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from: シニョレッリさん
2015年12月18日 16時02分27秒
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街歩き(112) アッビアテグラッソ
アッビアテグラッソ Abbiategrasso は、人口約3万2千500人のロンバルディア州ミラノ県にあるコムーネで、ミラノの中心から22km離れてます。
公共交通機関を利用してアッビアテグラッソに行くには、地下鉄とFSの二つの方法があります。
この日は、ポルタ・ジェノヴァ駅からFSに乗っていきました。
ミラノの駅の中で、ポルタ・ジェノヴァが最も汚いように思います。車両も落書きだらけでオンボロです。
アッビアテグラッソ駅に到着しました。有名なヴィジェーヴァノの一つ手前の駅になります。
駅舎です。
駅前広場
駅横にある公園です。
公園中央にあるのは、イタリア統一の英雄ガリバルディの像です。
公園の先に、この街のシンボル的存在の城があります。
カステッロ・ヴィスコンテオです。
残っているのは、城館の一部だけです。
中は観光案内所、市立博物館、市の催事場になってます。
中庭
観光案内所で地図を入手しました。博物館に入館(無料)しましたが、残念ながら見どころが殆どありません。
外壁にある紋章です。
やや期待外れのカステッロでした。
カステッロ前の広場に設けられた野外スケート場です。
(つづく)from: シニョレッリさん
2015年12月21日 16時41分22秒
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街歩き(112)アッビアテグラッソ(その3)写真左の建物の壁に何か描かれていることに気付きました。フレスコで描かれた文様のようです。狭い旧城壁内を一周
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from: シニョレッリさん
2015年12月08日 09時49分15秒
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美術館・教会巡り(436) フェッラーラ、サン・ジョルジオ聖堂
9月20日通りに先に門があります。
1776年に建設されたArco della Prospettiva della Ghiaraを潜って城壁外に出ました。
重厚な城壁です。
ポー川の向こうに見えるのがサン・ジョルジョ聖堂です。
ポー川に架かる橋を渡りました。
1959年にBasilica Minoreになったので、Basilica di San Giorgioが正式名です。しかし、城壁内にあるフェッラーラ大聖堂の名称がCattedrale di San Giorgioなので、混同しやすいと言うことで、それを防ぐためにBasilica di San Giorgio fuori le muraと呼ばれることが多いと思います。
fuori le muraとは城壁外の意味で、城壁外にあるサン・ジョルジオ聖堂という訳です。
その名称の通り現在のフェッラーラ大聖堂と関係があります。
7,8世紀頃に創設された教会が前身で、のちに司教座が置かれました。その当時は城壁外のこの地が街の中心でした。
現在のこの聖堂から見てポー川に向こうに城壁が築かれ、街の中心が現在のチェントロに移りましたが、それを機に城壁内に大教会を新築することになり、1135年に司教座が現在のフェッラーラ大聖堂に移されました。
司教が去った教会は、12世紀に新たに創建されましたが、15世紀にフェッラーラの建築家ビアージョ・ロセッティ(フェッラーラ1447c‐1516)(フェッラーラ国立美術館となっているディアマンティ宮などを設計)の設計によって改築され、17-18世紀に一部バロック様式に変更された建物が現在の教会の姿となってます。
ファサードのみがバロック様式、それ以外はルネサンス様式の外観となってます。
1959年、Basilica Monoreとなりました。
ビアージョ・ロセッティの設計によって1485年に建設された鐘楼です。
三廊式、ルネサンス様式の内部です。
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。
内陣中央から見た右側廊方向
天井のフレスコ画
(つづく)from: シニョレッリさん
2015年12月09日 10時05分14秒
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美術館・教会巡り(436)フェッラーラ、サン・ジョルジオ聖堂続き主祭壇と後陣主祭壇にあった多翼祭壇画がここにあったら、どんなに良かったことか、と嘆息し
from: シニョレッリさん
2015年12月25日 15時50分23秒
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街歩き(112)アッビアテグラッソ(その4最終回)教会を拝観する日本人を現地の人たちはどのように思っているのか、興味があります。これ以上、見どころが無