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from: にょん太さん

2015年12月04日 07時51分58秒

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バロックのローマ

ローマはバロックの街です。バロックは1580年頃にローマで起こりました。宗教改革によって勢力低下を恐れた教皇庁が、その政治的、宗教的優位性を建築を含め

ローマはバロックの街です。

バロックは1580年頃にローマで起こりました。宗教改革によって勢力低下を恐れた教皇庁が、その政治的、宗教的優位性を建築を含めた芸術によって示そうとしたのがバロックの発端です。
反偶像崇拝から起こった宗教改革なので、それに対して教皇庁の政治的、宗教的優位性を示すということからの必然として、建築、彫刻、絵画、調度品も含めて派手・豪華であり、見る者を圧倒させる足るものとして発展しました。

特に1600年の大聖年に向けて、多くの教会がバロック様式で新築や改築が行われました。それを担った建築家もカルロ・マデルノ、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ、フランチェスコ・ボッロミーニなどの天才が輩出したのです。画家では西洋絵画史上、画期的な新しい動きを示したカラヴァッジョやアンニーバレ・カッラッチは次世代への橋渡しを行い、グイド・レーニ、グエルチーノ、ピエトロ・ダ・コルトーナなどの天才に引き継がれた。

ところが17世紀後半になると、教皇庁の政治的、宗教的な地位の低下によって、バロック様式は急速に廃れて、やがて17世紀末にはその終焉を迎えことになったのです。
その原因としては、フランス、オーストリア、イギリス、スペインなどを代表する絶対王政国家が強大になるに従って、教皇庁は絶対王政国家に対して最早何の影響力も及ぼすことが無かったことと、時代を経るに従ってプロテスタントとカトリックの棲み分けが行われ、反宗教改革を強力に推し進める必要性が無くなったことの2点が挙げられます。

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from: にょん太さん

2015年12月05日 10時41分16秒

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シニョレッリさん、

はい、そうです。

バロックは、ローマで下火になっても絶対王政国家で栄えました。権力を宮殿などを装飾することによって誇示しました。
フランスでは、バロックを更に華麗にしたロココ様式へと変わっていきます。オーストリア、イギリス、スペインでは後期バロック様式へと転じました。

南イタリアでは、宮殿や教会の装飾についてはローマからの影響よりも支配されていた母国、つまりスペイン、オーストリア、フランスからの方が強かった。

近く後期バロック様式を取り上げることにしましょう。

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