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from: シニョレッリさん
2023年05月23日 06時12分27秒
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持参金
イタリアの街巡りをしていると、時々立派な女子修道院を見かけます。
それらの建設された経緯を調べると、娘(多くは三女以降の娘、長女と次女は持参金付きで嫁入りさせた)の持参金を捻出できないので、嫁がせるのを諦めて娘の居所として修道院教会の建物を建設した、というのがよくあります。
それだけを見ても、中世ヨーロッパの持参金が巨額だったことが分かります。
フランス領土の半分を持参金にして娘を嫁がせたフランス王がいたし、メディチ銀行だって持参金を元手にして銀行業を始めたなど、持参金を巡る話は尽きません。from: nasakuraさん
2023年06月19日 05時57分36秒
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シニョレッリさん持参金の事例を愉しく読みました。ときにNHKーFM平日早朝の「古楽の楽しみ」をご存じですか?https://www.nhk.jp/p/
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from: シニョレッリさん
2023年05月09日 15時55分01秒
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カラヴァッジョ、終焉の地
1610年7月、恩赦間近の情報を得て、ナポリから海路でローマに向かいました。途中のパーロ・ラツィアーレで下船させられ逮捕されました。二日間拘留され多額の保釈金を払って漸く釈放されましたが、カラヴァッジョの荷物は乗船した船と共にポルト・エルコレに行ってしまいました。その荷物の中には、恩赦のお礼用にカラヴァッジョが描いた絵画がありました。
その絵画はカラヴァッジョにとって貴重なもので、荷物を追って、パーロ・ラツィアーレから徒歩で灼熱の中、ポルト・エルコレに向かいました。重い熱病に罹ってポルト・エルコレで没した、というのが定説です。
しかし、下船させられたパーロ・ラツィアーレの城で、教皇庁の了解のもとにマルタ騎士団によって斬首されたという説があります。
私がパーロ・ラツィアーレとポルト・エルコレに行った感じでは、カラヴァッジョの終焉の地はパーロ・ラツィアーレであると確信するようになりました。
パーロ・ラツィアーレには城しかない小さな港です。人を消すには絶好の場所に思えます。
ポルト・エルコレには、カラヴァッジョが実際に行ったという確実な記録が無さ過ぎです。from: シニョレッリさん
2023年05月15日 14時05分01秒
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nasakuraさん、こんにちは。イタリアの旅は、何かテーマがあるとより一層楽しくなりますね。勿論、特に何も考えずに漠然と旅をしても十分楽しいですが。
from: nasakuraさん
2023年05月14日 13時09分20秒
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シニョレッリさん、こんにちは。>パーロ・ラツィアーレとポルト・エルコレに行った感じではさすがです。実際にご自分でいらしてその場の空気の中に身を置き、そ
from: シニョレッリさん
2023年06月21日 11時57分25秒
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nasakuraさん、こんにちは。コメントありがとうございます。最近FMは全くのご無沙汰で、聴くことがありません。持参金の場合、多くの場合、娘の美醜は