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from: にょん太さん
2014年08月30日 05時05分44秒
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この町はどこ?
時差ボケでよく眠れませ~ん。
ご無沙汰でし~た、ヨーロッパに行ってまし~た。
イタリアには3週間弱いまし~た。今年は異常気象で、高温の澄み切った青空の日が少なく、曇天・雨天が多かったで~す。
シニョレッリさん、ご配慮いただき恐縮で~す、書き込み有難うで~す。
「この町はどこでせうか」の続きをやりま~す。
丘上の町なら、無数にありま~す。この写真だけではわかりませ~ん。
13世紀前半、周辺の約40の城がこの町の支配下にありまし~た。
最も賑わいを見せる通りで~す。
Palazzo del Comunaleで~す。
この町で最も大きな教会、参事会教会で~す。
参事会教会にある祭壇画が有名で~す。
ヒント:アンコーナから約70㎞離れた、ミーサ川沿いの丘上にあって、見晴らしが大変良いで~す。from: ぐら姐さん
2014年09月03日 21時22分19秒
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にょん太さん、ありがとうございます。この冬の旅行は無理ですが、機会をつくって是非観に行きたいと思います。ところで、トリノの友人からの情報。「今年の北イ
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from: シニョレッリさん
2014年08月27日 07時17分36秒
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美術館・教会巡り(311) マントヴァ大聖堂
2012年5月29日に発生した地震の影響が色濃く残るマントヴァ旧市街です。
中世そのものといった感じのソロデッロ広場です。
マントヴァのドゥオーモ、Cattedrale di San Pietro Apostoloです。
鐘楼と後陣
5世紀頃に建てられた初期キリスト教会が前身で、894年の火災によって消失してしまいました。Jacobello dalle MasegneとPierpaolo dalle Masegneの設計によって、1395年-1401年にゴシック様式で再建されました。
鐘楼は、ゴシック様式で再建された当時の建物です。
ドゥオーモの特徴は、この身廊の外観です。
16世紀に再び火災が起き、大きな被害を受けてしまいました。今度はジュリオ・ロマーノの主導によって、焼け残ったファサードはそのままにして、聖堂内部が再建されたのです。
ところが、何を思ったのか、オーストリア軍のエンジニアでローマ出身のNicolo Baschieraの設計によって、ファサードがバロック様式に改築されてしまいました。
大聖堂の建物とファサードが何処となくチグハグに見えるのは当然です。
五廊式、壮大なマニエリスム様式の聖堂内部です。
右側壁方向です。
左側壁方向
右から二番目の廊下
右側廊
左側壁から二番目の廊下
左側廊
天井の装飾
朝食の時間となったので、一旦切ることにします。(つづく)from: シニョレッリさん
2014年08月27日 13時46分01秒
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美術館・教会巡り(311)マントヴァ大聖堂(続きです)また、やってしまいました。オーナーであれば、「編集」機能を使ってそのまま続けることが可能でしたが
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from: シニョレッリさん
2014年08月10日 06時49分22秒
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美術館・教会巡り(304) マントヴァ、サン・ロレンツォ聖堂(サン・ロレンツォのロトンダ)
ここに着いた時、「うーん、やっぱりね」と思いました。
2012年5月29日、マントヴァからモデナにかけて大きな地震が起きました。マントヴァは大きな被害を受けて、多くの建物の修復工事が行われていました。
(写真は2013年10月に撮ったものですが、2014年6月でも修復中の状態は変わっていませんでした)
ヴィーナスに捧げられた古代ローマの神殿があった跡地の上に、1083年、建設が始められ、11世紀末に完成したロマネスク様式のロトンダです。
15世紀にレオン・バッティスタ・アルベルティの設計によって一部改築が行われ、後にジュリオ・ロマーノに引き継がれて完成したと言われています。
20世紀前半まで店舗などに転用されていたそうです。
丸い天井
11-12世紀に描かれたビザンチンのフレスコ画が一部残されています。
イタミが激しくて何が描かれているのか、良く分りません。
恐らく現役の教会ではないと思います。
重厚な感じがします。
15世紀に描かれた「聖母子」(作者不明)
二階には行けません。
ここは何でしょうか?
修復が早く終わることを願ってます。from: にょん太さん
2014年08月10日 12時54分32秒
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シニョレッリさん地震後の2012年9月にマントヴァからエミリア・ロマーニャ州北部にかけて旅をしました。やはり古い建物ほど地震の被害を受けているのが分か
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from: シニョレッリさん
2014年08月09日 10時08分57秒
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美術館・教会巡り(303) マントヴァ、サンタ・マリア・デッラ・カリタ教会
この通りの先にある教会です。
984年に創建されたロマネスク様式の教会が前身ですが、1613年に改築されることに決定されました。その理由は不明ですが、恐らく老朽化のためだと思います。
1700年に建設が開始され、1752年に完成したバロック様式の建物が現在の教会の姿となっています。
1760年に完成した鐘楼
中に入りました。
単廊式、バロック様式の内部です。
左側壁
右側壁
主祭壇と後陣
(書きかけです。後で追加します)-
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にょん太、
from: シニョレッリさん
2014年08月09日 11時41分07秒
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美術館・教会巡り(303)マントヴァ、サンタ・マリア・デッラ・カリタ教会(その2)オーナーは編集機能があって、書きかけでも、其の儘書き続けることが出来
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from: シニョレッリさん
2014年08月07日 08時54分46秒
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美術館・教会巡り(301) マントヴァ、サントルスラ教会
少し先に交差点がありますが、その四つ角に教会があります。
聖女ウルスラに捧げられたサントルスラ教会です。
ところが、その聖女ウルスラですが、実在しない空想による産物とされており、聖人の列から外されています。
1597年、アルフォンゾ・デステ2世の未亡人マルゲリータ・ゴンザーガの寄進によって建てられた教会です。同時に尼僧のために修道院も教会に隣接して建てられました。
1785年、修道院は廃止され、修道院だった建物は兵舎や病院として使用されました。(現在の用途は分かりません)
入口の装飾
教会の中からパイプオルガンの響きが聞こえてきました。
ミサ中と思って中に入ったらビックリです。オルガンとトロンボーンによる現代音楽の練習中でした。オルガンとトロンボーンの組み合わせなんて、あるんですね。
八角形、バロック様式の内部です。
主祭壇に向かって右側の様子です。
こちらは左側
八角形のクーポラ
主祭壇画は、ジョヴァンニ・ランフランコの「聖女ウルスラ」です。
Alessandro Turchiの「無原罪の御宿り」
ジュゼッペ・ヴェルミーリオの「父なる神」
ルドヴィーコ・カラッチの作品ですが、画題が分かりません。
カルロ・ボニーノの作品ですが、この聖人は誰でしょうか?
アントニオ・マリア・ヴィアーニの作品ですが、主題が分かりません。
作者不明の磔刑
音楽の練習が終わりました。
教会から出ました。-
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にょん太、
from: にょん太さん
2014年08月08日 17時50分27秒
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シニョレッリさんならご存知だと思いますが、一つ付け加えます。この教会でもっとも有名な作品は、ドメニコ・フェッティの「聖ウルスラ教会の模型を受け取るマル
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from: シニョレッリさん
2014年08月08日 10時05分37秒
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美術館・教会巡り(302) マントヴァ、サン・フランチェスコ教会
この通りの先にサン・フランチェスコ教会があります。
教会が見えてきました。
1304年創建、14世紀後半に完成したロマネスク・ゴシック様式の教会ですが、奉献されたのは完成後半世紀以上経った1459年でした。
1369年から1484年まで、ゴンザーガ家の霊廟となり、この間に没したゴンザーガ家の人々が葬られています。
ファサード前に前庭が設けられています。
前庭に面して柱廊が設けられています。
柱廊の壁にフレスコ画が描かれたと考えられていますが、現在、残されているのは、これだけのようです。
1782年、ナポレオン軍によって教会は閉鎖され、1797年までナポレオン軍の兵舎として使用されました。ナポレオン軍がいなくなって、一時、教会は再開されましたが、1811年から兵器庫として使用されることになり、それは第二次世界大戦が終わるまで続きました。
第二次世界大戦の爆撃によって、教会の建物は殆ど崩壊してしまいました。現在の建物は、破壊された建物の煉瓦などを拾い集めて、出来るだけ原型に近い形で再建されたものです。
三廊式、ロマネスク・ゴシック様式の内部です。
右側廊方向の写真です。
右側廊です。
右側廊から左側廊方向を見たところです。
中央から左側廊方向
木組みの天井
主祭壇と後陣です。
主祭壇画の「磔刑」ですが、私には制作者が分かりません。
ファサード方向の写真です。
この礼拝堂が見どころの一つだと思います。
逆光で見難い!
礼拝堂の壁は、ステファノ・ダ・ヴェローナのフレスコ画で覆われています。
退色、剥離が進んでいます。
この辺は、まあまあ見ることが出来ます。
爆撃で崩壊したところの断片を繋ぎ合わせたりしています。
修復作業の困難さが偲ばれます。
ジュンタ・ピサーノの彫刻断片です。
爆撃で破壊された断片です。
こちらは、セラフィーノ・ダ・セラフィーニのフレスコ画です。
セラフィーノのフレスコ画は、元の場所ではなく、左右の側廊の壁の所々に架かっています。
13世紀の磔刑像
比較的新しい時代の祭壇画が幾つかあります。-
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from: にょん太さん
2014年08月08日 17時45分30秒
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シニョレッリさん、いつも書き込んでいただいて恐縮至極です。たぶん、ご存知だと思いますが、この教会にマンテーニャの「シエナの聖ベルナルディーノと2天使」
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from: にょん太さん
2014年08月01日 08時59分05秒
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イタリア語の必要性
昔、古代ローマ建築の勉強のためにイタリアに行きました。その前に付け焼刃覚悟でイタリア語の特訓を受けました。
その甲斐があって、簡単な日常会話が出来そうと言った状態でイタリアに出向きました。でも、こんなお粗末な語学力では、とても勉強になるまいとの悲壮な覚悟をもって。
1ドル=360円の固定為替レートで、それに加えて外貨持ち出し制限が厳しい時代で、外国に勉強に行くなら、必ず成果を上げねばならないとの周りからのプレッシャーがあり、それに押しつぶされそうでした。
ところがです、お世話になった建築関係の先生方、博物館やパラッツォなどの説明をご担当した先生方の説明は、全部英語で行われたのです。皆さん、それこそ英語が達者でした。(英語が必ずしも得意ではない教授さんもいらっしゃったかも知れませんが、多分、説明担当から外れたのでしょう)
大学の研究室(勿論、日本の)には何人かの東南アジアからの留学生がいて、彼らと日常的に英語を話していたことが大いに役立ちました。
それ以来、仕事で度々イタリアを訪れてますが、仕事上では、イタリア語ではなく全部英語でやってます。私の拙いイタリア語よりもイタリア人の英語の方が遥かに流暢ですから。
イタリア人曰く、「建築の分野では英語が出来ないと話にならない」そうです。
昼食や夕食など私的な場では、私は成るべくイタリア語で話すように努めてます
また、良くイタリア人から話しかけられるのですが、殆ど英語でして、イタリア語で話しかけられたことは滅多にありません。
私の場合、仕事では、イタリアに限らず、ドイツ、フランスなどでも、全部英語で行われています。
トスカーナのアシャーノで偶々マンマたちの会話を耳にしたのです。
「あらあら、こんな所に日本人は珍しいわ、何をしているのかしら」
それに対して私。(イタリア語で)
「建物を見ているのですよ。少し前に、傑作が多く展示されている市立美術館に行ってきたところです。ところで私は日本人ですが、どうして日本人と分かりましたか」
「あなたの立ち居振る舞いで、多分、日本人だと思いました」
中国人や韓国人と見分けた理由が知りたかったのですが、マンマたちは自分たちの会話に熱中し出したので、それは叶いませんでした。
イタリア語が出来れば、それに越したことはありませんが、旅行中の必要性と言う点では簡単な日常会話ができるレベルで十分だと思います。
(下の写真は本件と全くの無関係です)-
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from: シニョレッリさん
2014年08月01日 09時53分01秒
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にょん太さん、お元気ですか?にょん太さんと違って、私はイタリアで仕事をしたことがないので、その辺の事情がよく分かりません。ただ、ドイツ、フランスの国際
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from: シニョレッリさん
2014年09月04日 06時36分10秒
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ぐら姐さん、にょん太さん、横から失礼します。8月下旬から天候が回復したと聞きましたが、今年のブドウは望み薄なんですね。春と秋の旅行で天候に祟られること