これが現存する作品の中での最高傑作だと思います。(画像なし)
コメント: 全2件
from: にょん太さん
2015年01月18日 15時51分18秒
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シニョレッリさん、
>アントネッロのヴェネツィア滞在は1475年から1476年とされており、1470年頃に生まれたジロラモがヴェネツィアに赴いたのは僅か5歳か6歳の時となるので、俄かには信じられないのです。
流石ですね、よく気が付かれたと思います。
私も同感です。
アントネッロ・ダ・メッシーナは1476年の9月までにシチリアに戻り、1479年2月にメッシーナで没した、との確実な記録が残されています。
ジロラモの年齢を考えると、もし、ジロラモがアントネッロに師事したとすれば、アントネッロがシチリアに戻って来た時の、アントネッロの最晩年と考えるのが自然でしょうね。
from: シニョレッリさん
2015年01月19日 06時41分20秒
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にょん太さん、コメント有難うございます。
美術館や教会に行けば、資料でもあれば必ず入手することにしています。
それらを読むと、往々にして辻褄が合わない記述を散見します。
しかし、原資料に当たる術がなければ、それらの真偽を確かめることが出来ません。この辺は素人としては仕方がないと思います。
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