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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

独断と偏見で楽しむイタリア芸術>掲示板

公開 メンバー数:54人

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  • from: シニョレッリさん

    2013年11月27日 16時39分24秒

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    街歩き(39) クレモナ

    2013年10月の旅で、クレモナで「オテロ」と「愛の妙薬」を見ましたが、公演日が4日と18日だったので、結局二回行くことになってしまいました。昨年は、

    2013年10月の旅で、クレモナで「オテロ」と「愛の妙薬」を見ましたが、公演日が4日と18日だったので、結局二回行くことになってしまいました。
    昨年は、4月と10月に、これもオペラを見るために行きました。

    という事で、新鮮味が欠ける街歩きとなりましたが、それでもカラヴァッジョ作品がある市立美術館には毎回必ず行きましたし、主な教会にも回りました。
    何時も開いている教会は開いていましたが、何度行っても閉まっている教会はやはり閉まっていました。当たり前か?

    オペラ劇場です。
    大きい街とは言えないクレモナですが、今回は特に公演の水準が高く、十分楽しむことが出来ました。特にオーケストラの音色が豊かで、流石に弦楽器の街だと思いました。
    昨年、見た時は、そのような感じがしなかったのですが、秘蔵の名器を特別に演奏したのかも?

    クレモナの市立美術館、教会については、既に「美術館・教会巡り」で触れました。
    という事で、ここではコメントなしで、今回の旅の写真を並べることにします。

    大聖堂












    オペラを見に行くとすれば、来年もクレモナに行く可能性がありそうです。

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  • from: シニョレッリさん

    2013年11月25日 09時59分14秒

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    街歩き(38) サンセポルクロ

    サンセポルクロは、人口約1万6千人ほどのトスカーナ州アレッツォ県のコムーネの一つで、以前はボルゴ・サン・セポルクロと呼ばれていました。サンセポルクロに

    サンセポルクロは、人口約1万6千人ほどのトスカーナ州アレッツォ県のコムーネの一つで、以前はボルゴ・サン・セポルクロと呼ばれていました。

    サンセポルクロに行くには、アレッツォからバス利用が一般的ですが、今回は久し振りにペルージャからウンブリア中央鉄道に乗って到着しました。

    駅舎です。
    サンセポルクロはウンブリア中央鉄道の終着駅です。

    駅を後にして旧市街へ

    暫く近代的な建物が立ち並んでいます。

    直ぐに城壁にぶつかります。

    サンセポルクロは、ほぼ長方形の城壁に囲まれた街です。

    街の起源は9世紀に遡りますが、それ以来、城壁が構築されるようになり、街の発展と共に城壁が拡張されました。現在、残っている城壁の大部分は、コジモ1世の命によって16世紀に要塞と共に整備拡充されたものです。
    城壁はこれぐらいにして、城壁内に入ります。

    見えているのはサン・バルトロメオ教会

    ファサードの彩釉テラコッタが目立つサン・バルトロメオ教会ですが、普段は開いていません。

    この先にサンタ・ゴスティーノ教会がありますが、既に「美術館・教会巡り」で触れたので、省略して先を急ぎましょう。

    塔はTorre Giovagnoli、塔にくっついているのはChiesa del Buon Gesuの後陣

    街の中心に向かいます。

    どこでもありそうな


    そろそろ街の中心です。

    Piazza Torre di Berta

    広場の名称の由来となった、12世紀に建てられたTorre di Bertaです。

    午前中なので広場は閑散としていました。

    この先に大聖堂があります。

    左手前の建物が司教館と修道院で、その先に大聖堂が見えます。

    右手前の建物が市立美術館です。

    この辺は趣きたっぷりです。

    午前11時過ぎに漸く人出がちらほら。

    (その2)に続きます。

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    from: シニョレッリさん

    2013年11月27日 10時22分56秒

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    街歩き(38)サンセポルクロ(その2)PalazzoPretorioです。市庁舎になっています。14世紀に建てられ、19世紀に改修されたプレトリオ宮は

  • from: シニョレッリさん

    2013年11月26日 09時31分57秒

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    美術館・教会巡り(201) コネリアーノ、サンティ・マルティーノ・エ・ローザ教会

    「美術館・教会巡り」シリーズが200回を越えました。これから何回続けることが出来るか分かりませんが、取り敢えず300回を目指して旅を続けましょう。プロ

    「美術館・教会巡り」シリーズが200回を越えました。これから何回続けることが出来るか分かりませんが、取り敢えず300回を目指して旅を続けましょう。

    プロセッコで名高いコネリアーノは、ヴェネツィア派の巨匠チーマ・ダ・コネリアーノの出身地で、チーマファンの聖地となっています。
    ぐら姐さんが大好きなアレの生地でもあります。

    11月4日広場です。広場の先に教会が見えます。

    サンティ・マルティーノ・エ・ローザ教会です。
    14世紀に、この地に建てられた規模の小さい修道院が前身で、17世紀前半に修道院を取り壊し、新しい教会が建てられることになりましたが、それが今の教会です。

    1674年に創建され、1730年に完成しました。

    ファサードが古そうに見えます。
    実はそうではなくて、ヴェネツィアの建築家Vincenzo Rinaldo(1867-1927)の設計によって20世紀前半に完成したファサードだそうです。
    扉が未だ閉まっているので、付近を散策しながら開くのを待ちました。

    11月4日広場の教会の間にMonticano川が流れています。

    写真右の建物が18世紀に建てられたConvento dei Domenicaniです。教会を建てるために修道院が取り壊されましたが、18世紀になって改めて修道院が新築されたのがこれです。
    現在、修道院は閉鎖されて、市立図書館と山岳博物館として使用されています。

    教会側から見た山岳博物館です。

    扉が開きました。

    翼廊がない、単廊式の内部です。

    左右にそれぞれ3つの礼拝堂が設けられています。

    左側壁

    主祭壇です。

    主祭壇の左壁にある、Ludewijk Toeput detto il Pozzoserrato(1550-1604)の「聖セバスティアーノと聖女バルバラと聖ロッコ」です。Pozzoserratoはトレヴィーゾを中心にヴェネトで活躍した画家です。

    後陣にあるのが、Sante Peranda(1566-1638)の「最後の晩餐」です。自然な構図で好感が持てます。中々の傑作でしょう。
    サンテはヴェネツィアで活躍した画家でした。

    この教会で傑作を一つ選べと言われたら、この作品になるでしょう。
    Francesco da Milano(1502-1548)の「羊飼いの礼拝」(1530c)です。
    フランチェスコはミラノ出身ですが、ヴェネツィアで活躍しました。

    Pietro Niniの「ロザリオの聖母」(1680-82)です。

    Antonio Zanchiの「聖マルティーノと聖女ローザ」(1701)です。

    聖職者の登場を告げる鐘が鳴らされました。夕べのミサが始まるので退散しました。
    祭壇画の数が少ないものの、何れも秀作ばかりで、美術ファンにとって、大いに楽しめる教会だと思います。

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  • from: シニョレッリさん

    2013年11月23日 09時53分12秒

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    美術館・教会巡り(199) サンセポルクロ、サン・フランチェスコ教会

    ルカ・パチョーリ広場向って左に(198)でやったサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会が見えます。広場を挟んで、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会


    ルカ・パチョーリ広場
    向って左に(198)でやったサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会が見えます。

    広場を挟んで、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のほぼ対面にサン・フランチェスコ教会があります。

    1258年創建、1321年に完成したゴシック様式の教会です。

    正式名称は、Chiesa e Convento di San Francesco、つまり修道院が併設されている修道院教会なのです。

    この銘板には13世紀から18世紀に建設されたと記されていますが、それは創建以来、何度も地震に見舞われ、その後、幾度となく改修が行われたからです。
    「18世紀」ではなく、本当は「20世紀」と書くべきかも知れません。というのも、1948年に地震によって教会部分は壊滅的な被害を受けて、戦後に改築されたからです。

    ファサードは、倒壊した石材を元の形に正確に組み込んで修復されたそうです。

    翼廊がない単廊式の、どちらかと言えば新古典様式に近い新しく見える内部です。それもその筈で、20世紀後半に全面的に修復されたからでしょう。

    主祭壇です。

    主祭壇画は、Francesco Curradi(1570-1661)の「祈る聖母と天使たち」

    天井や円蓋の装飾がありません。

    Raffaello Scaminossiの「栄光の聖母と聖カルロ・ボッロメオとベアト・ラニエリ」です。ベアト・ラニエリは、この教会修道院の創建時にこの街で人々のために尽力した人で、クリプタに彼の墓があるそうです。

    アントニオ・ディ・パドヴァが15世紀に制作したテラコッタです。

    Giovanni de'Vecchi(1537-1615)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」

    17世紀の無名画家による「天井の父なる神と聖人たち」

    17世紀の無名画家の「教会博士の問答」

    修道院の中庭

    修道院は地震で被害を受けましたが、その程度が軽微だったようで、オリジナルの形で残されています。

    回廊のルネッタに描かれたフレスコ画が残されています。

    イタミが非常に激しく、何が描かれているのか、良く分りません。

    テーマは「聖フランチェスコの生涯」

    修復が行われたことが無いように思います。

    判別できそうな画面はこれくらい

    扱いから察すると、このフレスコ画の作者は無名だったのでしょうか?

    教会に戻りました。

    Raffaello Scaminossiの「ベアト・ラニエリ」
    画家とベアト・ラニエリの生きた時代が違うので肖像画ではありません。

    作者不明のテラコッタ
    建物の修復の結果、ゴシック式ファサードと新しい内部がどうもちぐはぐで、多少の違和感が否めないようです。

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  • from: シニョレッリさん

    2013年11月22日 10時15分14秒

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    美術館・教会巡り(198) サンセポルクロ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

    ルカ・パチオーリ広場ルカは、この街出身の僧侶で数学者でもありました。彼はレオナルド・ダ・ヴィンチに遠近法を教授しましたが、ピエロ・デッラ・フランチェス


    ルカ・パチオーリ広場
    ルカは、この街出身の僧侶で数学者でもありました。彼はレオナルド・ダ・ヴィンチに遠近法を教授しましたが、ピエロ・デッラ・フランチェスカの数学上の弟子でもありました。この広場に彼の像が立っています。

    写真右の、手前から二番目の建物がサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。

    1518年の創建で、後にAlberto Albertiの設計によってファサードや天井などが設計されたルネサンス様式の教会です。
    ロッジアは礼拝堂の入り口になっていて、これもAlbertoの設計です。

    建物が新しく見えますが、それは当然なのです。
    1694年の大地震によって教会は大きな被害を受けてしまいました。
    再建は1899年から数次にわたって行われたました。という事で新しく見えるのは当然です。

    翼廊がない単廊式の内部です。

    右側壁

    左側壁

    天井は、16世紀にAlberto Albertiが制作した木製彫刻となっています。

    天井にある彩釉テラコッタ

    主祭壇

    主祭壇や礼拝堂の装飾は16世紀に制作されたオリジナルです。

    主祭壇画は、Raffaellino dal Colleの「Madonna del Grazie」(1555)

    左側壁の礼拝堂にある祭壇画は、17世紀にフィレンツェ派画家によって制作されたそうです。
    ロッジアから入る礼拝堂に「聖母マリアの生涯」の連作フレスコ画が残っているのですが、この日は扉が施錠されていて入れませんでした。残念!

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  • from: シニョレッリさん

    2013年11月21日 09時52分47秒

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    美術館・教会巡り(197) サンセポルクロ、サン・ロッコ教会とオラトリオ

    サンセポルクロは、歩き回って美術館や教会巡りするには、距離的に手頃で、而も開いている教会が多いのが嬉しい限りです。今回は、僅か1泊しただけなので、写真

    サンセポルクロは、歩き回って美術館や教会巡りするには、距離的に手頃で、而も開いている教会が多いのが嬉しい限りです。
    今回は、僅か1泊しただけなので、写真と撮りながら作品の鑑賞も行うとなると、訪問出来る教会の数は4,5つくらいが限度になってしまいます。
    教会巡りをしているうちに、祭壇画の鑑賞には、教会と太陽の向きから午前10時くらいが最適だと思うようになりました。どうも教会の多くは、午前10時頃の太陽光線を意識して建てられているのかも知れません。
    さて、今回は、サン・ロッコ教会とそのオラトリオOratorio della Compagnia del Crociffissoです。

    手前のサン・フランチェスコ広場から教会が見えますが、それがサン・ロッコ教会です。向かって右の建物は、ピエロ・デッラ・フランチェスカの生家と言われるCasa di Pieroです。

    1554年に建設されました。

    これを撮っておくと後で役立ちます。

    翼廊なし、単廊式のシンプルな内部です。

    主祭壇

    主祭壇の17世紀に制作された木製磔刑彫刻をよく見ると扉で閉じられるようになっています。

    その扉に描かれていますが、作者は不明のようです。

    これらは、多分、17世紀の制作だと思います。

    17世紀に制作された「聖ロッコ」の木製彫刻

    13世紀に制作された「十字架から降ろされたキリスト(木製)」

    ラッファエッリーノ・ダ・コッレの「キリストの復活」(1554)

    Leonardo Congi(16世紀第一四半世紀にボルゴ・サン・セポルクロ生まれ~1569ローマで没)の「聖セバスティアーノ」
    時間が無くなってきたので、オラトリオについては後でアップすることにしましょう。
    (続く)

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    from: シニョレッリさん

    2013年11月21日 15時34分38秒

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    美術館・教会巡り(197)サンセポルクロ、サン・ロッコ教会とオラトリオ(続き)それでは、オラトリオに移ります。教会から行けますが、この日は扉に鍵がかか

  • from: シニョレッリさん

    2013年11月20日 15時44分23秒

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    美術館・教会巡り(196) サンセポルクロ、サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会

    1233年、フィレンツェでServidiMaria(聖母のしもべ)派が設立されましたが、早くも1255年にはサンセポルクロでも、その宗派が活動を始めま


    1233年、フィレンツェでServi di Maria(聖母のしもべ)派が設立されましたが、早くも1255年にはサンセポルクロでも、その宗派が活動を始めました。その本拠地として新しい教会が設立されることになりましたが、それがこの教会の前身です。

    身廊外観です。

    この説明文に拠って、沿革を書いてます。

    創建が1294年、奉献が1382年、一応の完成は15世紀前半でしたが、1717年から1727年にかけて大掛かりな改修が行われたので、完成年を1727年としているようです。

    奉献時は簡素で質実剛健なゴシック様式の建物だったそうですが、その後の大改修を経てバロック様式の教会となっています。

    内部は翼廊がない単廊式、バロック様式となっています。

    主祭壇です。
    円蓋、後陣は地味な装飾があるだけで、フレスコ画も見当たりません。

    この教会の見所とされているのが、マッテオ・ディ・ジョヴァンニの二つの作品です。
    これがその一つの「聖母被昇天」ですが、可なりイタミがあります。

    光線の関係で、こちらの方向の方が見易いでしょうか?

    もう一つのマッテオの作品ですが、マッテオの活躍時代に、こうして聖人が二人だけ単独で描かれている祭壇画は珍しいので、この作品は多翼祭壇画の分解されたパネルである可能性がありそうです。

    フィレンツェ派の画家によって17世紀頃に制作された「聖カルロ・ボッロメオの前に顕現した栄光の聖母子」

    17世紀のフィレンツェ派画家による「聖女ジュリアーナの前に顕現する聖母」

    Monanno Monanti da Monterchiの「聖フィリッポ・ベニツィの前に顕現した聖母」(17世紀頃)
    以下2作品の制作者は不明です。


    サンセポルクロでは、開いている教会が他の街よりも多いので、美術ファンとしては大変有難い街です。

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  • from: シニョレッリさん

    2013年11月20日 10時08分14秒

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    ストライキ時の運行状況

    日本では、交通機関のストライキは最早殆ど過去のものになりつつありますが、イタリアでは未だ頻繁に行われています。特に公務員給与の、現状ベースでの5年間凍

    日本では、交通機関のストライキは最早殆ど過去のものになりつつありますが、イタリアでは未だ頻繁に行われています。
    特に公務員給与の、現状ベースでの5年間凍結が決定されてから、ゼネストが行われることが多くなっています。
    運が悪いのか、これまでの行いが悪いのか分かりませんが、私の場合、必ずと言ってよいほど旅行中にストライキに遭遇しています。
    イタリア関係のHPやブログなどを拝見していますが、ストライキに遭遇した書き込みが意外に少ないようです。スト遭遇の経験はない方が望ましいので、それは結構なことだと思います。
    ストライキ時の交通機関の運行状況は、いつも気になるところです。
    こういった情報は共有した方が良いと思うので、このトピックを立てた次第です。

    先ず、フライトですが、イタリアに乗り入れているLH,AF,BA,KL,SKなどの外国の飛行機の、イタリア国内ストの影響による欠航は、私が知る限り100%なかったと思います。
    影響を受けるのは、大体の場合、イタリアの航空会社のフライトです。そのうち、日本発着などの長距離路線は、最悪でも多分、管理職乗務員による運航が行われるのでしょう、滅多に欠航にならないようです。
    イタリア国内線には影響があります。日本便からのイタリア国内便接続、イタリア国内から日本便への接続便も例外とはならないので注意する必要があるでしょう。
    5,6年前ですが、ナポリからマルペンサ発成田行きに搭乗して帰国する日が、運悪くスト決行日でした。ナポリからマルペンサ行の便が欠航となって、代わりにリナーテ空港行きの便に振り替えられましたが、それだけでも予定よりも遅れている上にリナーテからマルペンサへのバスが大幅遅れで、マルペンサ空港では特別のセキュリティチェックを受け、搭乗口まで走って何とか成田行きに搭乗できましたが、荷物はその便に乗せることは時間的に無理だと思っていました。案の定、荷物は2日遅れで自宅に届きました。

    次はFSです。

    2011年4月1日のストでは、法律に基づく運行保証列車を除いて、殆どの列車が欠航となって参りました。この時はミラノに居たのですが、トラム、地下鉄、バスも全面的に運休となりました。
    それ以降に行われたストで、私が遭遇した時には、運休になる列車はRとRVが殆どで、国際列車、ES,ICの優等列車については遅れは出るものの、運休になる列車は無かったように思います。

    2013年10月17日午後9時から翌18日午後9時までのFS24時間スト(この日はゼネストが行われました)が行われました。

    ご覧のように、運休となっているのはRとRVでした。
    運行されていても150分遅れと表示されている列車がありますね。
    TVの報道では、この日のローマの地下鉄、バスは全面運休だったようです。

    皆さんは、「山猫スト」ってご存知ですか?
    当局に通告なしのストや、組合本部の了解なしに組合員が勝手に、或いは独自に行うストライキのことです。
    上の写真は、2013年10月20日の8:53AMのパルマ駅の発着案内です。単なる案内表示の故障ならば良いのですが・・・
    故障ではなく、運航列車の見通しが分からない、つまり表示のしようがないから、というのがこの表示でした。
    私が乗ることになっていた列車が大幅な遅れて大変な思いをしました。当日、何故、列車が遅れたのか、その理由が分かりませんでしたが、帰国後、パルマ在住の友人によれば、どうやら、その日は山猫ストが行われたことが分かりました。

    ただ、今後、何時もESやICがストでも動くと判断するのは早計かも知れません。何せイタリアですから。
    スト予定日には細心の注意を払って移動す、そして更に安全をみるならば、スト予定日には移動しないように予定を変更するのが無難だと思います。

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    ぐら姐 Yuko

  • from: シニョレッリさん

    2013年11月19日 10時16分07秒

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    美術館・教会巡り(195) サンセポルクロ大聖堂

    サンセポルクロのサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)大聖堂ですが、現在の正式名称はConcattedralediSanGiov

    サンセポルクロのサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)大聖堂ですが、現在の正式名称はConcattedrale di San Giovanni Evangelistaと言います。
    Concattedoraleになっているのは、1986年に行われた司教区の再編によって、サンセポルクロが新たに出来たアレッツォ・コルトーナ・サンセポルクロ司教区に組み入れられたからです。
    尚、これによってCattedraleはアレッツォに、コルトーナとサンセポルクロがConcattedraleという事になりました。

    10世紀、この地に建てられたサン・ベネデット修道院がこの教会の前身です。

    修道院は一旦取り壊され、1012年創建、1049年完成のロマネスク・ゴシック様式の教会が改めて建てられました。

    当初、四福音書記者に奉献されましたが、1520年、メディチ家出身のレオ10世によって、福音書記者聖ヨハネ単独に奉献されると共に、司教区が置かれることになりました。

    この銘板では単にCattedraleとなっています。

    鐘楼と後陣

    大聖堂に隣接するPalazzo Vescovileで、併設されているサン・べネデット修道院にはここから入ることが出来ます。尚、11世紀の取り壊された修道院は13世紀に再建されました。

    翼廊がない三廊式の聖堂内部です。

    木組みの梁の天井です。

    主祭壇側から見た内陣です。

    身廊中央から見た右側廊

    右側廊

    身廊中央から見た左側廊

    左側廊

    この大聖堂は傑作、秀作に満ちています。

    主祭壇画は、シエナの巨匠ニッコロ・ディ・セーニャの「キリストの復活の多翼祭壇画」(1348)です。
    ピエロ・デッラ・フランチェスカの傑作「キリストの復活」は、この作品から強い影響を受けたとされています。眠りこけている兵士の背後に石棺に足をかけて立っているキリストの構図は、ほぼ同じと言って良いでしょう。
    何の話をしているのか、とおっしゃる方の為にご参考までに画像を載せましょう。

    ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの復活」です。サンセポルクロ市立美術館にあります。

    ペルジーノの「キリストの昇天」

    パルマ・イル・ジョーヴァネの「聖母被昇天」(1602)

    バルトロメオ・デッラ・ガッタの「磔刑(フレスコ)」(1486)

    サンティ・ディ・ティートの「聖トマスの不信」(1576-77)

    「玉座の聖母子と聖人たち」(フレスコ)(1383)

    上の作品の説明板です。

    ラッファエッリーノ・ダ・コッレ(ボルゴ・サン・セポルクロ1494/1497-1566)の「キリストの復活」です。

    「磔刑」の制作者は不明のようです。

    16世紀に描かれた「ロザリオの神秘」は連画となっており、筋が追えます。これも制作者が不明のようです。

    Raffaello Scaminossi(サンセポルクロ1529生まれ~没年不明)の「慈悲の聖母」

    Durante Alberti(サンセポルクロ1556頃生まれ~1623頃没)の「羊飼いの礼拝」

    ロッビア工房による彩釉テラコッタ

    「聖ロムラルド」もロッビア工房の制作




    以上4点の作品ですが、制作者など詳細が不明です。
    (続く)

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    from: シニョレッリさん

    2013年11月19日 16時35分50秒

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    美術館・教会巡り(195)サンセポルクロ大聖堂(続き)大聖堂に来たからには、司教館と、修道院に続く回廊に行かないと、美術ファンとしては画竜点睛を欠いた

  • from: シニョレッリさん

    2013年11月18日 10時24分29秒

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    街歩き(37) チッタ・ディ・カステッロ

    チッタ・ディ・カステッロは、トスカーナ州との州境にある、人口約4万人のウンブリア州ペルージャ県のコムーネで、アレッツォ、コルトーナ、サンセポルクロ、モ

    チッタ・ディ・カステッロは、トスカーナ州との州境にある、人口約4万人のウンブリア州ペルージャ県のコムーネで、アレッツォ、コルトーナ、サンセポルクロ、モンテルキなどに隣接しています。
    ルカ・シニョレッリ、ラファエロ、ロッソ・フィオレンティーナ、ヴァザーリなどの芸術家が活躍した、ルネサンス期の栄光が今なお濃厚に残っている街です。
    ウンブリア周遊鉄道のペルージャ・サンタ・アンナ駅です。

    今回は、ペルージャから行くことにしました。

    車内はFSのものと殆ど同じ造りです。

    乗車約1時間でチッタ・ディ・カステッロに着きました。
    気動車に乗って来ましたが、この辺は架線があるので、電車も走っているようです。

    チッタ・ディ・カステッロの駅舎です。

    駅を後にして、旧市街に向かいます。

    駅から延びるVia Carlo Liviero

    歩いて5分ほどで城壁に出ます。

    サンタ・マリア門を潜れば旧市街です。門は修復中でした。
    写真右にあるのがサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。

    この教会は、既に教会巡りで触れました。

    先ず、市立美術館が開館しているか、確認することにしました。既にHPで確認済ですが、これまでに何度も痛い目にあっているので、実際に行ってみるまで分からないのが実情だと思っています。

    Via Borgo Fariaro
    更に進みます。

    人通りが途絶えています。

    城壁に出ました。城壁沿いの道に市立美術館があります。

    歩行者用の門には名前がないみたいです。

    市立美術館の開館とその時間を確認しました。

    Via Cesare Battisti

    15世紀に建てられたCasa Baldiは、19世紀に行われた修復の結果、歴史ある建物とは思えない外観をしています。

    14世紀に建てられたゴシック様式のサン・ドメニコ教会

    何時も閉まっていて、入ったことがありません。

    Largo Muzi

    この通りの何処かでルカ・シニョレッリが制作に励んだそうです。

    という事でルカ・シニョレッリ通りとなっています。
    時間が無くなってきました。この辺で一旦切ることにしましょう。
    (続く)

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    from: シニョレッリさん

    2013年11月18日 15時47分11秒

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    街歩き(37)チッタ・ディ・カステッロ(続き)病院です。歴史的な建物が病院になっている街が多いようですが、機能的に現代医術とマッチするのでしょうか?裏

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