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from: シニョレッリさん
2015年07月18日 13時51分16秒
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美術館・教会巡り(402) モデナ、エステンセ美術館
1288年から1796年までの約500年、モデナを支配したエステが収集した作品が展示されてます。14世紀から18世紀の作品が展示の中心です。
18世紀に建てられたPalazzo dei Museiです。
Palazzo dei Museiと一体化したサンタゴスティーノ教会は、この日も開いていませんでした。私は一度も拝観したことがありません。
エステンセ美術館はこのPalazzoにあります。
美術館として一般公開されたのは1884年のことですから、もう130年以上の歴史があります。
建物の修復が終わったようです。
切符売り場
切符売り場の横後ろにロッカーとトイレがあります。
美術館は2階(日本の3階)にあります。
館内に入りました。
この部屋は最終展示室です。ここから見始めたら? (実は写真を撮りに来ました)第一室から見ろと煩いこと煩いこと!仕方がないので、お勧めに従いました。
Ambito di Wiligelmoの「男像柱」(1090‐1110c)
13世紀末から14世紀初頭に活動したヴェネトの無名画家による「磔刑とキリストの埋葬」(1290‐1310c)
Wiligelmoの「聖母子」(1100‐1120c)
Maestro di Torre di Palne(14世紀ヴェネツィアで活動)の「聖母子と死せるキリストと聖人たち」
三幅祭壇画になってます。
パオロ・ディ・ジョヴァンニ・フェイの「聖母子」
ジョヴァンニ・ディ・パオロの「幼きキリストへの崇拝」(1430‐1440c)
フランチェスコ・ディ・ネーリ・ダ・ヴォルテッラの「玉座の聖母子と天使たち」(1350‐1355c)
パオロ・ダ・モデナ(パオロ・セラフィーニ)の「ウミルタの聖母」(1370)
アルカンジェロ・ディ・コーラ・ダ・かメリーノの「聖人の殉教」(1430-35c)
左から「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」、「十字架降下」
左から「十字架降下」、「聖ザノービの葬儀」、「聖アンドレアの殉教」
左から「聖アンドレアの殉教」、「福音書記者聖ヨハネの殉教」
ジョヴァンニ・アントニオ・ダ・ペーザロの「洗礼者ヨハネ」(1460‐1470c)
バルナーバ・ダ・モデナの「聖母子と2聖人と磔刑」(1350‐1360c)
シモーネ・デイ・クローチフィッシ「玉座の聖母子と天使たち」(1390‐1399c)
(つづく)from: ぐら姐さん
2015年08月18日 01時59分45秒
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シニョレッリさん、今日(17日)、エステンセ美術館に行ってきました。けっこうじっくりと見てきたので、とても疲れました。このトピックで予習し、戻ってきて
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from: シニョレッリさん
2015年07月31日 14時56分11秒
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ワンちゃんだって喉が渇くよ
開店直後のクレモナのリストランテ。
店横に設けられたワンちゃん用の水飲み場です。
飲んでいる写真を撮りたかったけど、私の食事中に、これを飲んで一服したワンちゃんはゼロでした。from: nasakuraさん
2015年07月31日 15時48分18秒
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やられた!こういうのがイタリア人のよさであり、かわいらしさなんですよね~。キューゾもショーペロも、みんな忘れてよい思い出しか残らない。‥さながら不実な
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from: シニョレッリさん
2015年07月30日 15時53分51秒
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傑作選(101) ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖アントニオの多翼祭壇画」
この作品は、傑作中の傑作であり、超有名なので、敢えて取り上げる理由がありませんが、先月、この作品の写真を撮るためにペルージャに行った、それが過言ではないので、ここで改めて触れる次第です。
この日も暑かった!
この作品はペルージャの国立ウンブリア美術館にあります。
第11展示室に作品が展示されてます。
このような状態で展示されてます。
ペルージャのサンタントニオ・ディ・パドヴァ教会の祭壇を飾っていたので、「聖アントニオの多翼祭壇画」と呼ばれてます。
国立ウンブリア美術館の作品で1点選ぶならば、迷うことなく、この作品を選びます。
多翼祭壇画を観る場合、どうしても目立つ部分、この作品では「受胎告知」と中央部分の「聖母子と四聖人」に目が行きがちですが、裾絵にも必ず目を通しましょう。
遠近法で描かれた「受胎告知」です。
数学者としても高名なピエロですが、数学上の一番弟子が複式簿記で名高いルーカ・パチョーリです。レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルーカから遠近法を学び、やがて、それは「最後の晩餐」となって結実することになりました。
レオナルドは、数学上ではピエロの孫弟子と言っても良いでしょう。
中央部分
中央パネルの「玉座の聖母子」
向かって左のパネルは「パドヴァの聖アントニオと洗礼者ヨハネ」
向かって右のパネルは「聖フランチェスコとウンゲリアの聖エリザベッタ」
裾絵上段左は「聖キアーラ」
裾絵上段の中央には何も描かれていないようです。
裾絵上段右は「聖アガタ」
裾絵下段の向かって左は「パドヴァの聖アントニオの奇跡」
裾絵下段中央は「聖痕を受ける聖フランチェスコ」
裾絵下段の向かって右は「ウンゲリアの聖エリザベッタの奇跡」
第11展示室には、もう1点の作品が展示されてます。
「聖母子」の彫刻です。
展示室には誰もおらず、独占状態でじっくりと鑑賞できました。
名残惜しいですが、次の展示室に向かいました。 -
from: シニョレッリさん
2015年07月29日 09時38分12秒
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美術館・教会巡り(405) レッジョ・ネッレミリア、サン・ジョルジョ教会
Via Farniniに面して建っています。
1146年に建てられたロマネスク様式の建物が初代のサン・ジョルジョ教会です。
1610年、教会はイエズス会の管理下に置かれましたが、それを機に建物を建て替えることが決められました。
そうして、1638年に創建され、1743年に完成したバロック様式の建物が現在の教会の姿になってます。
私はロマネスク様式の教会が好みですが、富裕な人々が多かったコムーネでは、特に老朽化が進んだわけではないにも拘らず、ロマネスク様式の建物を取り壊して再建された教会が少なくありません。
今でも残っているロマネスク様式の教会は、十分に修復して維持保存に努めることが出来た大きなコムーネや、再建するだけの金がなくて今に至っている所にあるのが少なくありません。
特に、後者の場合、拝観するのが物理的に困難になるのです。一般的に交通が不便な場所にあるからです。
「竜を退治する聖ジョルジョ」の浮彫が有名なファサードです。
美術的には幾つかの見どころがあります。
クーポラと鐘楼は少し離れた場所に行かないとよく見えません。
鐘楼は1675‐1678年に建てられました。1743年建設のクーポラです。
単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。
右側壁方向
最初に祭壇を見ました。
多翼祭壇画の変形とも言える、このような祭壇は非常に珍しいと思います。
多翼祭壇画?の後ろ、後陣に架かっているパオロ・ヴェロネーゼの作品は、多翼祭壇画?に邪魔されて良く見えません。
アレッサンドロ・ティアリーニの「聖イグナツィオと聖フランチェスコに顕現する聖母子」
スタッコ彫刻とフレスコ画で装飾された第二礼拝堂です。
ルチア・カッサリーニの「イエズス会修道女に顕現する聖母子」
イエズス会の教会にしては、地味な感じがする天井です。
クーポラの装飾も地味です。
1610年に解体が決まった初代教会にあったとされるイコンです。制作年、制作者など詳細不明です。
初代教会にあったとされている「キリストの埋葬」(詳細不明)
他にはあまり見るべきものがなさそうです。
祭壇前から見た出入口方向です。
外に出ました。
(おわり) -
from: シニョレッリさん
2015年07月28日 09時55分10秒
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美術館・教会巡り(404) レッジョ・ネッレミリア、サンティ・ピエトロ・エ・プロスぺロ教会
エミリア街道です。
街道に面して建っています。
1140年に、この地に建てられたサン・ピエトロ教会が前身です。
1513年、ベネデット会によって教会に併設する形で修道院の建設が決まりましたが、それを機に教会も建て替えられることになりました。
1586年に創建され、1782年に完成したバロック様式の再建された建物が現在の教会の姿という訳です。
1629年に建てられたクーポラです。
反宗教改革を意識して、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラを模したそうです。
修道院の外壁に描かれた「聖母子」
制作者など詳細不明です。
単廊式、バロック様式の内部はかなり広いです。
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。
右側壁です。
身廊天井のフレスコ画は、ルーカ・フェッラーリ(グイド・レーニの弟子)によって1640年頃に描かれました。
暗くてよく見えませんでした。
主祭壇
後陣のフレスコ画(作者不詳)
クーポラ
反宗教改革を意識して建てられた教会なので、祭壇画は当時名の通った画家たちによって制作されてます。
これは、カミッロ・ガヴァッセッティの「聖ジュリアと聖クリストフォロの殉教」(1623)
パオロ・エミーリオ・ベセンツィ(1608‐1656)の「聖プラチードと聖フラーヴィアの殉教」(1649‐1650)
トンマーゾ・オッターヴィ(1814‐1909)の「聖ジャコモ・マッジョーレの殉教」(19世紀後半)
ピエトロ・デサーニ(1595‐1657)の「聖グレゴリオ・マーニョに顕現する聖母子」(1630c)
アレッサンドロ・ティアリーニ(1577‐1668)の「聖バルバラの殉教」(1625)
17世紀のエミリアの画家に拠る「聖母と聖シモーネと聖ルチアと聖カルロ・ボッロメオと聖フランチェスコ」
作者不明の「磔刑」
フランチェスコ・マリア・コデルッピの「聖母子と聖ベネデットと聖プロスぺロ」(1593)
サッソフェッラート作品の複製画
ジローラモ・マッサリーニ(1626‐1700)の「聖ジュゼッペの変容」
ルーカ・フェッラーリの「キリストの洗礼」(1649)
ルーカ・フェッラーリの「カナの晩餐」(1649)
セバスティアーノ・ベルチェッレージ(1603‐1657)の「聖マウロの奇跡」(1644c)
(おわり) -
from: nasakuraさん
2015年07月25日 20時24分06秒
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Enna (エンナ、シチリア州)のドゥオモ
前置き:シニョレッリさん、みなさん
身の程知らずにもトピをたててみます。
シニョレッリさんにお聞きしたいこともあり‥よろしくお願いします。
エンナにて少しだけ美術めぐり(?)をしました。
シニョレッリさんとちがって何の前知識もなく、入ってみたドゥオモです。
振り返って見た扉から入る朝の光
ステンドグラスが印象的
天井は木組みです。上方にきれいな絵が
気に入った絵はこちら
私も、このように作者を写してはみるのですが、
旅の終盤になると枚数が足りなくなり、泣く泣く消去する日々。
シニョレッリさん
充実の写真の数々、いったい一回の旅(2週間ほどでしょうか)でどれほど撮りますか?
何枚くらいを目安に準備なさるのですか?
ちなみに私は10日~2週間くらいで1000枚でまったく足りず上記の愚挙に至りました。
ホテルに戻り精選しては消す、という作業を毎日おこなったわけです。from: シニョレッリさん
2015年07月26日 07時45分57秒
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nasakuraさん、こんにちわ!ご遠慮無用です、これからも新トピを立てて頂きたいです。エンナのドゥオーモの写真、有難うございます。懐かしいです。一回
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from: シニョレッリさん
2015年07月14日 10時05分40秒
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町歩き(99) アシャーノ
アシャーノ Ascianoは、人口約6800人のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネです。
アシャーノに行くには、シエナまたはキウージからFS利用が便利です。キウージから乗車50分、シエナから30分で着きます。
駅舎です。
駅名ですが、数年前までは単にアシャーノでしたが、Asciano-Monte Oliveto Maggioreとなりました。
モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院の最寄り駅であることには間違いないですが、修道院はこの駅から10㎞ほど離れています。
宿泊したB&Bのオーナーに拠れば、修道院に行くために、早合点してこの駅で下車してしまって、途方に暮れる観光客が後を絶たないとか。
バスもないし、タクシーも常駐してません。徒歩で行くとなると、往復5時間弱かかります。
先ず、この日のお宿B&Bに向かいました。小さな町なので、ホテルがありません。
アシャーノに来た目的は、小さいながらも珠玉の作品を誇るMuseo Civicoとモンテ・オリヴェート修道院に行くことでした。
丘上に建つサン・フランチェスコ教会が見えました。
右に折れれば、オリヴェート修道院に行くことが出来ます。
2007年、この道を徒歩で修道院に行ったことがあります。あの時はまだ若かった、今はとても歩けません。
駅からチェントロまで徒歩5,6分ほどです。
もう直ぐです。
サンタガタ聖堂の鐘楼が見えてきました。
教会の手前に城壁があります。この辺は取り壊されて、城壁は殆ど残されていません。
城壁の向かいにある戦没者慰霊碑です。
チェントロに入りました。
必訪のサンタガタ聖堂です。
聖堂の拝観は後回しにして、取り敢えずB&Bに向かいました。
大きく重い荷物があっては身動きできません。
(つづく)from: nasakuraさん
2015年07月22日 23時40分01秒
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町歩き(99)アシャーノ(その6)修道院の古井戸と置かれた花がしっくりして素敵です。よく見ると、木の扉にも植木鉢が均等にありますね。こういうイタリア人
from: シニョレッリさん
2015年07月21日 10時03分13秒
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町歩き(99)アシャーノ(その7最終回)結局、美術館、博物館、ローマ遺跡の3つとも開いていませんでした。実は、こんなこともあろうかと思って、日本を発つ
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from: シニョレッリさん
2015年07月03日 14時56分50秒
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2015年夏の旅 モデナ
昨日は多分、猛暑日だったと思います。
熱波襲来のイタリアですが、海に面したアンコーナはそれほどでもありませんでした。
しかし、内陸のモデナは暑かった!
修復工事が終わったドゥオーモを見るのは、7年振りでしょうか。
エミリア・ロマーニャ州が大好きです。
この街の主な教会は殆ど拝観してますが、見落とした箇所が結構多く、今回は今まで見落とした箇所を全部見ることが出来ました。
覚悟を決めて、エステンセ美術館の展示作品全部の写真を撮ることにしました。作品数が多いので大変でした。
写真を撮り終ってから、今度はじっくりと鑑賞しました。結局、美術館内に5時間ほどいましたが、その間、入館者は私一人でした。それでも監視員が各展示室にいました、ご苦労なことです。
この美術館は質が高いです。from: シニョレッリさん
2015年07月16日 16時12分40秒
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cucciolaさん、>私は夫と結婚式を挙げた翌日に、彼の出張についてモデナに行ったことがあるんです。新婚旅行兼出張とは、仕事熱心なご主人に頭が下がり
from: cucciolaさん
2015年07月15日 22時17分52秒
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シニョレッリさん、私は夫と結婚式を挙げた翌日に、彼の出張についてモデナに行ったことがあるんです。一人でこの美術館を訪れましたが、小学生たちがぞろぞろ入
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from: シニョレッリさん
2015年07月11日 14時54分28秒
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これって何でしょうか?
ウンブリアやトスカーナの小さな町で、家の壁にスプレーで吹き付けられた奇妙なマーク?をよく目にしました。
これを見るのは、今回が初めてです。
写真手前の扉と次の扉の間にある壁に、そのマークみたいなものがありました。
チョット物騒なマークです。反資本主義?
同じマーク?なので、これ以上違う壁の写真を載せても意味がないので、この辺で止めておきます。
単なる落書きのようなものでしょうか?それとも政治的な意味合いでもあるのでしょうか?
30以上は見たと思います。-
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from: シニョレッリさん
2015年07月09日 10時13分43秒
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美術館・教会巡り(400) キヴァッソ大聖堂
キヴァッソのチェントロを南北に走るポー通りです。
通りの北端にあるのがレプブリカ広場です。
広場の突き当りにあるのがキヴァッソ大聖堂です。
教会の正式名称はChiesa Collegiata di Santa Maria Assuntaです。キヴァッソはイヴレア司教区の属してます。
地元の人たちは古くからドゥオーモと呼んでますが、教会の格付けは長い間低いままで、参事会教会になったのは1996年と、ごく最近のことでした。
15世紀前半、モンフェッラート侯爵によって教会の建設が決定され、1415年に創建され、1487年に完成した後期ゴシック様式の建物です。
奉献は1429年でした。
鐘楼は1475年に建てられましたが、その尖塔はナポレオン軍によって1705年に破壊され、20世紀になって漸く修復された、新しいものです。
この大聖堂の見どころはファサードに施されたテラコッタ装飾です。
アルプス産の粘土を原料に、1450-1460年に制作されたテラコッタです。
色が赤っぽい箇所は最近修復されたものです。
アルプス産の粘土はもろいそうですが、その為、落剝しやすいそうです。
幾度となく修復が繰り返されたテラコッタ装飾です。
ポータル上ルネッタに描かれたフレスコ画は一段と劣化が進みました。
三廊式の内部は、バロック期と19世紀に行われた修復によって、ゴシック、バロック、新古典様式の折衷です。
右側廊方向
左側廊方向
(つづく)from: シニョレッリさん
2015年07月10日 09時41分26秒
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美術館・教会巡り(400)キヴァッソ大聖堂続き左側廊です。右側廊主祭壇です。19世紀に行われた修復の際、後陣に15世紀に描かれたフレスコ画は全て塗りつ
from: シニョレッリさん
2015年08月18日 09時17分52秒
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ぐら姐さん、お役に立てたようで嬉しい限りです。旅の後半ですね。引き続き、お元気で旅を楽しんでください。