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from: シニョレッリさん
2015年08月25日 09時25分06秒
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今日の一枚
今日、取り上げるのは、この作品です。
有名な作品なので、ご覧になった方が多いと思います。
きつい目つきで、見た者を意地悪に見下すように、不満そうな仏頂面を見せています。
睨まれる筋合いがないので、「オバン、何が不満なんや」と心の中で毒づきながら睨み返します。
500年以上も前に生きた女性に向かって、毒づいてみてもアホラシイですが・・・
髪は解れ毛が目立つし、太った中年女丸出しで、お世辞にも美人なんて、口が腐っても言えません。
ペンダント、3つの指輪、纏った衣裳などを見ると、大金持ちそうに見えます。
だから、見下しているんでしょうね。
貫録十分ですね。
実は、若きラッファエッロ(22歳)が、1506年頃に制作した『マッダレーナ・ドーニの肖像」です。夫妻の肖像画と言うことで、夫であるアーニョロの肖像画も併せて注文されました。(『アーニョロ・ドーニの肖像画』は後で載せましょう。)
マッダレーナは、ストロッツィ家の出身で、フィレンツェの裕福な毛織物商人のアーニョロ・ドーニと結婚したので、血筋が良いし大金持ちということで、高慢ちきに人を見下すのは当然かもしれません。
中でも特に、私が何時も驚くのは、これは彼女が18歳時の肖像画なんですよ。
爺さんであっても男ですから、イタリアの若い女性に目を向けるときがありますが、18歳くらいで、このマッダレーナのような貫録十分なオバンはいませんね。
マッダレーナの身体をやや斜めに構えて、手を組んだところは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」の影響が色濃いと言われてます。また、ラッファエッロの作品の背景に景色を取り入れている所もレオナルドの影響と言われてます。
「モナリザ」は1503‐1505年頃に制作されたので、ラッファエッロが「モナリザ」を見た可能性は十分にあるそうです。
ラッファエッロのことですから、マッダレーナをもう少し可愛げに描くことは十分に出来たと思うのです。
それをやらなかったのは、制作料に不満があったかも知れないと、私は勝手に想像してます。
これは、ミケランジェロの有名な「聖家族(別名ドーニのトンド)」です。
アーニョロとマッダレーナの間に、娘マリーアが1507年9月8日に誕生しましたが、娘の誕生の記念に、アーニョロがミケランジェロに注文した作品です。
この作品の制作料の支払いを巡って、吝嗇なアーニョロとミケランジェロがトラブルになり、その記録が残されており、事実です。
同じようなことが、アーニョロと若きラッファエッロとの間に起きた、でも、若いラッファエッロはトラブルにせずに、マッダレーナを敢えて彼女の厭らしさを強調することで意趣返しをした、なんて考えると楽しくなります。
作品は、フィレンツェのパラティーナ美術館にあります。
この美術館は鑑賞するのが大変です。
傑作・秀作が所狭しと並べられています。「ドーニ夫妻の肖像」も目立たない場所に展示されてます。
私の写真
「アーニョロ・ドーニの肖像」
夫婦の肖像画が隣合せて展示されているのではなく、その間にこの作品が展示されてます。「エゼキエルの幻視」
ウルビーノにある「ラッファエッロ像」
二人は13歳差の夫婦でしたが、同じ年頃のカップルに見えます。
コメント: 全4件
from: シニョレッリさん
2015年09月21日 09時10分47秒
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「今日の一枚」として、今日取り上げるのは、この作品です。
ジョヴァンニ・バリオーネの「天上の愛」(1602)です。
ローマ・バルベリーニ宮の国立古典絵画館で展示されてます。
私の写真では作品が良く分からないと思いますので、Web Gallery of Artの作品画像を転載させて頂きました。
ジョヴァンニ・バリオーネは、カラヴァッジョとの因縁で有名です。
この作品もカラヴァッジョの「勝ち誇るアモール」に対抗して描かれたもので、画面左下の悪魔はカラヴァッジョの肖像画と言われてます。腹いせのため、天上の愛に踏みつけられるカラヴァッジョという訳です。
カラヴァッジョの「勝ち誇るアモール」(1601)です。ベルリン国立美術館の所蔵です。
この作品は、ジェノバ出身で金融業で成功したヴィンチェンツォ・ジュスティアーニ侯のために制作されたのですが、バリオーネの作品は、ヴィンチェンツォ・ジュスティアーニの兄であるベネデット枢機卿のために制作されました。
それだけで腹いせが収まらなかったのか、バリオーネは「天上の愛」をもう一つ仕上げました。
これがその作品です。ベルリン国立美術館にあります。
バリオーネは、カラヴァッジョが大嫌いでしたが、彼の作品を見ていくとカラヴァッジェスキ(カラヴァッジョの影響を受けた画家)だったことが分かります。
カラヴァッジョは自分の画法をバリオーネに模倣されたと思って怒っていたのです。
バリオーネとカラヴァッジョとの仇敵関係はこれで終わりではなく、1603年のバリオーネ裁判へと発展します。
この辺の所は実に面白い!
from: シニョレッリさん
2015年08月26日 07時24分17秒
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nasakuraさん、こんにちわ!
コメント、有難うございます。
アーニョロ・ドーニがラッファエッロに依頼した肖像画の製作費については、資料が残っていないので、全然分かりません。
後は、ミケランジェロの「聖家族」の支払を巡るトラブルからの私の勝手な想像です。
パラティーナ美術館で買ってきた美術館の紹介本が長らく積読状態でしたが、ある日、他の画家の作品を調べるために、その紹介本を見ていたら、偶然ドーニ夫妻肖像画のページを目にし、妻のマッダレーナが18歳の時に描かれた肖像画であることが分かったのです。
その時は、ビックリしました。夫のアーニョロとほぼ同年輩の体格の良い中年女の肖像画と思っていましたから。
ドーニ家は、サヴォナローラの失脚後の、所謂ソデリーニによる共和制の時代に、ストロッツィ家やパンドルフィーニ家などの貴族らと共に、私的なパトロンとして、個人礼拝堂や様々な芸術品を注文したのです。
from: nasakuraさん
2015年08月25日 16時38分26秒
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シニョレッリさん、
このアーニョロと妻のマッダレーナの肖像画代をめぐる話、とても興味深いです。
ラファエッロは優男というイメージがあり、なるほど口論するより画で仕返しですか。
ミケランジェロなら喧嘩しそうだし、レオナルドなら途中で辞めちゃうでしょうね。
そんなことを思いながら絵を見るのもおもしろいですね。
それにしても、アーニョロはけちだったのですね。
(大金持ちほどけちと聞いたことありますが)
末代までの恥といいますが、これは未来の世界中に向けての恥ですねぇ。
私はフィレンツェではピッティ宮が一番すきでこの絵も見たことがありますが、
そんなこととはつゆ知らず(モデルが18歳とは思いもよらず)。
格好つけて多すぎるお代を払うこともないでしょうが、
お金持ちなら藝術に対しておおらかになってもよいでしょうに。
教養のないひとだったのでしょうか。
from: シニョレッリさん
2015年09月22日 09時51分49秒
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「今日の一枚」の3回目は、この作品です。
アルテミジア・ジェンティレスキの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」(1612-13)です。
フィレンツェのウッフィツィ美術館にあります。カラヴァッジョ作品がある、同じ展示室で展示されてます。
私の写真では鮮明に映っていないので、作品画像をWeb Gallery of Artから拝借することにしましょう。
数あるユディトの中でもかなり残酷に描かれていると思いますが、何処かで同じような作品を見たことがある、と思いませんか?
先ほど、ウッフィツィ美術館のカラヴァッジョ作品が展示されている同じ展示室で展示されていると書きましたが、それがヒントです。
そうです、この作品です。カラヴァッジョの「ユディト」です。
カラヴァッジョ作品から大きな影響を受けて描かれたのが、アルテミジアの作品なのです。
アルテミジアは、1593年、ローマで画家オラツィオ・ジェンティレスキの最初の子供として生まれました。
幼少から画才を発揮したアルテミジアは、父から絵画を習いました。当時、一般的に画家は女性の仕事と認められておらず、他の画家に弟子入りして修業をすることは困難でした。
父のオラツィオは、カラヴァッジョの友人で、カラヴァッジェスキの画家でした。自分の画風を真似されるのが嫌いなカラヴァッジョは、バリオーネ裁判の中で「オラツィオとは3年も口を聞いたこともない」と証言したほどです。
父から学んだアルテミジアは、当然のことながら父の画風から強い影響を受け、やがてカラヴァッジェスキの画風となったのです。
アルテミジアの「自画像」です。
オラツィオは、1611年または1612年にアゴスティーノ・タッシと共にローマのPalazzo Pallavicini Rospiliosiの装飾の仕事に従事することになりました。それを機にアルテミジアにトスカーナ・スタイルを吸収させるために、タッシに学ばせることにしました。
ところが、師弟関係を越えてタッシ(既婚でした)は結婚すると嘘を言ってアルテミジアを騙し、コジモ・クオルリスと一緒にレイプに及んだのです。
それを知ったオラツィオは烈火のごとく怒り、タッシを訴えたのです。あろうことか、タッシはオラツィオの仕事場から作品も盗んだそうです。
タッシを恨んだアルテミジアは、この「ホロフェルネスの首を斬るユディト」の作品におけるホロフェルネスの首はタッシの顔にして描きました。
実は、アルテミジアの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」には別のバージョンが存在ます。
こちらはナポリのカポディモンテ美術館にあります。
今年2月にカポディモンテに行きましたが、この作品をどうしても見つけることが出来ませんでした。
カポディモンテ版の方が第1作で、1612年頃に描かれたと言われてます。ウッフィツィ版の方はそれよりも約1年後に描かれました。
アルテミジアは、嫌な事件にも拘らずフィレンツェ、ローマ、ナポリで幸せな生涯を送りました。
カラヴァッジョのスタイルで描いた画家、所謂カラヴァッジェスキの画家が数多くいましたが、近年、アルテミジアの評価が高まる一方で、今は最高のカラヴァッジェスキの画家と言われてます。
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