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from: シニョレッリさん
2014/05/29 16:31:46
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街歩き(59) ペルージャ
FSのペルージャ駅です。
この時ですが、ローマ・テルミニ駅からアンコーナ行きのICに乗車、フォリーニョで下車。フォリーニョでフィレンツェSMN行きのRVに乗り換えて、ペルージャに着きました。フォリーニョでの乗り換え接続時間が17分しかなく、心配でしたが、案の定、ICが25分遅れでフォリーニョに到着。接続待ちの概念がないFSのことですから、待ちぼうけを覚悟していたら、何と何とフィレンツェ行きの列車が接続待ちをしていたのでした。この時は、妙に感心して、FSも悔い改めたと思ったのですが、これは例外中の例外と後で悟りました。この時は感謝感謝!
ペルージャの駅舎です。
チェントロは山の上ですから、イタリア広場までバスに乗りました。
イタリア広場です。
バス・ターミナルは、イタリア広場の崖下にあるので、間違えて降りると結構大変です。
広場のこのホテルに泊まりましたが、気に入らず一泊しただけでキャンセルしました。朝食が別になっていて、その料金が25エウロ!夕食には少し足りないけれど、贅沢を言わなければ25エウロあれば、結構食べられますから。
2日目から泊まったのが、このホテルです。イタリア広場から徒歩で3,4分下ったところになります。朝食込みでリーズナブルな値段でしたが、ここにも問題が・・・
朝食の開始時間が8:30AMには参りました。美術館と教会巡りは午前中が勝負ですから、朝が遅いのは困るのです。
ホテルの自室からの眺めです。
遠くに湖が見える、眺望のよい部屋でした。
中世の砦が民家になっています。
街歩きに出発です。
手前を右に行けば、イタリア広場に出ます。
花壇が綺麗なイタリア広場です。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世像が立っています。
広場に面して建つ県庁舎
この建物は?
この建物も分かりません。
大聖堂まで続く、この通りが街一番の繁華街でしょう。
(つづく)-
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from: シニョレッリさん
2014/07/29 15:15:12
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街歩き(59)ペルージャ(その7)夏の旅に出発する前の日に、ペルージャの街歩き(その6)アップしましたが、「つづく」と書いておきながら、そのままになっ
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from: シニョレッリさん
2014/05/31 07:45:32
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リナシメント芸術家(62) ジョッティーノ(ジョット・ディ・ステファノ)
マーゾ・ディ・バンコやナルド・ディ・チョーネなど、他の画家と間違われて、作品の帰属を巡って混乱が生じている画家ジョッティーノを取り上げます。
Tommaso di Stefano o Maso di Stefano, detto Giottino o Giotto di Stefano(1324フィレンツェ生まれ-1369以降フィレンツェで没):画家Stefano Fiorentino(1301フィレンツェ生まれ-1350フィレンツェで没)の息子です。
父は、ジョットの弟子だったようで(ギベルティが残した記録に、ジョットの弟子と記述されているのが根拠となっています)、当然のことながら画風もジョット・スタイル(ジョッテスキ)でした。と書きましたが、父の残された確実な作品として、2001年になって漸く一つの作品が帰属されただけで、それ以外に帰属が明らかな作品は一つも残っていないので、本当のところは不確実と考えた方が良いのかも知れません。
さて、ジョッティーノですが、画家としての手ほどきを父から受けたとされており、父の工房で修業したと考えられています。その際、父から絶えずジョットのようになれ、と言われたそうです。
それが切っ掛けになったのでしょう、ジョッティーノ自身のジョットの作品群を深く研究し、模写し対するうちに、ジョットの画風を把握するようになり、遂にはジョットの模倣を行うようになったとされています。という事で、彼の画風はジョッテスキそのものとなり、やがてジョッティーノ(小さなジョットの意味)と呼ばれるようになったと言われています。
ところが、ヴァザーリの有名な「列伝」で、マーゾ・ディ・バンコやナルド・ディ・チョーネの作品(研究が進んで帰属が明らかになりました)をジョッティーノの作品と誤記述したのです。明らかに手が違うことから、作品帰属の研究が進み、決着した作品があるのですが、依然として帰属を巡って議論が絶えない作品もあるのです。
長らく、ジョッティーノの作品とされていたフィレンツェのサンタ・クローチェ教会シルベストロ礼拝堂のフレスコ画は、マーゾ・ディ・バンコへの帰属が決まりました。
私が見た彼の作品は次の3点だけです。
フィレンツェの旧オブラーテ修道院(現Bibliotecca di Oblate)にある「聖母子と四聖人と磔刑」(フレスコ画 1348ー49c)
ウッフィツィ美術館蔵の「ピエタ」(1360-65)
ロンドンのコートールド美術館にある「キリストの埋葬」
この美術館は印象派の殿堂ですね。-
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from: シニョレッリさん
2014/05/27 08:54:58
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美術館・教会巡り(284) ピサ大聖堂
今回は、ピサのドゥオーモ、Cattedrale Metropolitana Primaziale di Santa Maria Assuntaです。名称の通り、大司教がいる大聖堂です。
ドゥオーモはもう直ぐです。
見えてきました。
今にも泣きだしそうな天候でした。(昼前から降り始めた雨は午後には大雨に)
ピサ観光の中心、ドゥオーモ広場です。
ここしか来ない観光客が殆どと聞いています。
こちらの方は修復中でした。
広場に来るつもりがありませんでしたが、街歩きをしているうちに着いてしまったのです。
1064年、ピサ海軍がイスラムに勝利した「パレルモ沖の海戦」を記念した、着工されました。
一応の完成は1092年、奉献されたのは1118年でした。その後、1261年から1272年まで拡張工事が行われたので、完成を1272年とすることがあります。
ピサ・ロマネスク様式のファサードです。
ボールトのルネッタ上にモザイクがあります。
中央扉上は、「聖母と四天使」のモザイクです。
ファサードに向かって左の扉上は「聖女レパラータ」のモザイクです。
向って右は「洗礼者ヨハネ」のモザイクです。
ファサードのてっぺんにある「聖母子像」です。
ファサードには精巧な装飾が施されています。
青銅製の扉には浮彫が施されています。こちらは中央扉になります。
ファサードに向かって右の扉です。テーマは聖書から取られています。
ファサードに向かって左の扉です。
「キリストの洗礼」
(つづく)-
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from: シニョレッリさん
2014/05/27 13:03:27
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美術館・教会巡り(284)ピサのドゥオーモ(その2)身廊と後陣です。後陣は修復工事中でした。古い建物なので、どこかで大体修復が行われています。後陣近く
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from: シニョレッリさん
2014/05/22 09:16:39
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街歩き(58) ラヴェンナ
ビザンチン美術の宝庫の街ラヴェンナに訪れる前に、ローマ時代後期から中世にかけての歴史の予習をしておくと、より楽しく街歩きが出来るというものです。
例によって、街歩きはFS駅からの出発です。
駅舎です。
ラヴェンナも日帰りの観光客が殆どの様で、夕方近くになると地元の人以外はあまり見かけないようです。
駅前広場です、右に行けば要塞なのですが、モザイクの事しか頭になく、後回しにするうちに疲れてしまって要塞には中々行けません。
直ぐにサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会が見えてきます。
早速中に入って、残されているモザイク断片を鑑賞しました。
ここは何でしょうか?
マリアーニ通りです。
リストランテとなっている17世紀に建てられた建物ですが、特に名前が無いみたいです。
ガリバルディ広場です。
1852年に建てられたダンテ劇場です。
馬蹄形の劇場で、オペラやコンサートが上演されています。
リッカルド・ムーティのお気に入りの劇場だそうで、見てみたいものです。
つづく-
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from: シニョレッリさん
2014/05/25 10:11:12
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リナシメント芸術家(61) アルティキエーロ・ダ・ゼーヴィオ
今回は、14世紀後半にヴェローナとパドヴァで活動した画家アルティキエーロ・ダ・ゼーヴィオを取り上げます。
Altichiero da Zevio(1330cゼーヴィオ生まれ-1390c/1393ヴェローナで没):名前だけでアルティキーエロと呼ばれることがありますが、ヴェローナ近くのゼーヴィオ出身ということで、ダ・ゼーヴィオと付け加えるのが普通のようです。
残された作品とそれらの支払い記録以外に、確実な記録が殆ど残されていないので、画風形成の過程を含めて彼の生涯について、詳しいことが分かっていません。
14世紀の画家の中で、アルティキエーロがジョットのの造形精神を最も理解した画家と言われています。そのことから、ジョットの弟子との説があるのですが、ジョットは1337年にフィレンツェで没し、アルティキエーロの生年を1330年とすれば、僅か7歳の時となるので、その説は懐疑的とされています。恐らく、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に描かれたジョットのフレスコ画を深く研究してジョットの作風を取り入れたであろうとされています。
また、14世紀後半のヴェローナで活動した画家Turone di Maxioに師事したとの説もありますが、これも記録がありません。
ジョットの他にトンマーゾ・ダ・モデナの影響が認められています。
また、アルティキエーロの芸術はピサネッロ(1395-1455c)に継承されたとよく言われていますが、アルティキエーロの没年とピサネッロの生年から、これもピサネッロがアルティキエーロの作品を通して学んだと考えるのが妥当とされています。
ヴェローナ派の創始者とされています。
当時、ヴェローナを支配していたスカラ家のお抱え画家になり、1364年頃、デラ・スカーラ宮殿のフレスコ装飾に従事しました。この作品は現存していないようです。(私は見たことがありません)
ヴェローナとパドヴァで幾つかの仕事したようですが、現存するのは、三か所のフレスコ画と美術館にある祭壇画だけと思います。
では、彼の作品を見てみましょう。
ヴェローナのカステルヴェッキオ美術館です。
「聖母子と四聖人」(カステルヴェッキオ美術館像)です。この作品は「Polittico di Boi」と呼ばれるのが普通です。アルティキエーロの帰属作品とされています。
ヴェローナのサンタナスターシア教会です。
アルティキエーロの作品だけではなく、幾つかの傑作があるので、この教会は美術ファンの必訪地でしょう。
カヴァッリ礼拝堂です。
礼拝堂に向かって右の壁に描かれたフレスコ画がアルティキエーロの作品ですが、礼拝堂祭壇の後方は立ち入り禁止となっているので、良く見えません。
パドヴァのサンタントニオ聖堂です。この聖堂にもアルティキエーロの作品が残されています。中は撮影禁止となっているので、作品画像はWeb Gallery of Artからの転載です。
聖堂内のサン・ジャコモ礼拝堂です。ここに彼のフレスコ画が残されています。
「磔刑」
「騎士たちに崇められる聖母」
サンタントニオ聖堂の横にあるサン・ジョルジョ礼拝堂にも彼の作品が残されています。
こちらの方がサン・ジョルジョ礼拝堂です。
ここも内部は写真不可なので、Web Gallery of Artからの作品画像転載です。
壁一面に描かれています。
祭壇に向かって左の壁
こちらは右の壁
祭壇後ろは「磔刑」です。
「竜を退治する聖ジョルジョ」
「マギの礼拝」
ヴェローナとパドヴァに行ったら、これらの作品と出会えます。-
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from: シニョレッリさん
2014/05/18 08:28:11
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リナシメント芸術家(60) マルコ・パルメッツァーノ
今回は、盛期ルネサンスにフォルリで活動した画家であり、建築家でもあったマルコ・パルメッツァーノです。
マルコの「自画像」です。フォルリの市立美術館にあります。
Marco Parmezzano(1460フォルリ生まれ‐1539フォルリで没):生まれ故郷出身の画家メロッツォ・ダ・フォルリに師事しました。当初の画風は、当然ながら師匠であるメロッツォの影響を受けたものでしたが、次第にMaestoro dei Baldraccaniのスタイルが加味されるようになったことから、Bakdraccaniと何らかの関係があったと推察されていますが、その辺の記録が残されおらず、明らかではありません。Baldraccaniは、15世紀後半から16世紀初頭にフォルリで活動した画家ですが、残された作品以外に記録が全くありません。
また、ピエロ・デッラ・フランチェスカの数学上の弟子だったルカ・パチョーリから遠近法を学んだとの説があります。師匠に随行してロレートに赴き、師匠のフレスコ画制作に携わった際、ピエロと出会い、その縁でルカに師事したとの説もあるようです。尚、メロッツォはピエロの協力者でした。
1490年代の前半にローマに赴き、腕を磨きました。師メロッツォは1494年フォルリで没しますが、1493‐1494年にメロッツォとマルコの二人がフォルリのサン・ビアージョ教会フェオ礼拝堂の装飾に従事した記録が残されているので、ローマに行ったのは1494年と思われます。
ローマに行ってから、更に足を延ばしてエルサレムを訪れ、教会のフレスコ制作に従事したとの説があるのですが、それに関する記録が一切残されていません。
1495年、ヴェネツィアに住んだ記録が残されています。このヴェネツィア滞在によって、大きな刺激を受け、最終的にマルコの画風を決定付けることになりました。具体的には、16世紀初頭頃からジョヴァンニ・ベッリーニとチーマ・ダ・コネリアーノの強い影響を受けた画風に転じたのです。
ヴェネツィア滞在は長くても2年間以内だったと推察されていますが、ヴェネツィアからフォルリに戻ると、自分の工房を構えました。仕事でエミリア・ロマーニャ各地やロレートに赴きましたが、それ以外には死ぬまでフォルリに留まりました。
15世紀後半から16世紀初頭にかけてのヴェネツィア派スタイルに忠実で、マニエリスムの新しい動きとは全く無縁でした。人気があったので沢山の祭壇画を制作しましたが、聖会話スタイルの構図を得意にしていました。
彼の豊饒の明るい色彩、安定した構図などが気に入っています。チーマのファンなので、それは当然ですが・・・
では、彼の作品を見ることにしましょう。
「聖母子と聖人たち」(1493) ミラノのブレラ絵画館にあります。
「キリストの洗礼」(1535) フォルリ市立美術館の所蔵です。
「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」 パドヴァ市立博物館にあります。
「死せるキリストを支える二天使」(1510) ルーヴル美術館蔵
ウッフィツィ美術館にある「磔刑」(1500-10)
フォルリのサン・ドメニコ美術館にある「聖セバスティアーノ」です。
この作品は人気があったようで、画家自身による複製が幾つかあるようです。
「羊飼いの礼拝」 フォルリ市立美術館にあります。
フォルリには、市立美術館が二か所ありますが、旧サン・ドメニコ教会にある方を通称サン・ドメニコ美術館と称して区別しています。
ファエンツァ市立美術館にある「大天使ラファエルとトビアス」です。
「玉座の聖母子と二聖人」 ファエンツァ市立美術館にあります。
フォルリのサン・メルクアーレ聖堂にある「永遠の父なる神の栄光」
エミリア・ロマーニャ州を旅すると、必ず目にするのが彼の作品で、一見すれば彼の作品だとすぐに分かるくらいにお馴染みのお気に入りの画家です。 -
from: シニョレッリさん
2014/05/17 13:00:42
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茫然愕然憮然の世界遺産
世界遺産が最も多いのはイタリアですが、私が行った中でビックリで、茫然愕然憮然とした世界遺産が一つだけあります。
ここに行って、ユネスコが考える世界遺産に対して、少し疑問を持つようになりました。
一度行って懲りたので、その後二度と行ってません。という事で、行き方の最新情報に疎いですが、ベルガモから行くのが普通だと思います。
バスターミナルからバスに乗って15分ほどかかったと思います。
私にとって、見どころと言えるのは、このクレスピ城だけでした。
これが世界遺産のCrespi d'Addaです。
19世紀末にロンバルディア有数の綿織物業者だったクレスピ家が、綿織物工場の従業員のために建設した、住居、教会、学校、病院など生活がここで完結できるように「労働者の理想郷」を実現させた村です。
確かに素晴らしい村でしたが、19世紀末の新しい建物群ですから、私にとっては「それが何なの?」と自問する退屈極まりない日となってしまいました。
更に驚くのは、世界遺産の認定が1995年と比較的早い時期で、シエナ、ナポリと同時だったことです。-
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from: シニョレッリさん
2014/05/17 07:46:34
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リナシメント芸術家(59) フランチェスコ・グラナッチ
今回は、フィレンツェのマニエリスム最初期にトスカーナ各地、ローマなどので活動したフランチェスコ・グラナッチを取り上げます。
Francesco Granacci(1449バーニョ・ア・リポリ生まれ-1543フィレンツェで没):フィレンツェ生まれの説もありましたが、近年、バーニョ・ア・リポリのヴィッラマーニャで記録が見つかり、フィレンツェ説は過去のものになりました。
ドメニコ・ギルランダイオ工房で修行中に若きミケランジェロがドメニコの工房にやってきました。その時、フランチェスコはミケランジェロに画家になるように勧めました。ドメニコ工房で二人が修行するうちに友人となり、1508年、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂のフレスコ画制作の注文を受けると、フランチェスコを助手として採用しました。しかし、ミケランジェロはフランチェスコの技量未熟に閉口して、採用後、僅か一か月でフランチェスコを解雇してしまいました。このことが切っ掛けで二人の仲が疎遠になったとの説もありますが、友人としての関係はその後も続いたという説もあるようです。
ローマからフィレンツェに戻ったフランチェスコは、自分の工房を構えましたが、かなり繁盛したようです。
彼の画風ですが、基本的には当時の有名画家のスタイルを真似て器用に仕上げることだったので、独自性が殆ど感じられません。具体的には、初期のころは、ドメニコ・ギルランダイオのスタイルでしたが、直ぐにフィリッポ・リッピのスタイルに転じました。その後、ペルジーノ風の作品もあり、更に一時期、ミケランジェロの物まねに移りました。この時の作品帰属を巡って議論されたことがあり、フランチェスコの作品がミケランジェロ作と帰属されたことがありました。
ローマから戻ると、フラ・バルトロメオの強い画風に転じました。
ルネサンス期の時代、フランチェスコのように有名な画家のスタイルを真似ることは、注文主を満足させるために普通に行われていました。それが容易に出来る、つまり、一言で言えば器用な画家だったのです。
では、彼の作品を見てみましょう。
「聖母子と聖フランチェスコと聖ゼノビウス」(1515c) フィレンツェのアッカデミア美術館にあります。
これはペルジーノ風ですね。
「聖母被昇天」(1517-19) アメリカ、サラソータのリングリング美術館の所蔵です。
フラ・バルトロメオ風でしょうか。
「監獄に連行されるヨセフ」(1515) ウッフィツィ美術館にあります。
「フィレンツェに入るカルロ8世」(1518) これもウッフィツィ美術館にあります。
この作品には独自性が少し感じられました。
「受胎告知」 イギリス、バースのCorsham Courtの所蔵です。
「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(1500c) ホノルル美術館にあります。
「甲冑を着た男の肖像」(1510c) ロンドンのナショナル・ギャラリーで展示されています。
この作品が彼の最も有名な作品だと思います。
この他に私が見た作品で記憶にあるのは、次の2点です。
ウッフィツィ美術館:「ファラオに父と兄弟を紹介するヨセフ」(1515)
パラティーナ美術館:「聖家族」
「甲冑を着た男の肖像」以外は、一見しただけでは誰の作品なのか、全然分かりませんが、顧客の要望に応じて制作するために、次々とスタイルを変えることが出来た点が寧ろ彼の特徴なのでしょう。
話が全く変わりますが、明日から丁度一週間の予定で、ルネサンス関係の集会出席のため、フランドル地方に行ってきます。国名で言えば、オランダとベルギーになります。
今年のテーマが「北方ルネサンス」で、しかもイタリア以外の地での開催なので、当初は欠席を考えていましたが、友人から勧誘を受けたのと、年に一回の顔合わせで色々な話ができて勉強になるので、一転して出席することにしました。
この掲示板ですが、原稿を書いてアップするように依頼したので、運が良ければ更新できると思います。 -
from: シニョレッリさん
2014/05/14 14:52:22
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リナシメント芸術家(58) パオロ・ピーノ
画家というよりも彼の二冊の著作によって、美術理論・評論家として後世に名前が残るパオロ・ピーノを取り上げます。
Paolo Pino(1534~1565ヴェネツィアで記録):画風形成の過程に関する確実な記録が残されていないようですが、ヴェネツィアでサヴォルドに師事したと自称したので、サヴォルドの弟子とされています。
画風は、ヴェネツィア派スタイルを基調にベルガモ派の影響が認められるものでしたが、現存する作品が多くないので、この辺も確かではありません。肖像画を得意にしていたとの説が有力ですが、個人蔵の作品を除けば、肖像画で残されている彼の作品は4つしかないようです。
1548年に出版された、フィレンツェ派よりもヴェネツィア派の優位性やマニエリスム様式の将来性を論じた「絵画問答」と、1554年に出版された「マニエリスムの理論」の二冊が当時、評判となりました。
「絵画問答」の要約を読みましたが、ヴェネツィア派の方がフィレンツェ派よりも勝るという、彼の主張はある程度賛同できるものの、やや独善的ではないかと思いました。
では、彼の絵画作品を見てみましょう。
フィレンツェのウッフィツィ美術館です。
ウッフィツィ美術館所蔵の「医師コイニャーティの肖像」(1534)
この作品に彼の署名と制作年が記されています。これが彼の最初の活動記録となっています。
パドヴァのサン・フランチェスコ教会です。
「聖母子と聖人たち」(パドヴァ、サン・フランチェスコ教会)
ローマ、ドーリア・パンフォーリ美術館のキオストロ
ドーリア・パンフォーリ美術館に「男の肖像」が展示されていますが、作品画像がありません。
彼の描いた、個人蔵の肖像画が度々オークションに出品されているようです。 -
from: シニョレッリさん
2014/05/13 10:51:22
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美術館・教会巡り(279) ピサ、サント・セポルクロ教会
通りの先にユニークな形をした教会があります。
面白い形でしょう。
1113年創建の八角形、ロマネスク様式の教会ですが、現在の建物は創建時のものではありません。
現在の姿は、1849年の修復されたものですが、その外観は創建時のものに近いとされています。
内部は、1720年の修復によってバロック様式に改装されました。
中央に祭壇が設けられ、八方から祭壇を囲んでいます。
天井の一部が板張りになっています。
八角錐のクーポラ
オリジナルは、こんな形だったようです。
簡素な内部で、装飾が殆どありません。
15世紀のピサの画家による「聖母子」です。
建物の構造を味合う教会でしょうね。
from: シニョレッリさん
2014/07/30 13:54:50
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街歩き(59)ペルージャ(その8最終回)今日も街歩きです。何のモニュメント?前日と比べて、観光客が急に増えました。前の日、この日も平日でした。人出が増