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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

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from: シニョレッリさん

2016年04月24日 07時32分26秒

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ウフィツィ美術館 (下)

美術館・教会巡り(460)ウフィツィ美術館(その10)サーノ・ディ・ピエトロの「ピエタのキリストと聖母と福音書記者聖ヨハネ」(1455‐60c)「コメ

美術館・教会巡り(460) ウフィツィ美術館 (その10)

サーノ・ディ・ピエトロの「ピエタのキリストと聖母と福音書記者聖ヨハネ」(1455‐60c)
「コメントをする」を使用してアップを継続していましたが、写真を数多く掲載したので、重くなってきました。その解決法として、同じ題名で「トピック新規作成」しました。果たしてどうなるか、トライしてみます。

ヴェッキエッタの「玉座の聖母子と聖人たち」(1457)

第19展示室にやってきました。

第19展示室の天井装飾です。

ネロッチオ・ディ・ランディの「聖ベネデットの物語」(1480c)
これは重複してますね、(その7)で既に触れました。

マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖母子と洗礼者聖ヨハネと聖ジローラモと天使たち」(1460‐70)
これも重複しています。

ジョヴァンニ・ディ・パオロの「聖母子と四聖人」(1445)
(その7)で既に紹介済みです。
第19展示室は、2015年2,3,6,7月の時点と2016年2,3月の時点では展示作品の相違点はなくすべて同じです。

第20展示室です。

20室の天井装飾です。

以前よりも非常に見やすくなりました。作品が目線の位置に置かれてます。
ここからは、2015年と違っている部分のみ触れることにしましょう。

アントネッロ・ダ・メッシーナの「玉座の聖母子と二聖人」
去年までは作品を覆うガラス版がありませんでした。

去年は聖母子と福音書記者聖ヨハネは別々に置かれていました。

去年は聖アウグストゥスのパネルがありませんでした。

アンドレア・マンテーニャの「聖母子」(1488‐90)

別名「カーヴェの聖母」と呼ばれてます。

やはり少しづつ違ってました。

展示室や展示作品が変わることに対する美術館の公式見解を引用してみます。
「美術館の様相や編成は、時が経つにつれて変化するもので、見学コースが変更され、コレクションの作品数が増加(あるいは減少)することがよくある。さらに、作品の制作者の推定が変わったり、修復によって作品のイメージが違ったものとなったり、時代の美的傾向が変化して展示や整理の仕方が影響を受けると言うこともある。公共のコレクションにおいてこうした現象がしばしば見られるのは、人類の知識的活動とあいまって、美術史学と博物館学の分野においても絶え間なく進歩と変遷が生じているからである」
だから、展示室と作品の刷新を行っているのだ、と結んでいます。

第21展示室です。
重複を避けるために、2015年と違っている部分のみ触れることにします。

ジョヴァンニ・フランチェスコ・カロートの「嬰児虐殺」(1500c)
カロートの作品といえば、先ず脳裏に浮かぶのは「漫画を持つ少年の肖像」です。ヴェローナのカステルヴェッキオ市立美術館にあった、この作品は昨年11月に盗まれて、現在行方不明となってます。容疑者が逮捕されたのですが、作品の所在が分からず、戻ってくるのか心配です。

ジョヴァンニ・フランチェスコ・カロートの「星占いをする三賢人と聖ジュゼッペ?と福音書記者聖ヨハネ」(1500c)

21室はチョット人気に欠けるようです。

天井のフレスコ画が素晴らしい!

作品だけではなく、時には天井に目を向けてやってください。

第22展示室です。

22室の天井装飾です。

現在、22室は混雑しています。

混雑の理由は、ピエロ・デッラ・フランチェスカの「ウルビーノ公爵夫妻の肖像」(1467‐70c)が展示されているからです。
臨時的措置で22室に置かれていますが、恒久的になるかも知れません。元々は第7展示室「初期ルネサンス絵画」に置かれていました。
それにしても旧第7展示室の傑作パオロ・ウッチェッロの「サン・ロマーノの戦い」、マザッチョの「聖母子」。マザッチョとマゾリーノの「聖アンナ・メッテルツァ」が何処にも展示されてません。

血の気がなく青白く描かれている夫人の肖像は、夫人の死後にピエロが描いたことを示しています。

フェデリーコ

裏面にも描かれてます。

裏面の二つはいずれも「勝利の寓意」となってます。

透明感のある風景描写に見とれてしまいます。

私が初めて、このピエロの作品を観たのは30年以上前のことですが、当時はピエロの人気はそれ程でもなかったように思います。

ロヒール・ファン・デア・ウェイデンの「キリストの埋葬」(1460c)

廊下に出ました。

(つづく)

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from: シニョレッリさん

2016年04月29日 09時11分18秒

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美術館・教会巡り(460) ウフィツィ美術館 (その15)

第41展示室です。

41室におけるボッティチェッリ作品の展示は一時的なものと聞いてますが、今後どうなることでしょうか。

ボッティチェッリの「キリストの鞭打ち」(1500-10)

この場所に「マギの礼拝」が展示されていましたが、東京都美術館で開催中にボッティチェッリ展に貸し出し中なので、その代わりに「キリストの鞭打ち」が展示されていたのです。
こんなことが出来るのは、ウフィツィ美術館が非常設展示のボッティチェッリ作品を保有しているからです。
ウフィツィ美術館保有の非常設展示作品全てを網羅したWebサイトがあります。我々が美術館で見ることが出来る作品、つまり常設展示ですが、作品数から言えば、非常設展示作品の方が多いのです。
ただ、非常設展示作品を常設展示にして欲しいと言いたい所ですが、それを言うことが出来ません。体力的に今の常設展示作品を観るだけで限界だからです。

ボッティチェッリの「マニフィカトの聖母」(1483c)

ボッティチェッリの「ヴィーナス誕生」(1484c)
この作品が日本に来ることはないでしょうね。
ボッティチェッリの「春」(1482c)
「ヴィーナス誕生」と「春」はヴィッラ・メディチにありましたが、そこに住んでいたカテリーナ・スフォルツァと孫の、後のコジモ1世が毎日これらを見ていたんですね。

ボッティチェッリの「カルバリーへの道」(1500-10)

この場所に「誹謗」が展示されていたのです。「誹謗」は東京で出張展示されていました。今は戻されていると思います。

ボッティチェッリの「ホロフェルネスの胴体の発見」(1470‐75)と「ユディトの帰還」(1470‐75)

ヒューホ・ファン・デル・グースの「ポルティナーリのトリプティク」(1476‐78c)の中央パネル
大きなトリプティクなので、全体の写真がうまく撮れません。

トリプティクの、向かって左

向かって右

ボッティチェッリの「メダルを持つ男の肖像」(1475‐76)

ボッティチェッリの「サンタブロージョの祭壇画」(1467‐69c)

ボッティチェッリの「ロッジアの聖母」(1465‐70)

この場所に「パラスとケンタウロス」がありましたが、この時(2016年3月)はロンドンに貸し出し中でした。

ボッティチェッリの』ザクロの聖母」(1465‐70)

42室の展示は、作品を紹介する説明板がありませんでした。

沢山の彫刻が展示されてます。

彫刻は説明板がないとお手上げです。

再度、第三廊下に出ました。

多分、ここは一時的な展示室と思います。
2009年の公認ガイドブックを見ると、写真に扉が写ってますが、その扉の先にも展示室がありました。

ピエル・デル・ポッライオーロに帰属する「婦人の肖像」(1480‐85c)

アルブレヒト・デューラーの「父の肖像」(1490)

ハンス・メムリンクの「男の肖像」(1490c)

ハンス・メムリンクの「手紙を持つ男の肖像」(1475‐80c)

ハンス・メムリンクの「聖ベネデット」(1487)

アントニオ・デル・ポッライオーロの「ヘラクレスとヒュドラ、ヘラクレスとアンタイオス」(1475c)

パオロ・ウッチェッロの「聖モナカ」(1432-35c)

マゾリーノとマザッチョの「聖アンナ・メッテルツァ」(1424-25c)
ルネサンス初期における極めて重要な作品です。

ベアート・アンジェリコの「聖母戴冠」(1434-35c)

マザッチョの「聖母子」(1426c)

これも西洋絵画史上、重要な作品です。

ドメニコ・ヴェネツィアーノの「サンタ・ルチア・デイ・マニョーリの多翼祭壇画」(1445-47c)
多翼祭壇画は分解されて世界各地の美術館にあります。マニョーリのサンタ・ルチア教会の主祭壇を飾っていたのが画名の由来です。

上記作品の浮彫(詳細不明)

パオロ・ウッチェッロの「サン・ロマーノの戦い」(1438c)

ボッティチェッリの「聖母子」(1469‐70c)

Maestro dei Ritratti Baroncelliの作品です。

(つづく)

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from: シニョレッリさん

2016年04月30日 08時41分00秒

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美術館・教会巡り(460) ウフィツィ美術館 (その16)
階段を下りて2階に移りました。
近年、2階展示室の充実が著しいものがあり、行く度に新たにオープンされた展示室の展示作品に魅せられます。
しかしながら、(その16)で取り上げるのは、私の好みの範疇外の外国画家たちの作品なので、忍従あるのみです。

「ディアナ」(ローマ時代彫刻の複製 制作者不明)

バッチョ・バンディネッリの「ラオコーン」の複製作品
本物はヴァチカン美術館にあります。

「イノシシ」(1世紀)の複製彫刻(制作者不詳)

Frans Van Mieris Il Vecchio(Leida 1635-1681)の「自画像」(1676)

Pieter Cornelisz Van Slingelandt(leida 1635-1681)の「シャボン玉遊び」(1661)

Gerrit Dou (leida 1613-1675)の「ドーナツ売り」(1650‐55c) 
Fans Van Mieris Il Vecchioの「テーブルの老人夫婦」(1650‐55c)

Jan Steen (Leida 1626-1689)の「昼餐」(1650‐60)

Gabriel Metsu (Leida 1629-Amsterdam 1667)の「犬と遊ぶ少年と楽器を奏でる女」(1660‐65c)

Gabriel Metsuの「淑女と紳士」(1660‐65c)

Gerrit Douの「夜学校」(1660‐65)

Gerrit Douの「自画像」(1658)

Gaspar Netscher (Heidelberg 1639-L'Aia 1684)の「調理器具を洗う女」(1664)

Gaspar Netscherの「リュートを弾く女」(1668)

レンブラントの「若い音の肖像」(1639c)

レンブラントの「老人の肖像」(1665)

Godfried Schalcken (Made 1643-L'Aia 1706)の「自画像」(1695)

Jacob Isaaksz. Van Ruisdael (Haarlem 1628/29-Amsterdam1682)の「荒天の風景」(1660‐70c)

Bartholomeus Van Douven (Duesseldorf 1688-1726)の「Allegoria degli Elettori Palatini」(1722)

ルーベンスの「イザベラ・ブラントの肖像」(1626c)

アントン・ヴァン・ダイクの「カルロス5世の騎馬像」(1621-27)

アントン・ヴァン・ダイクの「マルグリート・ドゥ・ロレーヌの肖像」(1634)

ルーベンスの「自画像」(1628c)

ルーベンスの「ユディト」(1626-34)

Pieter Boel (Anversa 1622-Parigi 1674)の「鶏を威嚇する鷹」(1650‐60c)

Artus Wolfordt (Anversa 1581-1641)の「若い女性たちの水浴」(1620c)

Jan Van Dalen Iに帰属する「バッカス」(1630-50c)
(つづく)

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