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  • from: にょん太さん

    2014年06月09日 11時37分08秒

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    ロレンツォ・ディ・メディチのパトロネージ(彫刻と絵画)

    悔しいのオ、「投稿する」をクリックしたら、何とまあ、消えてしまったで~す。
    こう一度書き直すのシンドイなあ。

    公金横領、親戚の財産を勝手に流用など、現在ならば立派な犯罪者のロレンツォは、そのお金を何処に使ったかを調べてみたら、同じイル・マニーフィコ(偉大な、の意味)でも違った意味で偉大で~す。
    調べれば調べるほど、単に金に汚い男だったと思えるようになりま~す。

    ロレンツォの父、通称痛風病みのピエロとロレンツォの遺産目録が残っていま~す。二人の遺産目録の差(マイナスならばロレンツォが財産を減らしたことになりますが、プラスです)、つまりロレンツォの代に増えた財産になるので~す。

    圧倒的に増えたのは、古代の工芸品や宝飾品で、絵画や彫刻はとるに足らないほどで~す。工芸品・宝飾品類の額は父の二倍にのぼりま~す。
    つまり、パトロネージとは程遠い、ロレンツォ個人の趣味や好みに基づく、資産価値が高いコレクションに多額の費用をかけたので~す。

    ロレンツォの遺産目録に新たに記録された彫刻や絵画の評価額が低いことから、彫刻や絵画へのパトロネージは驚くほど低調だったことが分かりま~す。
    当時のフィレンツェにはキラ星のごとく優れた芸術家がいましたが、彼らに新たに注文するだけの金を回すことが出来ない、いわば宝の持ち腐れですから、ミラノへのレオナルド・ダ・ヴィンチの派遣をはじめとして、芸術家の国外派遣となったので~す。

    では、ロレンツォの彫刻と絵画に対するパトロネージを少し覗いてみましょう。

    フィレンツェ、サン・ロレンツォ教会

    フィレンツェ、ヴェッキオ宮

    フィレンツェ、ドゥオーモ

    フィレンツェ、ポデスタ館(バルジェッロ国立博物館)

    ロレンツォの最もお気に入りの芸術家はヴェロッキオでし~た。

    ヴェロッキオの弟子で美男で有名だったレオナルド・ダ・ヴィンチがモデルといわれる「ダヴィデ像」は、ロレンツォの注文によって制作されまし~た。

    ヴェロッキオの「イルカを抱いたアモール」もロレンツォの注文でし~た。

    サン・ロレンツォ教会にある、この墓(父ピエロと伯父ジョヴァンニ二人の墓)もロレンツォの注文によって、ヴェロッキオが制作しまし~た。

    ところが、ところがで~すよ。ロレンツォは、これらの作品に対して支払いをしなかったので~す。度重なる支払い督促に対して、ロレンツォはのらりくらりとして最後まで支払いに応じませんでし~た。ヴェロッキオに対する報酬未払いは15件に達しまし~た。(ロレンツォの死後、15件の請求書が遺族に出されましたが、請求書が残っているので~す)
    良心の呵責(あったかどうか不明)かどうか、支払をする代わりにヴェネツィアからの彫刻家派遣依頼を受けた際、ヴェロッキオを推挙したので~す。

    そうして、ヴェロッキオはヴェネツィアで「コッレオーニ騎馬像」を制作したので~す。
    ロレンツォは狡いですよねえ。

    ベネデット・ダ・マイアーノもロレンツォお気に入りの彫刻家で、フィレンツェ大聖堂に彫刻を依頼したそうで~す。

    フィレンツェ大聖堂にある、ベネデットの「ジョット像」はロレンツォが注文したもので~す。

    あまり有名とは言いかねる彫刻家ベルトルド・ディ・ジョヴァンニもロレンツォのお気に入りでし~た。

    ベルトルドの「ヘラクレス像」はロレンツォが注文したもので~す。

    このメダルもロレンツォが注文してベルトルドが制作したもので~す。
    ベルトルドの彫刻家としての実力を大したことがない(事実ですが)と見ていたロレンツォは、ベルトルドに対してコレクションした工芸品・宝飾品の管理と修復の仕事を与えまし~た。

    絵画ではボッティチェッリとその弟子だったフィリピーノ・リッピが大好きでしたが、大掛かりな作品依頼をした記録が残されていませ~ん。
    主に自分の別荘用とかロレンツォ個人や家族用に絵画を数多く注文したようですが、多くは残っていないようで~す。

    ボッティチェッリの「プリマヴェーラ」は、ロレンツォが親族の結婚祝いとして贈った可能性があると言われていま~す。

    ロレンツォは、多額の費用をかけて自分のコレクションを増やすことには熱心でしたが、彫刻や絵画のパトロンとしては、意外にもお金をかけなかったので~す。

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コメント: 全2件

from: にょん太さん

2014年06月09日 17時12分05秒

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シニョレッリさん

パッツィ家の反乱、その後の教皇シクストゥス4世とのナポリを巻き込んでの全面的対立の時代を除けば、フィレンツェは平和の時代でした。
その全面的対立は、ロレンツォのナポリと困難な交渉の結果、停戦をもたらし、ロレンツォは英雄になりました。英雄の座を射止め、人々の信望を集めた、だからこそイル・マニーフィコと呼ばれたのです。

公金横領などロレンツォの負の部分は、当事者やフィレンツェ政庁の上層部しか知らないことで、一般市民には知るはずがないことで公にならなかったので、イル・マニーフィコのままで生涯を終えることが出来たのでしょうね。

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from: シニョレッリさん

2014年06月09日 15時09分20秒

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にょん太さん、こんにちわ!

美術史家間では、ロレンツォがフィレンツェ美術の衰退を招いた張本人であるというのが定説になっています。
年に一度にルネサンス関係の集会では、度々ロレンツォの奇妙な収集癖とパトロネージがテーマとして取り上げられてます。

通称のイル・マニフィーコと実像が乖離していますが、何故なんでしょうか、不思議です。

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