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ファンタジーアの源泉を求めて

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公開 メンバー数:5人

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  • from: にょん太さん

    2014年06月13日 16時04分14秒

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    ロレンツォ・ディ・メディチの業績(下)

    パッツィ家本家以外の一族で、直接陰謀に加担しなくてもフィレンツェのスケィンケ牢獄やヴォルテッラの牢獄に投獄されたので~す。

    スケィンケの牢獄は現存していなので、当時、描かれた絵画を載せま~す。

    ヴォルテッラの牢獄

    今も昔も牢獄で~す。
    ロレンツォのパッツィ家陰謀に対する苛烈な報復は、シクストゥス4世を激怒させ、フィレンツェに対して宣戦布告を行うと共に、ロレンツォとフィレンツェ政府を破門にしたので~す。
    教皇庁と同盟していたナポリ王国は、それに呼応し直ちに軍をフィレンツェに侵攻させたので~す。

    ナポリ
    更にシクストゥス4世は、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの一族と自分の一族との政略結婚を行い、ウルビーノ公を教皇側に付かせることに成功したので~す。

    ウルビーノ

    ウルビーノ公フェデリーコ・デ・モンテフェルトロの肖像(ピエロ・デッラ・フランチェスカ作)
    ウルビーノ公は、元々フィレンツェと関係が深く、フィレンツェの傭兵隊長を務めたことがあるので~す。パッツイ家の暗号解読によって、陰謀の首謀者がウルビーノ公としてま~すが、わざわざシクストゥス4世が政略結婚したからには、教皇はウルビーノ公をフィレンツェ側の人物と見ていたから、と思えるので~す。
    更にシクストゥス4世は、フィレンツェと長らく不倶戴天の間柄のシエナに対して、教皇側に付くように働きかけを行いま~した。当然、シエナは快諾したので~す。

    シエナ
    これに対して、フィレンツェも黙ってはいませんで~した。同盟関係にあったミラノに援軍を求めるとともに、フェッラーラを抱き込むことに成功して、フェッラーラ公が司令官となって、教皇軍と対峙したので~す。

    フェッラーラ
    ところが同盟していたミラノが当てにならなくなったので~す。
    ミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァが1476年暗殺され、その跡を継いだジャン・ガレアッツォ・マリア・スフォルツァは僅か7歳だったことから、叔父ルドヴィーコ(暗殺されたガレアッツォの弟、通称イル・モーロ)が摂政となり、実権を握っていたので~すが、このイル・モーロはナポリ王国と親しかったので~す。
    イル・モーロのナポリとの関係を懸念していたロレンツォは、ミラノ軍の著しい士気の低下を見て取り、懸念が現実になったことを悟ったので~す。
    ロレンツォは窮地に陥ったので~す。
    今日は時間となりました。サヨナラ

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コメント: 全6件

from: シニョレッリさん

2014年06月16日 06時42分56秒

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にょん太さん、お早うございます!

これからイタリアに向けて出発します。

旅行中は多分、余り書けそうもありませんが、時々、旅日記でもアップすることにします。
引き続き、ご無事なご旅行を!

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from: にょん太さん

2014年06月15日 08時53分39秒

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時間が無くなって、未完のまま、出発してしまいま~した。失礼しま~した、続けま~す。

窮地に陥ったロレンツォは、乾坤一擲の策を取ることにしま~した。
敵地ナポリに単身乗り込んで、直接交渉に出たので~す。その前の準備として、フランスと同盟関係にあったミラノと交渉して、ある程度、成算を得てから出発したそうで~す。

ピサからナポリまで、ガレー船を仕立てて行ったそうで~す。

二か月半に及ぶ交渉の末に停戦の合意を取り付けることに成功したロレンツォは、生命をかけた難交渉の成功によって、名声と一挙に高めることになったので~す。

ピサ、アルノ川

ナポリ

(完)

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from: シニョレッリさん

2014年06月14日 11時07分42秒

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にょん太さん

>にょん太のご旅行中

と書いてしまったことに気付きました。

ゴメンナサイ、深くお詫び申し上げます。

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from: シニョレッリさん

2014年06月14日 07時06分38秒

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にょん太さん、おはようございます!

イル・モーロに仕えていた頃のレオナルドは、建築土木家、軍事技術者の仕事が主で、絵画は殆ど制作していませんでしたが、その例外がイル・モーロからの指示だったと思います。

彼の愛妾チェチリア・ガッレラーニの肖像はイル・モーロの指示によって制作されたものだと思います。ジャン・ガレアッツォの摂政だったイル・モーロがレオナルドに指示して、ジャンの肖像画を描かせた可能性はあると思います。

ただ、アンブロージョは元々スフォルツァ家の宮廷画家で、当時、宮廷画家の大きな務めは肖像画を描くことでしたから、ジャンの肖像画をアンブロージョが描いても当然至極だったと思います。

この辺の作品帰属については、専門家に任せるよりありません。

さて、にょん太のご旅行中、時々書き込みさせて戴くことにしましょう。

実は、私も来週月曜からイタリアに出かけるので、頻繁にこのサークルにお邪魔できないかも知れません。でも、できる限り、このサークルを応援できたら良いな、と思います。

ご無事なご旅行を!

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from: にょん太さん

2014年06月13日 17時56分06秒

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シニョレッリさん

息子ジャン・ガレアッツォの肖像画は、レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子アンブロージョ・デ・プレディスの作品との説が有力とされていますよ。
しかしながら、まだ結論は出されていないと思います。

この辺の状況は私よりもシニョレッリさんの方が、お詳しいのでは?

せっかくお近づきになったばかりですが、今夜、深夜からアメリカに行きます。暫くしてからイギリスとドイツに回ります。

多分、このサークルは当分の間、休載となるでしょう。

よかったら、時々書き込んでください。

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from: シニョレッリさん

2014年06月13日 16時37分31秒

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にょん太さん、こんにちわ!

急に暑くなりましたね、お元気ですか?

パッツイ戦争とは全然関係がありませんが、ちょっと教えて戴きたくて。

ミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの暗殺後、息子のジャンがミラノ公を継いだのですが、彼の有名な肖像画に付いて、何かご存知ならば教えて戴ければ幸いです。

昔からレオナルド・ダ・ヴィンチ作と言われていましたが、その後、弟子が描いたとの説が出されましたよね。
レオナルドの本を幾つか見ても、この作品をレオナルドの真作としているのは大変少ないのですが、最新の状況を何かご存知ならば教えて戴ければ幸いです。

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