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from: シニョレッリさん
2013年06月30日 10時41分04秒
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リナッシメント芸術家(39) ジュゼッペ・チェーザリ(ダルピーノ)
カラヴァッジョを語るとき、カラヴァッジョとの関係で欠かすことが出来ない画家がカラヴァッジョの三歳年上のジュゼッペ・チェーザリ、通称カヴァリエーレ・ダルピーノまたはジュゼッピーノでしょう。
Guseppe Cesari, detto Cavaliere d'Arpino o Il Giuseppino(1568アルピーノ生まれ~1640ローマで没):16世紀から17世紀前半のローマ絵画界にあって最も主導的な役割を果たしたマニエリスム画家です。
ローマのマニエリスム画家ニッコロ・ポマランチオに師事して、ポマランチオ工房で修業しました。
当初、力強いカラフルな画風でしたが、早くも17歳の1585年にはアッカデミア・ディ・サン・ルカのメンバーに選出されました。20歳ころに描いた明るく華やかで装飾性に富んだフレスコ画が注目され、中でも教皇クレメンス8世に気に入られ、22-23歳ころには多くの公的注文を受ける売れっ子画家になり、大聖年1600年に際して行われたサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の壁画装飾はダルピーノの監督下で行われました。
気難しく怒りっぽい性格でしたが、上の人たちに対するときはその性格を隠して愛されるという、つまり追従が得意だったようです。
シクトゥス5世からも寵愛を受け、17世紀の最初の20年間ではローマで最も名声を得ていました。また、アッカデミア・ディ・サン・ルカの初代総裁フェデリーコ・ズッカーリの後を継いでローマ絵画界を牛耳るようになりました。
しかしながら、1590年台にローマに現れたアンニーバレ・カラッチとカラヴァッジョによる新しい表現は、ローマ絵画界に於ける好みの変化を齎し、ダルピーノの名声は次第に色あせたものとなったのです。
明るさと華やかさで一時は時代の寵児となりましたが、その作品の多くは繰り返しの空虚なもので、ローマ絵画界の好みの変化に応じたとされる後期の作品も革新性とは無縁の存在でした。
直接の弟子はムーツィオとベルナルディーノの二人の息子しかいませんでしたが、ダルピーノの繁栄した工房にはカラヴァッジョの他にピア・フランチェスコ・モーラ、フランチェスコ・アッレグリーニ・ダ・グッビオ、グイド・ウバルド・アバティーニ、ヴィンチェンツォ・マネンティ、ベルナルディーノ・パラゾーレらがいました。また、ジョヴァンニ・バリオーネは協力者でした。
カラヴァッジョとグイド・レーニの才能を早くから見出したのがダルピーノと言われています。(後述します)
という事で、現在の評価としては、取るに足らない画家に近いというところが適切でしょう。
さて、カラヴァッジョとの関わりに話を進めましょう。
ダルピーノ25歳の1593年、カラヴァッジョがダルピーノ工房に加わり、花や果物を描く仕事に従事しました。二人の関係はカラヴァッジョがダルピーノの助手を務めたという説がありますが、実際はダルピーノに入門した格好だと思います。ダルピーノがカラヴァッジョの死後も作品を持っていたこと(ボルゲーゼ美術館の「果物かごを持った少年」や「病めるバッカス」)から、ダルピーノがカラヴァッジョの類稀な才能を見抜いていたことは確かでしょう。
ダルピーノ工房でカラヴァッジョは画家プロスぺロ・オルシと親友になり(オルシはカラヴァッジョの15歳年上)、オルシの勧めによってダルピーノを僅か8か月で辞めてしまいます。その間、カラヴァッジョは馬に蹴られた怪我治療のため入院するのですが、ダルピーノは一度も見舞いに行かなかったそうです。その為、ダルピーノとカラヴァッジョの関係が悪いとの説があります。また、関係は良好だったという説の二つの説がありますが、真偽はどちらなのでしょうか。
関係が良好だった説の根拠:
①ダルピーノがカラヴァッジョの死後もカラヴァッジョ作品を持っていた。
②有名なバリオーネ裁判で、カラヴァッジョは尋問を受けましたが、その尋問で当時ローマで活動した画家のうち、優れた画家5人を挙げていますが、その中に一人がダルピーノでした。
関係が悪かったら、優れた画家には推さないでしょう。
関係が悪かった説の根拠:
これはカルロ・チェーザレ・マルヴァシアCarlo Cesare Malvasia(1616-1693)が著した「グイド・レーニの伝記」が根拠のようです。
その伝記の中で、「ボルゲーゼ枢機卿が一旦カラヴァッジョに注文することに決めた「聖ペテロの逆さ磔」の話を聞きつけたダルピーノは『レーニならばカラヴァッジョ風に描ける』と枢機卿を説得して、一転してレーニが描くことになった」と述べています。その伝記では「カラヴァッジョはダルピーノの不倶戴天の敵」とか、「そのグイドの作品を見たカラヴァッジョは、レーニが強力な自分の競争相手と見做し、折に触れてカラヴァッジョはレーニを脅した」などと書かれています。
少し脱線しますが、ここで、そのグイド・レーニの「聖ペテロの逆さ磔」を見てみましょう。
確かにレーニの作品の中では、カラヴァッジョの影響が最も強くうかがえます。
では、ダルピーノの作品を幾つか見ることにしましょう。
ボルゲーゼ美術館にある「キリストの背信」(1596-97)です。
ボルゲーゼ美術館で展示されている「エジプトへの逃避」(1595)です。これがダルピーノの最も優れた作品だと思います。
ローマ、国立古典絵画館(バルベリーニ宮)の「ラザロの蘇生」(1592)です。
ローマ、サンティ・ビアージョ・エ・カルロ・アル・カティナーリ教会の「嘲笑されるキリスト」(1598c)です。
ローマ、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂パウリネ礼拝堂の天井装飾(フレスコ)(1600c)です。
ローマ、サンタンジェロ城国立博物館の「プロスぺロ・ファリナッチオの肖像」(1607c)です。
以上の他に私が観たダルピーノの作品リストを載せて、この項を終わることにしましょう。(最近、私が観た作品を画家別に整理する作業をさぼっているので不完全です)
ローマ、コルシーニ美術館:「ラザロの蘇生」
ローマ、カピトリーノ美術館:「サビーネ女の掠奪(フレスコ)」(1635-36)「ホラッティとクリアッティの戦闘(フレスコ)」(1612-13) -
from: シニョレッリさん
2013年06月28日 17時07分46秒
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預け入れ荷物の破壊や盗難
夏休暇を利用してイタリアに向かう方々がいらっしゃると思いますが、欧州で頻発している、中でもイタリアが最も多い、預け入れ荷物の破壊や盗難には困ったものです、気をつけてくださいね。
イタリアの空港で組織的に荷物を開け、盗みを働いていたとして、アリタリア航空係員ら86人逮捕のニュースはイタリアでも大々的に報道されました。その時、イタリア旅行中でしたが、そのような感じはずっと前からあって、やはりそうだったのかと思いました。
私自身は幸いにも一度もそのような被害にあわないで済んでいますが、荷物受取所で被害に遭遇した人を何度も見ています。成田―ミラノ間、成田―ローマ間の直行便でも被害にあった人を見ているので、対策は貴重品を入れないことぐらいで、まあお手上げですね。成田で破壊・盗難は考えられないので、イタリアに着いた荷物から盗みをやっているのでしょう。
FSフィウミチーノ駅のレオナルド・エクスプレスですが、本件とは関係ない写真です。-
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from: ぐら姐さん
2013年06月29日 05時39分21秒
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シニョレッリさん、おはようございます。昨晩あまりに早く寝たら、3時ごろに目覚めて全然眠くありません。昨晩の睡魔は、朝4時からのコンフェデ杯を見たために
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from: シニョレッリさん
2013年06月28日 09時34分49秒
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街歩き(24) レカナーティ(マルケ州マチェラータ県)
レカナーティは人口約2万1千人ほどの緑に囲まれた丘陵にある、中世に重要な歴史を刻んだ魅力溢れる街です。
この街を訪れる観光客の目的はロレンツォ・ロットの傑作との出会いだと思います。日本ではあまり人気があるとは言いかねる、と言うよりも不当に無視されていると言った方が適切かも知れませんが、欧州では高く評価されている画家なのです。
バスが走っているフィリッポ・コッリドーニ通りです。
レカナーティに行くには、FSポルト・レカナーティ駅又はFSロレート駅からレカナーティ行きのバスに乗るか、アンコーナからロレート経由レカナーティ行きのバスを利用します。
バス通りから見上げると旧市街が広がっています。
実際はバスを降りてから直ぐにホテルに向かい、大きな荷物をホテルに預けてから街歩きを始めました。
天気が良ければ、眼下に絶景が大きく広がりますが、残念ながら氷雨、午後には雪の悪天で冴えません。
先ず市立博物館に向かいます。
ロマーナ門から旧市街に入ります。
坂道を上ります。
市立博物館、大聖堂などは「美術館・教会巡り」で既に触れたので省略しましょう。
最も賑やかなローマ通りですが、時々車が通るくらいでした。
左は13世紀に建てられたサン・ヴィトー教会です。
ジュゼッペ・ヴァレリアーニ、ポマランチオ、ピア・シモーネ・ファネッリ、フェリーチェ・ダミアーノなどの作品があるので楽しみでしたが、サン・ヴィトー教会は閉まっていて残念でした。
ここもサン・ヴィトー教会の一部です。
横長の旧市街ですが、漸く街の中心にやってきました。
街の中心、レオパルディ広場です。
イタリアを代表する詩人「ジャーコモ・レオパルディ像」です。レオパルディはレカナーティで生まれました。
12世紀の建てられた、高さ30mの街の塔Torre del Borgoです。天気が良ければ上ることが出来ますが、生憎、雨で滑り易く視界が悪いとの理由で立ち入り禁止となっていました。
街の塔の横にある建物は市役所です。
市役所の一部は市立博物館の別館となっていて、レカナーティ生まれのテノール歌手べニアミーノ・ジーイなどの遺品や古代遺跡などが展示されています。
見所沢山の街ですが、降りしきる雨に靴下が濡れてきました。
こうなってしまうと2月の旅は辛いもの。
未だ昼過ぎですが、段々暗くなってきました。
仕方が無いので、トラットリアでゆっくりと食事をしてからホテルに戻りました。
ロレートまではバスで10-15分なので、ロレートとセットでレカナーティに行くのが良いかも知れません。-
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ぐら姐、
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from: シニョレッリさん
2013年06月27日 09時17分13秒
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美術館・教会巡り(141) レカナーティ、サン・フラヴィアーノ大聖堂
今回のレカナーティ大聖堂ですが、私には殆ど分からない教会なので本当はパスしたい所です。でも、レカナーティに行って、教会巡りでわざわざ大聖堂を外すのも変なので、敢えてここに取り上げる次第です。
大聖堂は旧市街の西端にあります。漸くドゥオーモ広場に出た所で、今来た道を振り返って撮りました。
ドゥオーモ広場です。
右の建物が大聖堂です。
教会には見えないような建物です。この道の突き当りに市立博物館があります。
大聖堂と書いていますが、正式にはConcattedrale、つまり共同大聖堂と訳すのでしょうか?「共同」と言うからには、対になっているもう一つの教会があるのでしょうか?あるとすれば、どの教会?
確かコルトーナ大聖堂も正式には共同大聖堂だったように思いますが・・・
ファサードなしの教会です。
地元では普通に大聖堂となっています。
10世紀頃に建てられた教会の上に、13世紀に新たに創建された教会が母体です。10世紀頃の教会は大聖堂のクリプタにあるそうです。(クリプタには入れませんでした)
教会らしい後陣です。
献堂は1389年で、完成は16世紀になってからでした。1805年、Concattedraleとなりました。
中に入ればこの辺は身廊ですが外観は普通の建物に見えます。
教区博物館が設置されていますが、開いている筈の日時に行っても閉まっています。一度も中に入ったことがありません。この日は2月の雨天の寒い日ですから、予想通り閉まっていました。
内部は三廊式で比較的新しく見えます。
外観は完成時の姿を留めますが、内部は何度も修復・改造が行われ、現在の姿は17世紀中頃に行われた改造後のものです。
右側廊からの写真です。
左右の側廊には礼拝堂が設けられています。各礼拝堂には祭壇画などがありますが、教会の資料やWikipediaなどには祭壇画などへの詳しい言及がなく、制作者名など詳細は一切分かりません。
主祭壇です。
天井装飾です。恐らく17-18世紀のものでしょう。
形式から推察すれば15世紀頃のフレスコ画と思いますが・・・
これは比較的新しいものでしょう。
ピア・シモーネ・ファネッリ作?
以上のうち、秀作は3点ほどでしょう。
でも説明なしでは全くのお手上げです。この辺の所を整備して頂ければ有難いのですが・・・でも信仰の場なので、絵画ファンへのサービスは教会としては余計な事でしょうね。-
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ぐら姐、
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from: シニョレッリさん
2013年06月26日 09時22分07秒
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美術館・教会巡り(140) レカナーティ、サンタゴスティーノ教会
教会があるファッレローニ通りです。突き当りのように見える手前に教会があります。
サンタゴスティーノ教会です。教会の横に大きな修道院があります。
道幅が狭いので教会全体の写真が撮れません。
ファサードは1485年に完成しました。
1270年に創建されたロマネスク様式の教会ですが、15世紀にリナシメント様式に改造されました。
剥き出しの煉瓦造り鐘楼は13世紀に建てられました。
教会は修道院を併設しています。こちらは修道院のキオストロです。
修道院も13世紀の創設ですが、その後、二度に渡る大改修を受け、現在の姿は18世紀の二度目の改修後のものです。
修道院は他の用途に転用されているようで、中に入ることが出来ません。
修道院にあった祭壇画は市立博物館に移されたそうですが、どの作品なのか分かりません。
入口上ルネッタ装飾はジュリアーノ・ダ・マイアーノとドメニコ・ダ・マイアーノの二人によるもので、1468年の完成です。
翼廊がない単身廊の内部です。
左右に礼拝堂が設けられています。
外観と異なり比較的新しく見える内部ですが、17世紀に行われた改造によるものです。
改造前には天井を含め、壁と言う壁にはフレスコ画で覆われていたそうです。それらの剥離フレスコの一部が市立博物館で展示されているOlivuccio di Cicarelloの作品です。
この教会には見るべき祭壇画が比較的多いと思います。
ポマランチオの「栄光の聖母と聖人たち」です。
正面からの写真は画面が光ってどうにもなりません。
ポマランチオの「栄光の聖母子と聖人たち」です。
18世紀のマルケの無名画家による「トレンティーノの聖ニコラ、モンテファルコの聖女キアラ、カスチアの聖女リータとマラヴァッレの聖グリエルモ」です。
ピア・シモーネ・ファネッリ(1641アンコーナ生まれ~1703レカナーティで没)の「聖母子と聖人たち」です。
17世紀のマルケの無名画家による「聖母子と聖人たち」です。
ピア・シモーネ・ファネッリの「聖人たち」です。
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ1550c-1603)の「聖母子と聖人たち」です。-
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from: シニョレッリさん
2013年06月24日 10時57分03秒
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美術館・教会巡り(140) レカナーティ市立博物館
おびえる聖母を描いた、ロレンツォ・ロットの非常にユニークな「受胎告知」を知ったのは、美術本からで随分前の事です。レカナーティ市立博物館で展示されていることは、その本から分かりましたが、レカナーティが遠くにあるので中々訪れる機会がありませんでした。初めて行ったのは2004年でしたが、ロットの作品とレカナーティの落ち着いた街並みに直ぐに病み付きになり、その後度々訪れています。
博物館は旧市街の西端にあるので、9月20日通りを西に向かいます。
街の西の入り口ロマーナ門です。左に見えるのがドゥオーモです。
左はロマーナ門、右がドゥオーモです。右の道の突き当りが博物館です。
これは市立博物館が置かれているVilla Colloredo Melsです。
7世紀頃からのマルケ州貴族コッロレード家の別荘です。
この別荘の裏に広大な市立庭園がありますが、庭園はコッロレード家の農園だったところで、19世紀頃まで葡萄やオリーヴ、野菜などが栽培されていました。
別荘ではヴィーノの醸造も行われていたそうです。
この別荘は16世紀に建てられましたが、17世紀に新古典様式に改造され、現在、見ることが出来る建物は改造後のものです。
建物の中に入ります。
博物館の入り口です。
2月の雨が降りしきる寒い日で、例によって入館者は私一人でした。
展示室はイタリアの1階、日本でいう2階にあります。
第1室です。ありました、「受胎告知」が。
ロレンツォ・ロットの「受胎告知」(1527c)です。受胎を告知する大天使ガブリエルの驚き怯えて逃げ出す聖母です。クロネコは悪魔の象徴として描かれています。
展示室天井の装飾も見どころです。
ロレンツォ・ロットの帰属作品とされる「天上のキリスト」です。私にはどうもロットの筆とは違うような気がします。
Olivuccio di Ciccarelloの「天使たち」(剥離フレスコ)です。
これもオリヴッチオの剥離フレスコ「キリスト」です。以上、2点はサンタゴスティーノ教会にあったフレスコ画だそうです。
グレゴリオ・パガーニの「聖母子と聖人たち」です。
フェリーチェ・ダミアーニ・ダ・グッビオの「チルコ・マッシモの聖人たち」です。
ヴィンチェンツォ・パガーニの「聖母子」です。天使たちが家を運んでいますが、ロレートの聖なる家を描いたのでしょう。
コッロレード家の人々の衣装だそうですが、何の用途の衣装でしょうか?
Olivuccio di Ciccarelloの剥離フレスコ「受胎告知」ですが、一枚の写真では撮りきれないので大天使と聖母に分けて撮りました。
この剥離フレスコはサンタゴスティーノ教会にあったそうです。
マルケ州の無名画家による「聖母子」です。中々の出来だと思います。
ピエトロ・ディ・ドメニコ・ダ・モンテプルチャーノの「聖母子と四聖人の多翼祭壇画」です。見事な作品です。
時間が無くなってきたので、この辺で一旦終わります。
(その2に続きます)-
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ぐら姐、
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2013年06月24日 15時33分35秒
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レカナーティ市立博物館(その2)博物館は1988年に設置されました。ここの見所は何と言ってもロレンツォ・ロットの真作3作品でしょう。ロレンツォは150
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from: シニョレッリさん
2013年06月22日 15時17分32秒
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リナシメント芸術家(38)ジョヴァンニ・バリオーネ
バロッコ期に主にローマに活躍した画家ジョヴァンニ・バリオーネはカラヴァッジョ及びカラヴァッジェスキの反対者・敵対者として有名ですが、不思議なことにバリオーネの画風が一時的にせよカラヴァッジェスキ以外の何ものでもなく、彼が著した「画家・彫刻家・建築家たちの生涯」の中で「カラヴァッジョ伝」(カラヴァッジョに対する悪意に満ちていますが)を書くなど、敵対者どころかカラヴァッジョの崇拝者とも取れる行動をとった、誠に興味ある人物だと思います。
Giovanni Baglione(1566頃ローマ生まれ~1643ローマで没):ローマの画家フランチェスコ・モレッリに師事、初期は後期マニエリスムの画風でした。数々の聖堂装飾に従事するうちに1580年までに教皇庁に注目されるようになり、次第にジュゼッペ・チェーザリと共にサン・ジョヴァンニ・ラテラーノ大聖堂やサン・ピエトロ大聖堂の壁画装飾など重要な仕事に携わるようになりました。その当時の画風はジュゼッペ・チェーザリの影響を受けたものでした。1606年には長年に渡る教皇庁への功績によって、パウルス5世から騎士に任じられました。また、サン・ルカ・アカデミーの創立以来のメンバーで、後にアカデミー院長を務めるなど画家としての政治面でも活躍しました。当時、ジュゼッペ・チェーザリに次ぐ画家として大いに評価されましたが、1590年代にローマに来たアンニーバレ・カラッチやカラヴァッジョの新鮮な表現によって齎された、ローマ絵画界に於ける好みの変化に付いていけず、バリオーネの画家として評価は次第に低下したのです。それがあったので、一時的にカラヴァッジョの強い明暗効果と写実描写を取り入れるようになったと思われます。1620年ころになって、カラヴァッジョの影響から脱してバリオーネ独自の画風に転じましたが、アカデミーの仕事では活躍したものの、画家としては然程見るべきものがなく終わりました。
バリオーネが今でもよく知られているのは、やはりカラヴァッジョとの関係、中でも「バリオーネ裁判」があったからでしょう。
ローマのジェズ教会です。ここがカラヴァッジョとバリオーネの因縁の舞台となりました。
ジェズ教会の祭壇画を巡り、バリオーネ、カラヴァッジョなどローマ画家たち間で受注競争が起きましたが、持ち前の政治力を発揮してバリオーネが受注に成功し、制作されたのが1602年に完成した「キリストの復活(後に取り外され行方不明です)」です。どうも一旦はカラヴァッジョに発注することが決まっていたらしいのですが、ローマ中枢部に強いバリオーネが権謀術数を駆使して逆転受注に成功したようです。
翌年春ごろからバリオーネとこの作品を誹謗中傷する詩が流行するようになりました。バリオーネは大いに怒り、8月になって遂に名誉棄損の訴訟に踏み切りました。その詩を作り、それを広めた首謀者としてカラヴァッジョ、オラツィオ・ジェンティレスキなど4人を訴えたのです。そしてカラヴァッジョたちの被告は逮捕され訊問を受けました。これが有名な「バリオーネ裁判」で、原告であるバリオーネの訴状、被告4人の訊問記録、訴訟記録などがすべて残されており、当時のローマ絵画界を知る上で貴重な資料となっているのです。訴訟自体は非常に有名なので、改めて私がここで触れる必要はないでしょう。
ただ、実はこの訴訟には幾つかの背景又は伏線というべき因縁があるので、それについて簡単に触れましょう。
カラヴァッジョの傑作「勝ち誇ろアモール」です。国立ベルリン美術館にあります。
カラヴァッジョの「勝ち誇るアモール」に対抗、と言うよりも虚仮にするために描かれたバリオーネの「聖なるアモールと俗なるアモール」です。奇しくも、この作品も国立ベルリン美術館にあります。
カラヴァッジョ・スタイルを真似て、強い明暗効果と写実表現によって聖なるアモールが「俗なるアモール=勝ち誇るアモール」を足蹴にしている訳で、要すればカラヴァッジョ作品を虚仮にしたのです。カラヴァッジョは自分のスタイルを真似されるのが大嫌いで、盟友のオラツィオ・ジェンティレスキがカラヴァッジョ・スタイルで作品を描いた時、オラツィオと暫く口を利かなかったと言われているくらいですから。
また、カラヴァッジョには元々「聖なるアモールと俗なるアモール」があって(現存しません)、わざわざカラヴァッジョ・スタイルで「俺の方が腕が上」とばかりに同じ構図でバリオーネが描いたとの説もあるようです。
では、バリオーネの他の作品を見てみましょう。
ロレート市立絵画館にある「聖母子と聖人たち」です。(私の写真)
バリオーネの「マギの礼拝」ですが、カラヴァッジョと奇妙な縁で結ばれているのか、ローマのサン・ルイージ・デイ・フランチャージ教会にあります。(私の写真)
国立ベルリン美術館にある作品の別バージョンの作品で、ローマ、バルベリーニ宮の国立古典絵画館にあります。
バリオーネ晩年の1640-42年制作の「ユディト」です。ボルゲーゼ美術館にあります。
これ以上、彼の作品画像が見つかりません。
という事で、私が観た彼の作品リストを掲げてこの項を終わりましょう。
ローマ国立古典絵画館:「羊飼いの礼拝」「洗礼者ヨハネ」「アポストリの足を洗うキリスト」
ローマ、カピトリーノ美術館:「栄光の聖母」
ローマ、サンタンジェロ城国立博物館:「荊刑のキリスト」
ローマ、サンタ・マリア・デル・オルト教会:「聖母伝」「聖セバスティアーノと天使」「パドヴァの聖アントニオ」「聖ボナヴェントゥーラ」「聖母子と聖人たち」(フレスコ)「聖母子と聖人たち」
サン・ピエトロ大聖堂:「聖ペテロによるタビタの復活」(一部しか残っていません)
画家としては後世に名を残す存在ではありませんが、皮肉なことに嫌悪して已まなかったカラヴァッジョとの関連によって永遠に忘れられることはないでしょう。 -
from: シニョレッリさん
2013年06月21日 14時16分23秒
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街歩き(23) パヴィア
地元の人は「パヴィーア」と言っているように聞こえますが、「パヴィア」とどっちが正しいのでしょうか?
パヴィアはロンバルディア州パヴィア県の県都で、非常に豊かなコムーネとして知られています。
駅舎です。
イタリアの国民一人当たりの年間所得を100とすれば、ロンバルディア州は133だそうですが、パヴィアは146と更に上を行きます。
駅から旧市街に向かう通りです。
歴史あるパヴィア大学との産学共同によって、郊外での工業発展などに加えて、肥沃な土壌による農産物が豊かさを生み出しているそうです。
旧市街の入り口ミネルヴァ広場です。
広場にあるのは勿論「ミネルヴァ像」です。
裁判所です。
15-18世紀に建てられた建物は県や市の庁舎として使用されています。
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。
ドゥオーモです。
街の中心ヌオーヴァ通りです。
街の繁栄は裏通りを見れば大体分かります。
これが南イタリアとなると、一歩裏通りに入ると貧しさを感じてしまうのが普通です。ご参考までに先ほどの一人当たりの所得を示すと、カラブリア州が54、バジリカータ州が56、カンパニア州が65、シチリア州が66、プーリア州が71だそうで、下位5州は全部南イタリアの州が占めているそうです。これが所謂南北問題の根源なのでしょう。(先のセミナーでの配布資料によります)
この裏通りにヴァイオリン工房がありました。
16世紀に建てられたクーラ・モベッリ邸ですが、市の観光案内に載っている理由が分かりません。
サン・ミケーレ・マッジョーレ教会です。以上の3教会については、既に「美術館・教会巡り」で触れました。
街の南を流れるティチーノ川です。
ティチーノ川に架かるコペルト橋です。
1944年、橋は空爆によって破壊され、現在の橋は戦後に再建されたものだそうです。
中央の建物は11-12世紀に建てられた「アクィラの塔」です。塔が建てられた時、左右の建物は無く、塔は今よりも高ったそうです。
塔の一階はオステリアになっています。
ヌオーヴァ通りを大学の方に向かいます。
パヴィア大学です。
大学本部の入り口です。
大学の中に入れます。この像は誰?
大学の学舎は分かれており、その前に有名な卒業生の像が置かれています。
フラスキーニ劇場です。
劇場ではオペラ、コンサートなどが上演されています。非常に質が高いのが特徴で、ミラノ・スカラ座に出演する歌手がここで歌っています。
ヴィスコンティ城です。
場内です。
豊かな自然、豊富な食材と美味しい料理、現代と中世が見事にマッチしているのがパヴィアで、私にとっては何回でも行きたい街の一つです。-
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2013年06月21日 09時23分02秒
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美術館・教会巡り(139) レカナーティ、サン・ミケーレ教会
街の中心を貫くカヴール通りです。気温が低い雨の日で、夜にはとうとう雪になってしまいました。
教会らしき建物が見えてきました。手前は教会に隣接する劇場です。
ジュゼッペ・ペルシアーニ劇場は、現在、現代文化博物館となっています。
カヴール通りに面したサン・ミケーレ教会です。教会前で大掛かりな工事が行われていて、教会全景の写真が撮れません。
1234年創建のロマネスク様式の教会でした。然し、屋根の一部が落ちるなど老朽化が進んだことから、カルロ・オラツィオ・レオパルディの設計によって、土台と一部の柱を除き殆ど全面的というべき大掛かりな改造が行われ、漸く1783年に完成したものが現在の姿となっています。
単廊式のこじんまりした内部です。
左右に礼拝堂が設けられています。
右側の柱の一部に剥離が進んだフレスコ画があった筈ですが、全くありません。
Francesco Maria Ciaffoni(1720-1802)の「栄光の聖母と聖人たち」です。
「ロザリオの聖母像」ですが、制作者不明です。
この修道女のアトリビュートは何でしょう?誰を描いたのか分かりません。
20世紀前半の「聖母子」です。
直ぐ前に掲載した「聖母子」の上にある祭壇画です。これも作者不明です。
この作品も誰の作品なのか分かりません。
この教会にあったピア・シモーネ・ファネッリの作品は市立美術館に移され、そこで見ることが出来ます。-
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2013年06月19日 17時03分32秒
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傑作選(72) ヴィンチェンツォ・カテーナの「ユディト」
先ずはともあれ作品画像を載せましょう。
1520-31年に制作されました。この作品はヴェネツィアのクエリーニ・スタンパリア絵画館にあります。
背景の穏やかな風景が何処となくジョルジョーネ風に見えます。それにユディトの悠揚迫らぬ冷ややかな態度の中にあって、特に強い視線が目に焼き付きます。多くの画家たちが手掛け、定番ともいえる画題のユディトの中では極めて印象的な作品だと思います。
ヴィンチェンツォについては、そのうちに「リナシメント芸術家」で取り上げるので、ここでは簡単に触れておくだけにしましょう。
彼はリナシメント盛期のヴェネツィアで活躍した画家で、肖像画と宗教画が得意でした。ヴェネツィアの名家に生まれ、年少の頃からヴェネツィアの文化・芸術サークルと交流があったそうです。ウィーンの美術史美術館にあるジョルジョーネの作品「若い貴婦人の肖像(ラウラ」の裏にヴィンチェンツォの名前が書かれていたことから、ジョルジョーネと非常に親しい関係にあったという説が有力です。文化・芸術サークルとの交流を通じてジョルジョーネと知り合った可能性があると思います。
そのようなことから、この作品の背景風景のジョルジョーネ風というのが理解できそうです。-
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ぐら姐、
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from: シニョレッリさん
2013年06月29日 17時15分12秒
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ぐら姐さん、こんにちわ。今朝早くから外出していて、先ほど戻ったところです。コンフェデ杯ですが、イタリアが今のスペインに勝つにはPK戦に持ち込むのが良い