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  • from: 哲ちゃんさん

    2024年08月19日 18時51分50秒

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    ラジオの青春 24

    2024.8.19 Mon

    アルバム「ロ-リング30」刺激的なレコ-ディングだった

    作詞の松本隆との短期合宿での作品作りは忘れられない想い出となった

    その前もその後にも沢山のアルバムを作り

    それぞれに想い出と愛のスト-リ-がいっぱい残っている

    ただ「ロ-リング30」ほど短い時間でのスリリングな曲作りと

    レコ-ディングというのは記憶に無い

    特に松本隆と2人だけで箱根のホテルに閉じこもり曲作りしながら

    息抜きにプ-ルサイドに出て、プ-ルで泳ぐ若い女性たちのまぶしい姿に

    思わず笑みが浮かぶのをとめられない、あのすがすがしい夏の景色は

    間違いなく、名曲を生み出す「素敵な空気」を僕達2人に送ってくれた

    「外は白い雪の夜」を5分くらいで僕に作らせてくれたのは

    あのプ-ルサイドの夏の風景だった事を今!・・・白状いたします

    またスタジオでのRec風景を文化放送の(たしか生放送?違ったかな?)

    番組で中継したような記憶があるが・・

    番組用にスタジオではメンバ-が色々と気を使って明るく振る舞ってくれたが

    実は残念な事に、レコ-ディング前夜の顔合わせ飲み会で

    バンドメンバ-にフトドキモノが1人居る事が判明し

    一緒にいた他のメンバ-達も総意で彼をシャットアウトした事件があり

    結果的にはメンバ-全員が「せっかくの合宿Recが楽しくない」という

    アルバムの完成度とは異なるマイナスな気分が残ってしまった

    (そんな事もあって予想外に早いピッチでRecが進んだ事は逆に良かったが)

    松本隆との曲作りのハッピ-な時間に比べると

    あの「ロックウエル・スタジオ」での合宿レコ-ディングは

    僕もメンバ-も、あまり良いイメ-ジが残っていないのだった

    (フォ-ライフ4人でのクリスマスアルバムも、ロックウエルstだった

    いっけん4人の楽しそうなRec風景という景色を演出してはいたが・・・

    スタジオインした日から、すでに不協和音は鳴り始めていたのだった

    ともかく4人ともそれぞれに出来るベストを尽くしたが・・

    ひび割れは、いかんともしがたく大きくなるだけで

    このスタジオには良い思い出が、あまり無い・・事になった)

    松本隆との初めての曲作りは1975年の「ああ青春」という事が

    通説となっているようだが・・違う!(と僕は言い切りたい)

    この曲は元々、1975年に日本テレビの連ドラ「俺達の勲章」のスタッフから

    ドラマの中で使う主題曲を、まず「インストゥルメンタル(歌無しで)」で!

    そして主人公を演じる松田優作と中村雅俊の2人用に

    彼等が活躍するシ-ンで各々のテ-マ曲が必要となるので

    松田優作には松田優作のテ-マとしてインストゥルメンタルで!

    中村雅俊には(彼は歌手でビュ-もしているので)歌詞ありの曲を!

    計3曲を作ってくれないか?とのオファ-があった

    「歌の無いインストでドラマ主題歌を作ってくれ」というリクエストは

    僕としても、とても嬉しいオファ-であり、さっそく自宅での

    4チャンネルテレコを使ってドラム・ベ-ス・コ-ドに

    エレキギタ-でリ-ドメロを録音して先方にプレゼンした

    つまり、この段階ではドラマ「俺達の勲章」のテ-マ曲!というだけで

    「ああ青春」というタイトルは付いていないのである

    次に松田優作のテ-マだが「彼が事件や犯人を追いアクションするシ-ン用」

    という注文で少し悩んでいたが・・・

    ある日、某テレビ人気番組からヒントを得て完成した・・・事を今バラス(笑)

    中村雅俊のテ-マはドラマ班と共に彼のスタッフからもリクエストがあり

    わかりやすく言えば「ヒットをねらう」という事だったので

    作詞に喜多條忠を推薦した

    彼とは時を同じくして、松平純子という女優の「両国橋」を作り

    僕の個人的な感覚でしかないが・・「喜多條はヒット歌謡が書ける男」と

    感じていたので、中村雅俊サイドのオファ-に合致するものが出来るような

    予感があったのだ

    「いつか街で会ったなら」は予想通りヒットしたし、今でも大好きな1曲である

    後編へつづく!

    *画像は「ロ-リング30」のジャケット撮影でサイパン島へ行った時のもの

    左側が松本隆で中央が僕

    松本隆とは軽井沢などへも他の歌手への提供曲の打ち合わせで良く行った

    二人とも愛車でのドライブが好きだった事もあっただろう

    軽井沢の蕎麦屋で、定番の「信州手打ちそば」を食べる彼をヨソに

    関西ウドン派の僕は「天ぷらウドン」を注文して失笑をかった

    50歳を過ぎた頃に、やっとソバの美味しさがわかり始めたのだった

    2024年 8月19日  拓郎

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