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from: 哲ちゃんさん
2022年04月18日 02時39分00秒
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東京新聞 その5
◆かなわなかった夢
吉田は、アーティスト主導のレコード会社を作るため小室等、井上陽水、泉谷しげるとともに1975年6月、フォーライフレコードを設立した。初代社長には小室が就いた。
アーティストがレコード会社を作りたい気分、というのは70年代では当然の流れだった。当時の日本はレコーディングプロデューサーという立場が確立されていなかった。欧米はプロデューサーが全権を握り、新人を育て、音楽の逐一にわたり発言する。日本でもやらないとダメだ、と僕は思っていた。プロデューサーの権限を確立し、そこで若いミュージシャンを育てたいという夢があった。
それは正しいと思うし、それをなさんとする4人の若者の勇気は称賛されるべきだと思う。僕は、夢が可能になるという約束で参加を決意した。
問題はその後だ。会社の生きていく道筋を4人のうち1人でも考えていたか。後になって、いない、というのが分かった。アイデアとか道筋を考えていた人が1人もいなくて、何とかなるだろう、というのが全員の心の中にあった。
そこで「俺が(2代目)社長をやる。その代わり夢みたいな話は全部なしにしよう。責任のある会社にしよう」と決めた。僕らは、「誰の応援もいらない」と言って会社を作ったが、彼ら(業界の人々)の応援がないと成り立たない。「夢なんかいらない。会社として成り立つためのことを俺はやる。大嫌いだったやつらと俺はつきあうぞ」と引き継いだ。
会社存続には新しいアーティストがいる。新人をどんどんデビューさせ、売れそうなアーティストを呼んでくることだ。僕は高橋真梨子を呼びたかった。彼女に会いに行った。夜な夜な彼女と酒を飲んで、「来ねえか、うちへ」と話した。ギリギリまで真梨子さんは「一緒にやりたい」と言ってくれていた。ところが彼女の事務所が違うレコード会社に決めてしまった。
僕は「何だ、夢はぜんぜんねえじゃないか」と言われても、「会社として残ったでしょ」とするため社長を引き継いだ。でも現実的になり、夢のフォーライフはなくなった。
泉谷は(途中で)辞めたが、本当は陽水さんも、小室さんも辞めるべきだった。そして僕も社長の仕事が終わったら辞めるべきだった。そして実務的にちゃんとできる人がオーナーになって運営すべきだった。
◆ファン、若いミュージシャンへ。自分の今後は
―ファンへの言葉は?
僕は人間はひとりぼっちだと思っている。最初から。ひとりぼっちだから寂しがり屋だし、徒党を組みたがるし、人とつながりたい。本をただせば、みんなひとりぼっちなんだと。ひとりぼっちで生まれてきて、ひとりぼっちで消えていくのが人間。そのことを理解できていれば、人生は楽しい。友達もたくさんできる。人生捨てたもんじゃない。
僕は若い頃から失敗もいっぱいあったが、ひとりぼっちというのは一貫して僕の心の中にあった。そのおかげで、割と今幸せな気分で、そして明るい気分で、それこそ笑顔で、「あぁ面白かった」と言いながら旅立てそうな気がする。
―若いミュージシャンへの期待は。
社会状況を捉えた歌をぜひ書いてもらいたい。僕は君が好きだ、という歌が多かった気がするが、今、ちょっと地球を見てくれ、と思う。若い人から見た「変な地球」を歌にしてほしい。僕らは言葉でいうと、メッセージソングとかプロテストソングを生きてきた。あまりいうと硬くなるが、そうじゃなくて地球環境、争いごとを含め、そういうものを見て、そういう歌を作ってもらいたい。音楽的才能がすごく豊かになり、テクノロジーもある。僕らの時代とは雲泥の差。期待している。ちょっと刺激的な地球規模のことを歌った歌も聴きたい。
―若いミュージシャンのプロデュースなどは。
しません。もう全然。僕なんか出番はないと思う。
―今後はどうする。
家内と二人で好き勝手します。二人でべったり夫婦生活したい。夫婦生活というといやらしいけど(笑)。とにかく二人で楽しみたい。家内も僕も「ひとりぼっち」だから。いいパートナーとして人生を全うしたいと思っている。それこそ若いミュージシャンの音楽もたくさん聴きたいね。
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