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from: シニョレッリさん
2015年05月29日 09時44分42秒
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町歩き(98) カステルフィオレンティーノ
カステルフィオレンティーノは、人口約1万8千人のトスカーナ州フィレンツェ県にあるコムーネで、鉄道線に沿ってアルノ川が流れてます。
カステルフィオレンティーノ駅に到着しました。
この日の前泊地はチェルタルドで、チェルタルド駅からエンポーリを経由してフィレンツェSMN駅行き列車に乗って、1駅、僅か6分の移動でした。
駅舎
駅前です。
フィレンツェからの日帰り遠足で、この町に来たことがありますが、泊まるのは今回が初めてです。
この新しい妙な建物は、ベノッツォ・ゴッツォリ美術館です。
彼が描いた教会礼拝堂の壁のフレスコ画を展示しています。礼拝堂2つをそのまま、ここに移動して展示しているのです。展示方法としては、少し乱暴とも思える思い切ったもので、驚くべきことです。
礼拝堂がなくなった2つの教会の現在が気になります。
その隣にあるサン・カルロ教会です。
来てみたら、駅前の3つ星ホテルがあることが分かりましたが、ホテル予約サイトに乗っておらず、今回は駅からかなり歩く、山上にあるホテル兼リストランテに予約しました。
Via Ferruccio
Porta Fiorentinaを潜れば旧市街です。
朝が早いので人通りがあまりありません。
街の中心のポポロ広場です。
市庁舎
参事会教会
更に坂を上りました。
ポポロ広場付近は古い家並みが続きます。
山の上の方に来ました。
初めて泊まるホテルなので、この辺では道を間違えたか、と少し不安でした。
漸くこの日のお宿に着きました。午前8時半頃でしたが、部屋に入ることが出来ました。
部屋からの眺め
(つづく)from: シニョレッリさん
2015年07月11日 10時13分17秒
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nasakuraさん、コメント、有難うございます。「ベノッツォ・ゴッツォリ美術館」については、後で美術館・教会巡りで取り上げるつもりです。作品の保存上
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from: シニョレッリさん
2015年05月29日 16時27分42秒
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傑作選(94) ルーカ・シニョレッリの「慈悲の聖母」
先ず、作品画像をご覧になって戴きましょう。
「慈悲の聖母と聖セバスティアーノとシエナの聖ベルナルディーノ」です。
どの点が良いのか、それについては私は出来るだけ触れないようにしています。
ピエンツァの司教館に設けられた教区美術館にあります。
司教館は大聖堂に向かって左側にあります。
美術館の入り口です。
展示数はあまり多くありませんが、珠玉の作品を幾つか展示しています。
「慈悲の聖母」は、ピエンツァのサン・フランチェスコ教会にありました。
祭壇を飾っていましたが、美術館の設置に伴って移されました。
私の写真では作品が良く分からないと思います。外部サイトから作品画像を拝借しましょう。 -
from: シニョレッリさん
2015年05月27日 15時29分46秒
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傑作選(93) ロレンツォ・ディ・ビッチの「玉座の聖母子と四聖人の祭壇画」
先ずは作品を見て頂きましょう。
修復途中のようで、ツギハギだらけで見難いですね。
14世紀後半から15世紀後半の約120年間にわたって、フィレンツェで最も繁盛したビッチ工房の創設者の代表作です。
教会の主祭壇を飾ってます。
作品があるのは、エンポーリの参事会教会です。
彼の父が画家だったようで、父から画業の手ほどきを受けた後、何処かで修業したとされてます。
ヴァザーリの「列伝」には間違いが多いのですが、その「列伝」に拠れば、アレッツォのスピネッロ・アレティーノに師事したとされてます。
彼の息子がビッチ・ディ・ロレンツォですが、息子よりも腕が上でした。
ビッチ工房の画家は兎も角名前が似ていて区別するのが大変です。
参事会教会の隣に付属美術館がありますが、そこにも2つの作品があります。
2作品ともにエンポーリのサント・ステファノ教会にありました。 -
from: シニョレッリさん
2015年05月06日 15時50分21秒
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矜持
今日でゴールデンウィークが終わりですね。
この期間は現役世代の邪魔をしてはいけない、365連休の年金生活者の矜持というものです。間違っても、この期間にイタリアなんぞに行ってはいけないのです。
このところ、矜持というものを忘れてしまっている、それが残念です。
車を運転して渋滞の一因になってはいけない、と言うことで、近所のスーパーや専門店に徒歩で行って食材を揃えて、お庭バーベキューをしたところです。
昨日の夕方、山を持っている近所の知り合いと一緒に、山ウドと筍を掘りに行ったんです。この時期ですから、トウがたったものばかりで春の名残ものを探すのが大変でしたが、何とか揃えることが出来ました。
山ウドは、一晩たって香りが抜け気味でしたが、厚めに皮をむいたそのままを味噌をつけて食しました。
筍は老妻の担当で、どのように作ったのか知りませんが、筍ご飯に庭の木の芽(山椒)を載せたもの。
今朝、獲れたばかりのカツオを一本買って、半身を食べました。腹身の方は皮付きそのままを刺身で、背身も皮付きをあぶってタタキにして食しました。
我が家のバーベキューは、肉はほんの少しで、筍、サザエ、ホタテなどがメインでした。
柑橘類の花が匂う庭での初夏に相応しい宴でした。-
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にょん太、
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from: シニョレッリさん
2015年05月18日 09時36分55秒
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街歩き(96) キヴァッソ
キヴァッソは、人口約2万4千人のピエモンテ州トリノ県にあるコムーネです。
数年前に途中下車して見たドゥオーモにもう一度拝観したくなったので、1泊することにしました。
キヴァッソは、ミラノ中央駅とトリノPN駅を結ぶ幹線上にあるので、鉄道で行くのが便利です。
駅舎です。
駅前のホテルに泊まることにしました。
ドゥオーモ以外に見どころがあまり無さそうな感じがしたので、暇を持て余した場合、トリノに行くつもりでした。
それだったら駅前のホテルが便利との読みです。
ホテル前から撮った駅舎です。
この日は大雨が降るとの天気予報だったので、この近さなら天候が気になりません。
街歩きの前に、ここで少し遅い朝食を食べました。前泊したモンカリエーリの朝食開始時間が何と8時半からだったので、食べずに列車に乗ったからです。
駅前からチェントロに続く道です。
トリノのベッドタウンですから、平日の日中とあって人通りが多くありません。
ピエモンテでも富裕層が多く住む街のようで、その為でしょうか、立派な家を幾つか見かけました。
この辺りはチェントロの入り口です。
イタリア統一の英雄ガリバルディ像があります。
時計塔の時計は動いていましたが、全然違った時刻を示していました。
街の西側(トリノ方向)を散策することにしました。
どうも見どころが無さそうです。
回れ右して、今度は街の東側に行くことにしました。
東側の方が賑やかです。
(つづく) -
from: シニョレッリさん
2015年05月20日 09時32分46秒
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傑作選(92) ニッコロ・ディ・セーニャの「キリストの復活の多翼祭壇画」
先ず作品画像を見て戴きましょう。
ニッコロ・ディ・セーニャの「キリストの復活の多翼祭壇画」です。1348年に制作されました。
Niccolo di Segnaは、シエナ派国際ゴシック様式の画家です。画家だったセーニャ・ディ・ボナヴェントゥーラの息子で、父から画業を習得したと思われます。
御覧のようにシモーネ・マルティーニの強い影響を受けた画風だったことが分かります。
聖堂の主祭壇にこの多翼祭壇画があります。
後先になってしまいましたが、この多翼祭壇画は、サンセポルクロ大聖堂にあります。
この作品の支払い記録が残されており、それに依れば、ボルゴ・サン・セポルクロのサンタゴスティーノ教会の為に描かれたもので、同教会の主祭壇を飾っていました。
ところが、具体的な時期や理由が不明ですが、この作品はサンタゴスティーノ教会から大聖堂に移されて現在に至ってます。
サンセポルクロのサンタゴスティーノ教会です。
13世紀に建てられたロマネスク様式の建物でしたが、18世紀後半に改築されました。その際に、多翼祭壇画が移されたと言う説があります。
私の写真では作品の色彩が良く分からないので、外部サイトから作品画像を拝借しました。
赤と金の対比効果が見事です。
注目に値するのは、多翼祭壇画の中央部分のキリストの復活です。
写真がボケていますが、何処かで見たような気がしませんか?
そうです、これですね。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの傑作「キリストの復活」(フレスコ)です。(サンセポルクロ市立美術館にあります)
ピエロは、サンタゴスティーノ教会のニッコロの作品から影響を受けたと言われてます。
あのピエロが参考にしたくらいですから、ニッコロの作品が傑作であるのが分かります。 -
from: シニョレッリさん
2015年05月16日 07時47分51秒
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傑作選(91) コッポ・ディ・マルコヴァルドの「ボルドーネの聖母」
先ず作品を見て頂きましょう。
225㎝×125㎝の板に描かれたテンペラ画です。
この時期の作品の多くは、制作者と制作された年が分からないのですが、この作品は違います。
写真が鮮明ではありませんが、作品の下の部分に彼の署名と1261と記されているのです。
この作品ですが、シエナのサンタ・マリア・デイ・サルヴィ聖堂にあります。
聖堂内部の右側廊の第二礼拝堂にあります。
右の第二礼拝堂の祭壇にこの作品が置かれてます。
聖堂ではコッポの没年を1280年としていますが、近年、研究が進んで1274年、シエナで没したとの説が有力とされてます。
聖堂から見えるシエナの旧市街が絶景なので、行く価値が十分あると思います。
さて、コッポ・ディ・マルコヴァルド Coppo di Marcovaldoですが、1225年、フィレンツェに生まれました。この作品が描かれた背景から察するに、フィレンツェでかなり有名な画家だったことが分かります。
フィレンツェ派の画家であるコッポがシエナ派の創設者と言われるには理由があったのです。その理由がこの「ボルドーネの聖母」なんです。
シエナは、12世紀に自治都市として独立し、13世紀から14世紀に最繁栄の時代を迎えますが、隣国フィレンツェとは覇権を争う宿敵の関係でした。
1260年のシエナ、フィレンツェ間で戦われた有名なモンテペルティの戦いにおいて、コッポはフィレンツェ軍の一員として参加しましたが、シエナ軍の捕虜となってシエナの牢に移されてしまいましたし。
牢から出される条件として、シエナから示されたのが立派な祭壇画を制作することでした。
そうして制作されたのが、この作品と言われてます。
ところが、作品が完成して牢から出されたのですが、コッポはフィレンツェに戻らず、シエナで工房を構えて仕事をするようになりました。その後、フィレンツェで仕事をすることがあっても、終生シエナに留まったのです。
フィレンツェに生まれ忠誠を誓った、でもシエナに囚われると国籍を変え、シエナ派の創始者になった、真に興味が尽きない彼の人生です。
このような背景を知った上で、この祭壇画を見ると実に味深いものがあります。 -
from: シニョレッリさん
2015年05月14日 15時20分48秒
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傑作選(90) カラヴァッジョの「慈悲の七つの行い」
これが作品です。1607年頃に描かれました。
5月11日、ニューヨークのクリスティーズのオークションで、ピカソの「アルジェの女たち」が史上最高となる215億円!!で落札されたそうですが、「慈悲の七つの行い」がオークションされれば、落札額はいくらになるんでしょうかねえ、なんて思いました。
西洋絵画史上、真の改革を成し遂げたカラヴァッジョが描いた作品ですから、まさかピカソよりも低額とはとても思えませんが・・・
ナポリのトリブナーリ通りです。
トリブナーリ通りに面してピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア聖堂があります。
聖堂の主祭壇を飾るのがカラヴァッジョの作品です。
聖堂はミサが行われる現役の教会ですが、美術館として公開されてます。勿論有料です。
ところで、作品の鑑賞のポイントやこの作品が描かれた背景など、ご質問などを頂ければ、答える用意はしていますが、ありませんね。 -
from: シニョレッリさん
2015年05月15日 16時15分52秒
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ストライキ情報
出発が近づくと毎日スト情報の更新をチェックするのが常です。
チェックするのは交通機関だけではありません。
学校の先生のストライキも頻発しています。
先生のストライキが行われると、学校が休みになります。そうなると困るのが、交通機関、特にバスです。バスの運行が学校休業日の取り扱いとなってしまいます。
先生のストによって、バスの運行が朝夕だけとなって、酷い目にあったことがあります。 -
from: シニョレッリさん
2015年05月12日 09時20分36秒
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傑作選(89) チマブーエの「磔刑」
チマブーエの「磔刑」は幾つかありますが、今回取り上げるのは、アレッツォのサン・ドメニコ教会にあるものです。
ご覧のように「磔刑」は後陣にあります。
チマブーエが1268年から1271年にかけて制作したものです。
教会の建設が始まったのは1275年ですから、この「磔刑」は創建前に完成していたことになります。
後陣のステンドグラス越しに入る光が強くて、逆光になってしまいます。
と言うことで、鮮明な作品画像をWeb Gallery of Artから拝借して載せることにします。
聖母です。
福音書記者聖ヨハネです。
チマブーエの「磔刑」ですが、この他に1287年から1288年にかけて描いた、現在。フィレンツェのサンタ・クローチェ教会にあるものが有名です。しかし、この作品は1966年のアルノ川洪水によって大きな被害を受けてしまいました。修復されましたが、残念ながら元に戻ってません。
from: シニョレッリさん
2015年07月13日 16時15分24秒
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町歩き(98)カステルフィオレンティ—ノ(その5最終回)酔い覚ましに少し昼寝をしました。近くを散策することに。お馬の親子が未だいました。涼しくなってき