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from: シニョレッリさん
2015年01月24日 08時54分02秒
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ルネサンス画家(68) アレッサンドロ・アルデンティ
今回は、ルネサンス後期にルッカ、ピサ、ロンバルディア、トリノなどで活動した画家Alessandro Ardentiを取り上げます。
1539年にファエンツァ生まれというのが有力ですが、ルッカで生まれたという説もあり、生年と生地についての確実な記録が残されていません。
現在、ルッカのサン・パオリーノ教会にある「聖母子と聖人たち」と同じルッカのサン・サルヴァトーレ教会にある「慈悲の聖母」の二作品が、彼の署名と制作年1565年が記された最初のものとなっています。
生まれてから、その1565年の間、アレッサンドロに関する記録が一切残されておらず、修行と画風形成の過程が不明です。
1572年までにルッカを離れ、恐らくピサに暫く滞在してから、サヴォイア家のEmanuele Filiberto伯爵から招聘され、トリノにある伯爵から与えられた家に1572年に移住しました。宮廷画家として数多くの肖像画を手掛けたとされています。
1583年に結婚しました。
1595年8月20日、トリノで死去しました。彼の死後、残された妻と子供に対して、サヴォイア家から遺族年金が支給されていた記録が毎年残されていたことから、アレッサンドロは可なり重用されていたことが分かります。
彼の画風ですが、ルッカ時代は明らかにマニエリスム様式でしたが、トリノに移住後、次第にローマ・スタイルの古典風に転じていきました。
トリノ時代の肖像画などの作品の殆どがトリノの国立図書館に残されていましたが、1904年の火災によって失われ、現存していません。
では、彼の作品を見てみましょう。
「羊飼いの礼拝」(会社蔵)
「三位一体と聖フランチェスコと聖ジロラモ」 ルッカのサンタ・マリア・フォリスポルタム教会(写真下)にあります。
これ以上、作品画像が見つかりません。
アレッサンドロは、現在、殆ど忘れられた存在です。でも、私が彼に興味を持ったのは、ルッカで活躍中の画家が何故、トリノのサヴォイア家の目に留まり、宮廷画家として招聘されたのか、それに彼の死後、彼の遺族に年金が支給された事実を考えると、大した画家ではないと切り捨てられないと思うようになりました。
そのようになってから、改めて彼の作品に接すると「かなり、いいね」と思う昨今です。
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