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from: 哲ちゃんさん
2024年09月30日 16時07分58秒
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ラジオの青春 41
2024.9.30 Mon
「飽きっぽい」という言葉で、僕の性格を短絡的に簡単に語られる事も少なくない・・が
それは、大きなカン違いであり誤解だと、ここで正直に申し上げておく
先日のラジオでも、お話ししたけれど・・あの頃、僕はまさに1匹狼のような環境に置かれて
周囲には(敵とまでは言わないにせよ)僕の言動を根本から否定するような
古い体質が顔を利かせる社会状況というモノが頑として存在していたのだった
特に僕が、事あるごとに困り果てていたのがマスメディアの持つ旧体質である
ある週刊誌の記者は「アンタの記事をウチで書いてやる」という上から目線での物言い
また某テレビは「歌わせてやる」という接し方で、僕からすると不愉快な気分は隠せなかった
それでも当初は「わかりました」と答えて僕なりに対応していたのだが・・・
「あなたはボブ・ディランの影響が大きいって聞きましたが・・そのディランについて
拓郎さんの今の想いを語ってくれないですか?読者もボブ・ディランについて
知らない人も多いと思いますのでね」
僕はその時「これは良いチャンスだ!今どうして、ここに僕が居るのか?を話したい」
と興奮しながら・・2時間あまり「そもそも僕の音楽の、ここまでの経緯と体験
そしてフォ-クという言葉で必ず引き合いに出て来るボブ・ディランに関する
僕なりに知り得ているエピソ-ド」などを熱く語った
「なんだ!これは!どうなっているんだ?・・・あのヤロ-・・・ふざけやがって」
発売になった雑誌の僕のインタビュ-のペ-ジには・・ボブ・ディランは
たったひと言「僕にとって彼は神様です」という言葉で片づけられていたのだった
1時間近くディランを語った・・・・のに・・である
そして「そんなこたあ-どうでもいいじゃ-ね-か」な僕の日常の下世話なエピソ-ドが
数ペ-ジにわたって記載されていた
もはや「限界だあ-」という気分100%で・・そこから「取材拒否男」と名づけられてしまう
・・そうやって・・吉田拓郎という「生意気で自分勝手で独りよがり」な男がデッチ上げられるのだ
亡き母がよく僕に語った言葉が忘れられない
「あんた、いつからそんな頑固者とか自分勝手って言われるような男になったんだい?
広島に居る頃って、アンタみたいに主張の無い男の子が東京でやって行けるか?って
そこが一番心配してたところだったのにねえ」
僕が「変わり者」でも「がんこ者」でも「意地っ張り」でも「飽きっぽい」でも・・ない!事は
母も、広島時代のザ・ダウンタウンズのバンドメンバ-も、当時の広島フォ-ク村の連中も
皆んなが知っている
それでも吉田拓郎を「ガンコモノ・イジッパリ」に、しておきたい「ヤボなへそ曲がり」がいた事は事実
そう「思い込んでいる人たち」こそが・・・融通のきかない「旧体質から脱け出せない時代錯誤」なのだ
そもそも・・胸に手を当て(なくても、いいから)ヨ--ク考えてもらいたい・・
1:そんな偏屈なヤツに「流星」のような「純に青春を懐かしむ」曲は書けません
2:そんな強情っぱりに「君のスピ-ドで」のような「素直なラブソング」は書けません
3:そんな独りよがりに「ガンバラナイけどいいでしょう」のような「ナイ-ブな心情」は書けません
4:そんなバランスの悪いヤツに「音楽の長い道」は歩き続けられません!
母は、きっと言うだろう
「なあ~んだ・・アンタ・・やっぱり何にも変わってなかったのねえ・・そうだと思ってたわよ
あの病弱で、心も弱くて、友達の言う通りに行動していた拓チャンだものねえ・・
まあアンタが上京を決意した瞬間から、そういう運命が待っていたんだろうね・・おつかれさまでした」
ミニアルバムの5曲目「主役」は
ラジオリスナ-からのメ-ルに心を動かされて書きました
世界中の「私」が歩いている「私の道」は
誰が何と言おうと・・私しか知らない・・けど私が胸を張って歩いている道なんです
*画像はスタジオにて久しぶりにキ-ボ-ドを楽しむ僕
相変わらず弾いている曲はレイチャ-ルズの「I Can't Stop loving You」
広島時代から・・これ弾きながら歌う・・のが得意・・ってか?・・・・これしかチャンと弾けない(笑)
2024年9月30日 拓郎 -
from: 哲ちゃんさん
2024年09月28日 15時03分49秒
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WOWOW特番の詳細決定!
11月30日(土) WOWOW特番の放送時間が決定しました!
番組名:吉田拓郎 ラジオの夢 ~ありがとう ラジオ これからも 僕は君のそばに~
放送日時:11月30日(土) 18時
吉田拓郎が長年抱き続けてきたラジオ愛。その想いを音楽で表現した楽曲の完成までを追うドキュメンタリープログラム。
ラストオリジナルアルバムを発表してから2年。
2024年の吉田拓郎はいま......。
ニッポン放送が開局70周年を迎えた記念の年。
「ラジオが青春だった」と語る吉田拓郎は、ニッポン放送への感謝の気持ちも込めて、オールナイトニッポンに期間限定で復帰。
「僕にとってラジオはホント、宝物なわけ」あの頃の想いをもう一度、ラジオリスナーたちに伝えていた。
そして、それだけではとどまらず、吉田拓郎は「ラジオとの青春」をコンセプトアルバムという形で表現することにも集中していた。
日本トップクラスのミュージシャン・アレンジャーがレコーディングスタジオに集い、アイデアをぶつけ合う楽曲制作、
全5曲入りの新作完成までを追う、レコーディング現場とラジオ収録の裏側に密着した60分のドキュメンタリープログラム。 -
from: 哲ちゃんさん
2024年09月27日 11時56分28秒
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ラジオの青春 40
2024.9.27 Fri
1995年だったか・・バハマ諸島にあるコンパスポイント・スタジオでの録音は
日本流で言えば、まさに合宿のような日常の中でのレコ-ディングだった
L.Aから呼んだミュ-ジシャン達は1軒のプ-ル付きの豪邸に宿泊した
寝室が6つある大きな邸宅で、通常もアメリカからのVip長期滞在客用に使われていると聞いた
我々もニュ-ヨ-クから呼んだシェフが朝・夕の食事を担当し
1日中、雑用などをフォロ-してくれるバトラ-(執事・秘書のような存在)も付いていた
L.Aのミュ-ジシャン達は全員、アメリカの色々なア-ティスト達のアルバムなどで
Recミュ-ジシャンとしての名前を知っている連中ばかりだったので
スタジオワ-クは非常にスム-スに進行し、曲のあがりも早かった
おまけに僕が、この日のために自宅で完パケに近いデモテ-プを作って持参した事もあり
現場での録音作業が、かつてのニュ-ヨ-ク録音やロスアンジェルス録音とは
比べものにならない程で、ミュ-ジシャンとのコミュニケ-ションは文句なしだった
レコ-ディングは毎日午前11時過ぎあたりから開始し
夕刻の4時とか5時には終了する、比較的ゆるいスケジュ-ルだった
夜はシャワ-を済ませて全員でディナ-ル-ムでの豪華な夕食会となり
アルコ-ルも日本酒を含むN.Yから持ち込んだリキュ-ル・ワイン等
「これがレコ-ディングか?」と思わせる、毎日の豪華なメニュ-で
それまで僕が、日本でも合宿形式でレコ-ディングしていた風景とは天と地の差があった
おかげでミュ-ジシャン同士の、国を越えた音楽の話題が尽きる事なく続いた
特にドラムのラス・カンケルとは「お互いにハワイ好き」で、またベ-スのリ-ランド通称リ-は
「L.Aのア-ティスト・・キャロルキング等のRec現場」のエピソ-ドに詳しくて興味津々だった
(リ-とはその後もメル友が続いている)
*画像はバハマの邸宅プ-ルサイドで朝食をする僕・・ですが・・
良く見ると・・・手には「お箸」・・・その下のあたりにあるのは・・・「お椀?」・・・
って事は・・・僕の朝食は・・・え?・・・え?・・・もしかして・・・和朝食!!!
・・・・・ダッセエ-ナア-・・・・おめえ-よ-・・・・どこにいるんだよお---!!(涙)
2024年9月27日 拓郎 -
from: 哲ちゃんさん
2024年09月25日 08時09分08秒
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from: すみともさん
2024年09月25日 05時27分22秒
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from: 哲ちゃんさん
2024年09月24日 07時43分09秒
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ラジオの青春 39
2024.9.23 Mon
ニッポン放送のANNGも「かねてから約束の収録回数」を無事に終える事が出来た
我ながら「よくやった」とビ-ルで乾杯
特にコロナ禍では全て自宅の「いつもデモテ-プ録音用に使っていた機材」での宅録(拓録)となった
kayoさんにも23時ジングルに参加してもらって・・夫婦の位置関係がバレた(笑)
そして今回のミニアルバムもマスタリングが終了して、いよいよ発売日を待つのみである
さて・・と・・
お~う・・いかん・・いかん・・あの曲ねえ~
ハイハイ・・もちろん・・約束の締め切りなんて・・言われるまでもなく
僕は、こういう事は絶対に裏切らない、いつも必ずお相手のリクエストは守って来ました
お約束通りに先週、あの方とスタッフご一同様にデモテ-プをお送りしました
「うわあ~なんてカワイイ曲になったんでしょう!素敵です!感激しました」って
あの方からお返事いただきましたので
「最近まで武部聡志君とアレンジを共有してスタジオやっていましたから・・
もし、ご希望ならば、この曲も武部君と二人でアイデア練りますよ」と伝えました
「是非ともお願いします、スタジオでお逢い出来る日を楽しみいたします」とのお返事
・・・・ところで・・あの方・・って・・誰?・・・・ふふふ。。
なあ~んて・・言ってたら・・ありゃりゃ~・・りゃあ~~
「ご無理を承知で、作詞・作曲でお願いしたいのですが!」って・・今度はあちらのお方・・お方々から
「え-っ・・ちょっとオ-・・マジい-・・僕がア-?・・リタイアだって言ってるじゃんヨ-・・」
・・・うう--ん・・・僕がねえ・・わざわざ・・僕ですかア-・・・そうですかア-・・・
「やるか?ねえ・・やろうか!・・ねえ・・一生懸命にやらせていただきましょうか・・ねっ!」
断りきれない年齢なのでしょうねえ(笑)・・・・・ウソです!
名古屋のラストLiveでハッキリね「音楽はやめない」って皆んなに言いました
しばらくは僕の机上のPC打ち込みソフトも削除できそうにありません
(若い頃から・・性格的に・・「それが終わったら」・・「それ関係」を身辺から削除する人でした)
この打ち込みソフト!コイツには本当に長い間お世話になりっぱなしでしたから
そうですね・・コイツも「そろそろ・・」だと・・思っている事でしょう
「おい!もう1曲やろうな!よろしくな!」
*画像はハワイ・マウイ島のワイレア地区にあるラグジュアリ-ホテル「ケアラニ」の
3つあるセレクトプ-ルの1つでadult・onlyになっています
我が家は、毎年の正月をここで過ごして来ました
ワイレアと言う町は、マウイ島でも有名な観光地「ラハイナ」からは車で30分以上
観光客でホテルがいつも満室状態のカァナパリ地区からは1時間という
場所にあるのですが、それはそれは閑静で、とてもラグジュアリ-な場所なのです
このプ-ルサイドで大好きな「ピニャコラ-ダ・チチ」を飲みながら
愛する60年代アメリカンポップスを聴いていると
「ここは天国」って・・本気で感じるのです・・ウソじゃありません!
そういう不思議な空気が流れている場所なのです(あ-!こうしていると、行きたくなる)
ちなみに「ケアラニ」はハワイの言葉で「天国」を意味するようです
・・・それにしても・・拓郎さん・・イイ身体・・してらっしゃいま・・・・・・・せんかア-⤴
2024年9月23日 拓郎 -
from: 哲ちゃんさん
2024年09月20日 20時51分00秒
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ラジオの青春 38
2024.9.20 Fri
こうやって昔の写真を引っ張り出して眺めていると
その頃に感じていたであろうリアルタイムな感情が・・ちょっと揺らぐのだ
人間は本当に勝手な生き物なのだな!と我ながらタメ息が出る
前回のペ-ジで書いたように、1人のミュ-ジシャンに立ち戻る事を決意し
これからの自分には「もはや重い荷物」となりそうな過去を切り捨てながら
半歩ずつ歩き始めていたシ-ズン
Live活動は自分なりに納得できるバンド編成や内容だったし
アルバム作りもツア-メンバ-がメインとなってのスタジオワ-クだったので
ほぼ思い通りの作品が次々に生まれていて、その事に関しては・・むしろ好調でもあった
ミュ-ジシャンにとって最も大切な、この2つのポイントはOKだったわけだから
「他に何が不満だ?」という事になるかも知れないが・・
残念ながら・・僕1人が孤軍奮闘する限界も存在していたのだ
僕たちが「音楽を作る・演奏する」この事については
そこに選ばれたミュ-ジシャン同士で責任を持ってゴ-ルを目指すのだが
「では・・いつ・・どこで・・のべ何回」などの事案を「現地と調整する能力」つまり実務
ステ-ジ上のPA、照明スタッフの選定、パンフレットetcの製作・・
その他・・実に多くの場面で行動力とセンスが問われるのが実務である
それ等を企画、制作、提案、実行に導く「リ-ダ-シップ」が絶対条件として必要となるのだが
僕は、当時これが実に不満であった
おまけに無用とも思える単発テレビ番組(クイズ番組・ト-ク番組)への出演
そして「え~っ?俺が~?」というCM・CFへの起用
ある時「書きとめてあるエッセイが沢山あるから1冊の本として出版しないか」
という僕の提案に「今の時代はエッセイ集なんて・・・・」と反論
後に某出版社と酒の席で、この事を話したら・・「何を言ってるんですか・・今すぐにでも
やりましょうよ!」とのリアクションで・・さすがの僕も心が冷えきってしまった
1990年代の後半
つまり、あの番組「love2あいしてる」が始まって当初は僕も
「しばらくはツア-なんてやりたくない」と心に思っていたのだったが
若い連中との時間が増えるにしたがって・・彼等に「ただのジジイじゃあ-ねえんだぞ!」と
・・まあ・・エエカッコ・・したくなり・・番組メンバ-のlove2オ-ルスタ-ズとのツア-を決意した
そして、その頃、上記のマネ-ジメント関連も「古きは一掃され」
僕の周りは「すべてが新しい旅を共に進むチ-ム」で笑顔と熱気に溢れていたのだった
*画像は河口湖にあったレコ-ディングスタジオで愛車BMW320iオ-プンで遊ぶ僕
全国ツア-中に、この車で四国までドライブした事があった
大変な道程だったが実に楽しいツア-となった
四国は移動の便がそんなに良くないけれど、逆にその間の移動が本当に楽しいのだ
各県の県境には必ずの絶景が待っていて、しばし休憩と軽食が大いに楽しみだった
四国のイベンタ-(今は、そうは言わないのかな?)「デュ-ク」の宮垣君とは
四国滞在中は良く飲んだ・・いっぱいのエピソ-ドは宝物である
2024年9月20日 拓郎 -
from: 哲ちゃんさん
2024年09月18日 17時32分48秒
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ラジオの青春 37
2024.9.17 Tue
50歳のバ-スデイパ-ティ-をハワイでやろうと企画した
その前の10年・・つまり40歳になった頃から僕は自分の周辺に関する「?」を
多くの場面で感じるようになっていたのだった
それまでの、大切であったはずの友人関係における些細ではあるが疑問が
ふくらみ始めていて、多いに心を惑わす事が続いていた時期でもあった
個人的な苦悩の始まりは、フォ-ライフレコ-ド結成にさかのぼる事になる
この船は大きな問題点を横に置いたまま船出していた・・が・・その事は船が港を出る頃には
誰一人気がついていなかったのだ・・いや・・気づいてはいたが・・放置していたのかも知れない
中心人物も、それを取り巻く周辺の人々も皆んなが笑顔で「船出を祝う騒ぎ」に巻き込まれて
夢ばかりが先行したまま出港してしまったのだった
港を出てしまった船は、もう進むしかない・・そこが非常に苦しい出発であった事を
我々は忘れていたのだ・・ともかく突き進むしかない・・しかし・・
その頃から僕の心の中で育って行くのは不信という言葉と心情
若い頃に信じたはずだった事が、徐々に形を変えながら崩れて行く時間の始まりだったのだ
そも・・会社なんて作るべきだったのか?
少なくとも自分が率先して参加するべきでは・・なかった・・のでは・・
だが・・「え-い!もう遅い!遅かった」・・気がつかなかった自分が悪い
それは・・はしゃいでいた季節の終えんを突きつけられる・・自業自得の船出でもあった
・・もう行けるところまで・・突っ走るしかない
「まずいな・・俺がやろうか・・?」
だが・・どうやる?
答えは1つ!「夢の話は終わった・・俺も変わる・・皆んなも変われ・・」
もちろん音楽活動は無理に決まっている・・
「両立なんて甘っちょろい事を言ってるようでは、この船は前に進まない」
そして全員で再スタ-トを決意して数年・・会社としての体をなす頃には
やはり自分の役割も終わっていると強く感じ始める
当然だ、もともと自分の人生の目標ではない・・ここは似合わない
僕はア-ティスト活動を再開する決心と共に・・・1つ!心に言い聞かせた事があった
「この会社設立を含めた、70年代の自分を取り巻いていた環境と別れよう」
あの騒々しかった時代の中で無意識の内に育まれていたであろう
「はかない友情とか絵空事の人情」などが・・すべて「もろく崩れ落ちて行く」のが見えたのだ
自分に激しく問うた「お前は何を根拠に、その場所に立っていたんだ」と!
答えは明白だった・・自分が「ことごとく、わかっていない」・・それだけだ
50歳のバ-スデイパ-ティ-in Hawaii は素敵な時間となった
ファンの方々との愉快な1日も、いかにも「かつての僕らしく・・なく・・て!」良い思い出になった
僕にとってもア-ティストとして再活動を始めたものの、所属事務所、マネ-ジメントetc
あらゆる環境が定まらず試行錯誤が続いていた
アルバムレコ-ディングやツア-活動などが順調に回復していたにもかかわらず
そのマネ-ジメントやツア-に関するスタッフという点では暗中模索の連続で
(ここにも、過去への郷愁と思える人選が優先されるシ-ンが多く・・すべて失敗に終わっていた)
何としても恒久的な人心一新が必要な季節だった
色々な意味でこのパ-ティ-を1つの区切りにする覚悟だったのだ
パ-ティ-のディナ-メニュ-等すべてを事前にハレクラニホテルのスタッフと打ち合わせして
ワインの種類からショ-の内容まで決めるほど、僕はこのパ-ティ-の意義を感じていた
招待客もフォ-ライフからは2~3人しか選ばず、長年の付き合いである地方のイベンタ-諸氏と
ラジオを通じてのリスナ-ゲスト中心にパ-ティ-を催したのは、その後への「強い想い」からだった
僕自身、この夜は大変に素晴らしいメモリ-となって・・そこから次なるステップへの
最高の夜となった事は記憶にも新しい
今でも覚えている光景がある・・
当日のお昼にカハラホテルでの昼食集会から、全員でのカハラモ-ルでのショッピングが愉快だった
ある男性ファンに「君のショ-トパンツは短すぎるよ、せめて僕ぐらいの長さにしなよ」と
当時、流行の兆しがあったストリ-ト系のファッションをすすめたのだ
僕に言われて彼はすぐに、そのパンツを売っているショップに走ったのを笑顔で見ていた
(アイツ元気かな)
*画像はハワイのレストラン前で踊る僕
パ-ティ-の翌日に僕達夫婦とスタッフだけでの夕食会を開いた
パスタ専門店だったがkayoさんは・・なかなか・・お口にあわない様子で・・
それを拝見しながら僕は・・「大丈夫かなあ~kayo さん ご機嫌 いかがでしょうかねえ」
なんて・・気にしているうちに・・酔ってしまって(笑)・・表に出て踊り始めたのだった
2024年9月17日 拓郎 -
from: 哲ちゃんさん
2024年09月14日 13時55分15秒
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ラジオの青春 36 ライナーノーツ 1
2024.9.14 Sat
ラジオへのありがとう!を込めたミニアルバム「ラジオの夢」完成です
そして、ラジオとの素敵な青春を描いているうちに僕の胸の中には
そのラジオを一緒に聴きながら青春していた「まだ見ぬリスナ-の顔」がボンヤリと浮かびました
「そうなんだ僕たちは・・あの夜・・心を・・通わせた」・・最後にそんな歌を作りたい
5曲ですが、とにかくミュ-ジシャン皆んなの協力を得て頑張りました
ラジオとの想い出・ラジオへの感謝
そこはLiveステ-ジ同様に「自分らしく生きる事」ができた空間でした
音楽も自由に自在に育ちました
僕の愛する音楽は自由である事が・・まず・・そもそもの・・原点だったと思います
「壁を作らない」という発想は、僕に多様なチャンスと成功をプレゼントしてくれました
ラジオを通じて学んだものは無限です
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1:書き上げました!僕と僕の音楽を愛してくださった皆さんが
色々あったけど・・ともかく今・・ここに・・居るんだ・・と
理由なんていらない!
笑顔で・・ビ-ルでも・・ね!
皆んな笑いましたよ そして 皆んな泣きましたよ
皆んな怒りましたよ そして 皆んな慰めましたよ
皆んな走りましたよ そして 皆んな立ち止まりましたよ
皆んな考えましたよ そして 皆んな突進しましたよ
皆んな歌いましたよ そして 皆んな沈黙を守りましたよ
そして
皆んな愛し合いましたよ
皆んな抱きしめたんですよ
私たちは青くて何も考えられずに青春という道を
明日の事など気にしないで走っていたようです
それはその時、私たち1人1人に吹いた風だったのです
もちろん・・あなたと・・私では・・言葉では言えない・・その時の温度も・・違う・・はず
でも当時「先人たちや・社会という空気」は
私たちを面倒くさそうに「同じ箱に」入れて・・ホッとしていたみたいでした
同じ箱・・そんな息苦しい世界・・あなたはアナタ・・僕は僕・・なのに・・
さあ!あの時のアナタが今のアナタに
あの時の僕は今の僕に
色々あったけど・・いいじゃない・・だってさア-・・今は今なんだものね
うるさい世間も・・だから、どうなのよ?・・それで、どうだったって言うんだい!
私たちは・・生きているんです・・あの時も・・今も
今も昔も・・私たちなり!・・なんです
そんな新曲を書きました・・聴いてください
1曲目は「Address Unknown」
住所不明のアナタとの詩(うた)です
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2:ずっと昔の事でした
加藤和彦が「詞を1つ書いてくれないか」って言ってきた事がありました
作詞だけ・・って・・あんまり経験ないけど・・これは彼に「どうかなあ?」
「まあいいや・・ダメなら返してね、僕が歌うから」と伝えました
出来上がった「5月の風」は加藤君の独特のハナウタ風の軽いボ-カルで
「この詞で、このメロディ-なら」こういう歌い方が「いいかもな」と感じました
でも加藤君・・「あんまり・・やる気・・ないみたい・・」なRecでした・・アハハ・・
今回あらためて聴きながら・・「作り直したい」という衝動にかられたのです
まず元の詞に少しニュアンスを加えて新たに言葉をプラスしました
メロディ-はまったく違うアプロ-チでファンクム-ドで迫ります
(拓郎がやると・・そうなっちゃう!的なね)
生まれ変わった「五月の風 partⅡ」を気分一新で聴いてください
うん、きっと、トノバンのファンは言うよね「前のが良かった・・ツマンナイ」(笑)
そう・・それが・・音楽・・好き嫌いは・・その人の自由・・好きもあれば、嫌いもあります
失礼いたしました・・でも・・オレ・・こっちが・・スキ・・えへへ・・ワリ-ナ
さて実はこの曲のボ-カルは「仮ボ-カルの時の1発録り」です
私達は曲をレコ-ディングする時に、まずドラム・ベ-ス・キ-ボ-ド・Eギタ-だけで録音します
その時に「仮の歌として僕がミュ-ジシャンの演奏に合わせて簡単に歌います」
その時の、まさに仮のボ-カルなのですが・・・あとで聴いてみて・・・このボ-カルの「感じ」は
2度と再現不可の「軽くて気持ち良さあふれるフィ-リング」だったので
そのままOKテイク!としました・・最後まで・・タクロ-・・自由がスキでした
「五月の風partⅡ」です
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3:ついに想いが叶いました
全国ツア-に出てステ-ジ終了後に夜の街で現地の人たちとも仲良くなり
バンドの連中から「タクロ-唄え-」って冷やかされながら・・
「そんなに聴きたいんならショ-ガネ-な!よ-し」とマイクを握った
あの「骨まで愛して」をレコ-ディングしました・・嬉しい~~い
覚えていますか? Love2で、憧れの沢田研二ともデュエットしましたよね
それくらい、この曲が好きで・・いつも口ずさんでいたのです(酔うと・・)
原曲はバラッド形式で、ちょっとカントリ-風の演歌調のノリなので
僕は得意の8ビ-トのオ-ルディ-ズロックにアレンジしました
武部聡志がサックス3本の最高のブラスアレンジしてくれてカッコイイです
ドゥ-ワップなバックボ-カルも抜群に楽しい仕上がりです
え?誰も期待していない?・・・アハハ・・・残念です
でもね・・今回のRecで一番楽しくて笑顔いっぱいのスタジオになった曲がこれ!
「骨まで愛して」です
まさに、音を楽しむ、音楽は楽しいんですよ-!
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4:あの1970年代のLFバイタリスフォ-クビレッジのテ-マソングに
現在(いま)の気持ちをプラスして、あの頃を思い出しながら
あのスタジオに今、僕が居たら・・・きっと「こう話すだろう」という想いを
加筆して作詞をつけ加えました
ラジオだから「僕達は同じ夢をみる事ができたんだ」と、しみじみ思うのです
今もう一度「夢」を共有するメッセ-ジを歌います
楽器好きな方たちなら・・お気づきか?と思いますが
この曲のコ-ド進行は当時としては(ましてやフォ-クブ-ムなんて言う時代には)
ちょっとビックリな歌い出しでした
|E |C |E | Cm7|・・・|なぜか|哀しい| 夜 |だから|
キ-Eで始まっていきなりCへ飛ぶ・・こんなコ-ド進行は今なら普通の事ですが
あの時代にはチョット「斬新な」印象だったようでした
でも広島時代に僕等がやっていたR&Bバンドでは「ごく普通」の進行だったのです
そしてあの頃、番組用のテ-マソングRecアレンジをやってくれた木田高介も
あの時代としては進歩的なブラス・ロックのバンドを編成していて
「このコ-ド進行ってブラスにピッタリだよね」って気に入ってレコ-ディングしました
こんなところにも・・当時の僕を取り巻く音楽環境というものが
理解と拒否とが入り交じった混乱の時代だったのです
曲は新たに命名しました 「真夜中のレタ-」です
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5:最近の番組に届いた、50代の女性からのメ-ルに僕の心が揺れました
彼女は「うったえた」のです・・心の中に「本当の声っていうのがソッとあるんです」と
そのメ-ルに僕は笑顔になりながらも、こう思ったのです
「そうだよね!それがアナタの心の声なんですね・・誰にも言ってなかったかもね・・
アナタが心の中にず-っと、間違いなく抱きしめていた・・本当の声・・
それは日常の中でのアナタの歌なんですよね」
以前に僕がステ-ジでも演奏し、多くの方から今でもサンキュ-メッセ-ジを
いただいている「ガンバラナイけどいいでしょう」もそうでしたが
つまり、世の中って我々にとって「生きにくい」場所であってはならないはず
なのに現実は、そんな事を思う人間に冷たい空気を送って来る事があります
僕の青春の「チッポケだけど大切なテ-マ」でもありました
「私なり」って事で・・いい・・ですよね
この曲は「シャッフル」というリズム感です
あまり近年は聴かれなくなりましたが、僕はシャッフルを70年代から歌い続けています
「やせっぽちのブル-ス」に始まりラストアルバムでの「Together」まで
このリズム感が大好きなのです
古くはアメリカの黒人ミュ-ジックでギタ-1本での弾き語りト-キング・ブル-スとして
歌いつがれてきたスタイルでしたが
60年代のビ-トルズ、ロ-リング・スト-ンズ等の新しい才能によって
バンドサウンドでのロックなスタイルで新しい息吹を注ぎ込まれてリバイバルし
フォ-クブ-ム(ただしアメリカでのブ-ムに限る)でも、ボブ・ディランなどが
このスタイルで歌っていました
今回はマイナ-コ-ドによるシャッフルで、日本で愛されるメロディ-ラインを作りました
アルバムの最後は「主役」です
------------------------
*このペ-ジの転載etcは、かたくお断りします
2024年9月14日 吉田拓郎 -
from: 哲ちゃんさん
2024年09月13日 22時44分15秒
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吉田拓郎 ラジオの夢
2024.09.13 Fri
WOWOWにて特別番組の放送が決定!
<番組名>
「吉田拓郎 ラジオの夢 ~ありがとう ラジオ これからも 僕は君のそばに~」
番組オフィシャルサイト
https://www.wowow.co.jp/music/takuro/
<放送日>
2024年11月30日(土)*時間の詳細は追ってオフィシャルサイトにて発表
<内容>
吉田拓郎が長年抱き続けてきたラジオ愛。
その想いを音楽で表現した楽曲の完成までを追うドキュメンタリープログラム。2024年の吉田拓郎はいま......。
ニッポン放送が開局70周年を迎えた記念の年。「ラジオが青春だった」と語る吉田拓郎は、ニッポン放送への感謝の気持ちも込めて、オールナイトニッポンに期間限定で復帰。
「僕にとってラジオはホント、宝物なわけ」あの頃の想いをもう一度、ラジオリスナーたちに伝えていた。
そして、それだけではとどまらず、吉田拓郎は「ラジオとの青春」をコンセプトアルバムという形で表現することにも集中していた。
日本トップクラスのミュージシャン、アレンジャーがレコーディングスタジオに集い、アイデアをぶつけ合う楽曲制作、全5曲入りの新作完成までを追う、レコーディング現場とラジオ収録の裏側に密着した60分のドキュメンタリープログラム。