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  • from: 哲ちゃんさん

    2024年08月22日 12時06分21秒

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    ラジオの青春 25

    2024.8.22 Thu

    さて「ああ青春」だが・・

    当時トランザムというバンドを結成していたドラマ-のチト河内とは

    以前から僕のツア-や録音スタジオなどで一緒になる事が多かった

    彼が「俺達の勲章」の音楽を担当する、と聞いていたので楽しみにしていた

    ある日、彼から「テ-マソング」をトランザムで演奏したいのだけど

    歌詞をつけて「ボ-カルもの」を作りたい「歌詞を作ってくれ」と連絡があった

    「僕はこの曲はインスト物として作ったから、歌詞のアイデアは無いよ

    松本隆にたのんでみたらどうなの」と伝えたのだ

    そして事は順調に進行しトランザムが歌い演奏する新曲「ああ青春」が

    出来上がったのだった

    つまり松本隆が、後から僕の作ったあのメロディ-に詞を当てはめる事で

    「俺達の勲章」が「ああ青春」という曲に生まれ変わったのである

    あの時に松本隆から「かぞえ歌みたいな事を考えてるけど、どうかな?」と連絡があり

    僕は「あのメロディ-はチョット哀愁モノだから和風な言葉も面白いかも」と思った

    出来上がった「ああ青春」は僕自身も何度もステ-ジで歌ったけれど

    吉田拓郎的には(どんな的だい?)やはり、その後の彼との多くの共作と比べると

    「一緒に作った感」みたいな気分・・(僕の勝手な思い入れだが・・)が薄いのだ

    そんな事もあって、これが松本隆との初の共作とは僕は思っていない

    (ちなみに「つま恋1975」でオ-プニングシ-ンが、この曲になった経緯は

    あの時の僕のオ-プニングバックバンドがトランザムだった事が大きな要因で

    あの前代未聞で、全てが初体験なステ-ジに、いきなり登場して演奏する

    我々の気持ちというのは・・予測不可な事態であり「何を1曲目に演奏するか?」

    大いに悩んだ結果「安全策」という意味合いも含めての選曲となったのだ

    (事実、そのオ-プニング1曲目を演奏すべくステ-ジ裏に集まったトランザムと僕は

    スタッフに叫んだ「おいアルコ-ル無いか!」・・・今でも忘れない・・・

    6万人強の聴衆を生まれて初めて目の前にした我々は完全に・・舞い上がっていた!

    それは恐怖感とも言える心臓の鼓動で、全員でウイスキ-を口に含んでステ-ジへ

    かけ上がったのを忘れない)

    あのオ-プニングは、その後「朝までやるよ-朝まで歌うよ–」の僕の第1声に呼応した

    6万観客の歓声と共に・・感動的な?オ-プニングと語られる事になるが・・

    実は・・「ああ青春」の歌詞・・「二人じゃ息さえもつまる部屋」とか「心は遠ざかる安い宿」

    というフレ-ズが、あの真夏の太陽が照りつける午後、数万の観客の大歓声を前に

    1曲目に選ぶには、やや空気が違う!と感じたのは・・・

    歌っていた僕1人だったかも知れない・・もちろん僕も、あの場にいた全ての若者達も

    「それどころではない!歌の歌詞なんか冷静に聴いていない!」

    それほどの興奮状態だった事は間違いない

    さて、では松本隆と僕の第1作は?と言えば

    間違いなく「東京メルヘン」木之内みどりへの提供曲である

    木之内みどりは当時、あらゆる雑誌の表紙を飾る本当に美しい少女だった

    あの頃、有名な「GORO」の表紙をカメラマン篠山紀信が撮影して大人気だったが

    中でも木之内みどりは群を抜いて素敵な雰囲気をもった存在だった

    ある日、松本隆から「一緒に木之内みどりの新曲をやらないか?」と連絡があった

    すでに松本は彼女の作品をいくつか書いており

    今回は僕にオファ-してみようとスタッフ間で決まったらしい

    作曲をするにあたり、アレンジャ-を石川鷹彦でやる事を決めた

    基本はロックテイストのバンドでリズムセクションを録音し

    加えてストリングスを本格的に使いたいと考えた時

    当時アレンジャ-では石川鷹彦が最も流麗なストリングスを書ける1人だった

    ちなみにこのレコ-ディングでリズムセクションを録音した時に

    後に僕がツア-などで親しくセッションする事になる

    島村英二や徳武弘文が新人ミュ-ジシャンとしてスタジオに居た

    ボ-カルレコ-ディングの現場で、拓郎ブシを木之内みどりに教えるのは

    けっこう大変だったが、彼女がすでに良く知る松本隆を「先生」と呼びながら

    「このメロディ-って難しいですよねえ松本先生」と訴える姿を横目で見て

    「そのうち俺の事もタクロ-先生って言わせるからな!」とヤキモチ半分の

    「負けたくない」精神がムラムラと湧き上がってきたものだった

    余談だが、後年に太田裕美の作品を作る時がやって来て

    再び松本隆とコンビを組む事になる

    やはり太田裕美のボ-カル入れに同席した松本に対しても

    太田裕美は「松本先生」と愛情いっぱいに接していたが

    僕には単なる「タクロ-さん」であった(負)

    *画像は・・・アルバム「ロ-リング30」のジャケット写真

    このサイパン島での撮影はカメラマン大川裝一郎との思い出のセッションとなった

    彼は愉快な人間で、撮影時には必ず「何が起こるかわからないから」と

    「自分なりのキッチリしたファッション」で決めて撮影に入るのだ

    ある日「ねえねえ大川ちゃん!君って何で、撮影の時にファッションを

    キッチリ決めるんだい?」って質問してみた

    答えは「今回は拓郎の撮影だから、まあそれなりにキッチリとね

    そして・・例えば若い女優さんとか女性の歌手とかのオファ-があれば

    撮影中に何があるか?起こるか?ワカライじゃ-ないですか!

    だから僕なりの準備はバンタンで臨みたいわけですね」だってさ!(笑)

    要するに・・こうだ・・若くて美しい被写体(女性)と接する時に

    そのモデルの方と大川君が・・アハハ・・・恋におちないとも限らない・・

    そういう事ね(笑)

    あり得ない!!絶対に!!あり得ない!!

    アンタ・・今ごろ天国でも無用のファッション決めて撮影中だろうね

    2024年8月22日  拓郎

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