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from: ただの猫さん

2025/02/20 16:39:38

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猫の話し

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from: ただの猫さん

2025/02/25 17:08:01

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トランプは 老人性認知症で「妄想」に陥っている

トランプは いままで「米国」が、ウクライナの「反ロシア派」の

ゼレン政権に「無償」で 膨大な軍事支援してきたと主張

その「見返り」に ウクライナの「地下資源」の50%を

ゼレン政権に「要求」

さらに 欧州NATO は「反ロシア派」のゼレン政権に「有償」で

支援してきたと発言 

そのため欧州NATOの マクロン大統領が トランプに「反論」

トランプは 認知症で「NATO}も「分かっていない」

「NATO」とは「資本主義諸国」が「共産主義諸国」に 

「対抗」するため結成した「北大西洋条約機構」を NATOという

それに「対抗」して 共産主義諸国が 結成したのが

「ワルシャワ条約機構」で WTO という

つまり 1950年 共産主義勢力の「中国軍 + 北朝鮮軍」が

資本主義の米国が建国した「韓国」を 共産主義化するため「侵略」

当然の成り行きで

「資本主義の諸国」=「北大西洋条約機構(NATO)」 と 

「共産主義の諸国」=「ワルシャワ条約機構(WTO)」とが 

軍事的な 敵対関係になる これが「東西冷戦」

ところが「第2次大戦「後 米国が 世界一の「資本主義国」となり

米国が 主導する「米国主導のNATO]

このNATO は 資本主義諸国が 加盟

欧州は「フランス革命」から 欧州諸国は 全て「資本主義国」

だから NATO といえば「資本主義」の「欧州諸国」

つまり 米国が主導する「欧州資本主義諸国」の「NATO」・・欧州NATO 

だから「米国」が ウクライナの「ゼレン政権」に「無償支援」したのなら

「欧州NATO」も主導国の米国に準じゼレン政権に「無償支援」した事になる

ところが トランプは 米国は ゼレン政権に「無償支援」したが 

欧州NATOは「有償支援」したと発言 

だから 欧州NATOの、フランスのマクロン大統領が トランプに「反論」

トランプは 認知症で 正しい判断が できなくなっている


  報道

>マクロン氏が トランプ氏面前で異例の「ファクトチェック」 
欧州支援への不満にチクリ

2/25(火) 11:35配信


産経新聞


【ワシントン=大内清】米ホワイトハウスで24日行われた米仏首脳会談で、
トランプ米大統領が、米国はウクライナへの支援を無償で行ってきたのに
、欧州諸国は貸し付けの形で行っているのは不公平だと主張したのに対し、

マクロン仏大統領が「違う」と訂正する場面があった。
首脳同士の公開の場でのやり取りで、相手の誤りを指摘する
〝ファクトチェック〟が行われるのは異例。


トランプ氏は会談冒頭を取材する記者団とのやりとりで、
米国の対ウクライナ支援は無償供与が中心のため、
見返りとして同国の鉱物資源の権益確保が必要だとの考えを強調。

それに比べて「欧州(の支援)はウクライナへのローンなので
金を取り戻せる」と主張し不満をあらわにした。

これに対しマクロン氏はトランプ氏の発言をさえぎり、
「事実としてわれわれ(欧州諸国)は支援全体の60%を
(ローンではなく)支払っている」と反論。

「米国と同様に、貸し付けや無償供与などを通じて(支援が)行われている」と言い返した。

トランプ氏はしばしば、対ウクライナ支援で米国は欧州よりはるかに過大な負担を強いられているとも主張。ただ、独シンクタンク「キール世界経済研究所」の集計によると、昨年12月時点での軍事、財政、人道分野を合わせた支援表明額は欧州諸国が計約1320億ユーロ(約20兆7300億円)で、米国の約1140億ユーロを上回る。

一方、トランプ氏はこの日、記者団から、ウクライナのゼレンスキー大統領を「独裁者」と呼んだことに関連して「プーチン露大統領もそう呼ぶのか」と聞かれたのに対し、「おいそれと使える言葉ではない。(今後の交渉が)どうなるか見極めよう」とするにとどめ、明言を避けた。

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from: ただの猫さん

2025/02/25 18:05:06

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人工肛門を付けた 女性の「水着姿」が 美しい

この女性は 英国人男性と 日本人女性の 間に生まれた

ハーフ しかし 大腸がんになり 腹部に人工肛門を設置

水着姿を 披露 めちゃくちゃ美しい 水着姿

この掲示板では 映像が 観れないが 下の タイトルで

検索すれば 水着姿が 観れる

「オストメイト」は 人工肛門を付けた人の事

 
  報道・・全文

>日本初。人工肛門を露わにした「水着オストメイトモデル」とは。

2/25(火) 15:51配信

スタジオパーソル

SNS等で、冒頭の写真を目にした方もいらっしゃるかもしれません。水着姿の彼女の右腹部には、袋のようなものがついています。この袋はパウチと呼ばれ、大腸がんなどの病気や事故でストーマ(人工肛門・人工膀胱)を造設した方の排泄物を受け取る役目を担っています。そして、ストーマを造設した方はオストメイトと呼ばれています。

彼女の名前は、エマ・大辻・ピックルスさん。エマさんは16歳のときに難病を患い、41歳でストーマを造設、オストメイトになりました。2020年に自ら服を脱ぎ、オストメイトであることを公表。NHKのドキュメンタリーに取り上げられたことをきっかけに、日本で最初のオストメイトモデルとして活躍されています。医師も兼務しているエマさんのはたらき方を紐解くと、そこには彼女の生き方が詰まっていました。

負けず嫌いでシャイな性格。弁護士を目指していた高校生のときに異変が
現在のエマさんは、医師でありながらオストメイトモデルとして活躍されている「はたらく女性」。オストメイトモデルは、一般的な" モデル "の仕事とは異なり、オスメイトたちが使う商品PRの撮影や、オストメイトについての講演などが主な仕事です。

イギリス人の父と、日本人の母のもとに生まれ、3歳で日本にやってきたエマさん。幼いころは、負けず嫌いな性格だったそう。

「女性は結婚したら専業主婦になるのが一般的だった時代、私の母は「はたらく女性」で、自立している姿に憧れをもっていました。だから、母にとって『自慢の娘になりたい』という気持ちがすごく強くて、子ども心にいつも『褒められたい』と思っていた気がします」

また、子どものときはシャイな性格でもあったそうです。

「人前に立つことは苦ではありませんでしたが、特別好きだという気持ちもなくて。ただ、クラスのみんなや先生からお願いされれば、校歌隊の指揮者をしたり、委員会の代表を務めて人前でスピーチをしたりしていました」

「イギリスの血が入っており、見た目が日本人とは違うので『エマならできるだろう』と求められやすかったのかもしれません」と話します。その後、中学生のときにターニングポイントが訪れました。

「音楽に力をいれている中学校で、音楽の歌唱試験はクラス全員の前で1人ずつ歌を歌わなければならなかったんですよ。成績に関わるから、恥ずかしいなんて言っていられないのですが、周りのクラスメイトたちが『緊張する』と言っているのを聞いて、『そういえば私は、人前で歌っていても緊張しないな』ということに気が付ついて。それ以来、人前に立つことがだんだんと好きなりましたね」

小学校から大学まで一気通貫して進学できる私立学校に通っていたエマさんですが、弁護士になるため外部の大学に進学することに決めました。

「幼いときから母に、『女性一人でも生きていけるように、資格をとって弁護士になりなさい』と言われてきました。女性がはたらくことが一般的ではない世の中で、手に職をつけてほしいとの思いからだったと思います。私は、素直に『そうか、弁護士になろう』と受け止めていましたね。

そう思えたのも、きっと母が、私は理系ではなく文系だと分かっていて、私が好きだと思う方向に導いてくれていたから。もし、『医者になれ』と言われていたら反発していたかもしれません(笑)。母と一緒に法廷もののドラマもたくさん見ていたので、私にとって弁護士という選択肢は自然な成り行きでした」

ドラマをきっかけに法医学という学問に惹かれ、法医学を学べる慶応義塾大学を第一志望に決めたエマさん。大学受験に向け、1日3時間睡眠で勉強漬けの毎日を過ごしていました。その矢先、16歳になった彼女を病魔が襲います。

優等生から、劣等生へ。原因不明の病に翻弄された
「16歳ごろから、食事をするとお腹が膨らんで、なかなか元に戻らなくなってしまって。ただ、夜眠ると元に戻るんですよ。だから朝学校に行くときは問題ないのですが、昼食を食べた後にお腹がパンパンに膨らんでしまって、帰りはウエストのボタンを外して帰っていました」

しかし当時は、「食事をしたからお腹が膨らんだだけ」と思っており、病気だという認識はありませんでした。話したことはないけれど、きっと周りの友人たちも食事をするとこんなふうにお腹が膨らむのだろう、と思っていたそう。

それ以外に大きな体調の変化はなく、大学受験を迎えて、無事に第一志望だった慶応義塾大学に合格しました。

「法医学を活かして医療関連の訴訟をする弁護士になりたいと思っていたのですが、勉強を進めるにつれ、どうしても医学の知識も必要だと感じ始めて。

そこで4年生のときに、文系からでも編入できる医学部を探し、そのうちの1つだった鹿児島大学への編入試験を受けることを決めました。10人の枠に対して250人が受験していたので、ダメもとで......と思っていたところ、見事合格!宝くじに当たったと思うくらいうれしかったです」

ところが、医学部生になったエマさんは、これまでと異なる分野の勉強になかなか追いつけず、だんだんと劣等生に。追試、追々試でなんとか留年を免れる日々。大学受験、医学部受験と大きな山場を乗り越えたことで生まれた「優等生の自分」という自負が砕かれていきました。

さらに、追い打ちをかけるように26歳のときに病状が悪化します。

「医学部生のときもお腹が膨らむ症状は変わらず、食べると膨らんでしまうので1日1食生活をしていました。周りの友人たちからは『エマはかなりストイックなダイエットをしているんだね』と言われたことがあります。

発症してから10年が経ったと思われる26歳のとき、試験前に徹夜をしていたら経験したことのない腹痛に襲われ、すぐに救急車で搬送されました。医学の知識もついていたので『自分の体に何かが起こっている』と感じたのですが、検査をしても何も見当たらず、診断がつきませんでした」

以来、検査入院も含めて20回以上の入退院を繰り返す生活が始まりました。ありとあらゆる検査を受けるも、原因不明。当時のことを振り返り、苦しい時期だったと話します。

「目に見える原因がないために診断してもらえず、『ストレスです』『あなたは心が弱いからですね』と言われたこともありました。

原因が分からない不調を抱えたままでは勉強との両立は難しく、食事を摂っていないせいで、長時間立ちっぱなしの実習授業では途中で倒れてしまうこともよくありました。周りからは、サボっている人と思われてしまうのですが、病名がないので弁明することもできない......。

せっかく編入までしたのにと、悔しい思いをすると同時に『もしかしたら、ほんとうに私は心が弱いのかもしれない』とも思うようになりました」

走りを止めて立ち止まったことで得た、はたらきがい
浪人しながらもなんとか医師国家試験に合格し、医師になったエマさん。弁護士ではなく医師としてのキャリアを歩み始めますが、病気もあり思うように研修ができない日が続きます。医師であるにもかかわらず、知識を生かせないことで少しずつ自身の存在価値を見失っていきました。

「私は、人間と動物の違いは因果関係を追求するかどうかだと思っていて。人間は原因や理由があれば耐えられるし、乗り越えられる。だけど当時の私は、原因も理由も分からない。

鬱々とした日々の中、心ない声からうつ病になってしまったんです。この期間は、そうですね......人生で初めて立ち止まった時間、かもしれません。それまで常に目標に向かって進んできていて、たとえば大学受験もそうですし、医学部への編入も、国家試験もそう。1つの目標を達成すれば、また次の目標に向かって走り続け、今思うと生き急いでいたのかもしれないです。だからこそ、自分にとっての幸せは何か、何をしたいのか、改めて自分を見つめ直していました」

体調不良や入退院の関係から医師としてのキャリアを一度中断し、フリーランスで保険金請求の際に必要となる鑑定書を書く仕事を始めます。

「保険会社から依頼をもらい、たとえば、傷害事故に遭われた方の資料を読み解き、ほんとうに事故なのか、事件性はないのかを見極め、医学的な観点と法律的な観点から鑑定書を書く、という仕事です。

なぜこの傷害事故が起こったのか、から筋道を立てて考えることは自分の性に合っていましたし、何よりこれまでインプットしてきた医学と法律、両方の知識を社会に還元できたことがうれしかったですね」

この仕事をきっかけに学んできたことのアウトプットが増え、精神的にも少しずつ回復に向かっていったエマさん。時期を同じくして、息子さんを出産したことも、生きる責任が湧いてきたと話します。

「息子が生きるための大きな活力になったことは間違いないですね。私がこの子を育てなければならないという一種の義務感が、苦しかった時期の支えになっていました」

ようやく診断がつき、オストメイトになる決断をした
そして2016年。38歳のとき、ついにエマさんに診断がつきました。慢性偽性腸閉塞症、通称 CIPO(シーポ)と呼ばれる難病だったのです。20年以上かかり、ようやく診断がついた瞬間にエマさんは何を感じたのでしょうか。

「『勝った』と思いました。診断がつくまでいろいろなことがあって、それでも私は粘って生きてきたぞって。

同時に、『もしかしたら私は、自分を救うために医者になったのかもしれない』とも感じましたね。診断をつけてくれた先生はもちろん、ここまで生き延びてこられたのは、多くの医療従事者の方々のおかげ。ラッキーに恵まれていました」

診断がついた一方、CIPOには明確な治療法がありませんでした。しかし、そんな中でも、エマさんは膨張してしまった胃の8割を切除。生きるための最終手段としてストーマの造設を担当医から提案されました。

「提案されたとき、先生から『大辻さん、これでトンカツが食べられるようになるよ』と言われたんです。残っている2割の胃に負担をかけないために、油ものなどを割けていた私にとっては朗報でした(笑)。

ストーマの造設は体型が大きく変化してしまうので、提案を受け入れ難い患者さんも多いのですが、ストーマ造設で喜んだ私は、珍しいオストメイトだと思いますね」

ですが、そんなふうに思っていたエマさんも手術が終わり、自分の腹部に目を向けたとき、思わず立ち眩みがしたそう。そこには、ソーセージのような剝き出しの腸が横たわっていました。ここから、オストメイトとしての生活が始まったのです。

「ストーマは腸がむき出しになっており、肛門と違って筋肉がありません。そのため、排泄物をせき止められず、それらを受け止めるパウチを24時間装着しています。パウチは1日〜数日程度で取り替えるのですが、最初はこの取り替え作業のコツが掴めず、何度か排泄物を漏らしてしまったこともあります。

また、日本で流通しているのは透明なパウチなので、24時間自分の排泄物を直視し続ける生活に。医師として、ストーマの造設は治療の一環だと分かっている私ですらも、少しずつ、だけど確実に自尊心が紙やすりで削られていく感覚を味わいました」

日本に22万人いるオストメイトたちへ、希望を伝える
自分自身の変化に戸惑いを感じる日々の中、何気なくInstagramで「#オストメイト」と検索してみると、海外のオストメイトたちが不透明のパウチをつけ、ビーチやジムなどを楽しんでいる投稿を発見。エマさんは担当の看護師へすぐに「このパウチをつけてみたい」と依頼し、デンマークに本社を持つコロプラスト社から取り寄せてもらいました。サイズ感などが合わないと便が漏れてしまうこともありますが、取り寄せたパウチはエマさんにフィット。現在もグレーのパウチを愛用しています。

さらに、パウチを見せ、笑顔で楽しそうに生活している投稿も見かけ、エマさんには一つの思いが湧きました。

「オストメイトたちにとって、ストーマは生きるための選択です。生きている証、勲章だと私は捉えていて。

だからこそ、日本に22万人もいるオストメイトたちには羞恥心や絶望感ではなく、希望と自信を持って生きてほしいと思い始めました。海外のオストメイトたちがそうであるように、楽しく生きていけることを伝えたい。そう思い、私は服を脱ぎました」


それが、冒頭でもご紹介したこの写真です。自ら服を脱ぎ、パウチをつけた目一杯の笑顔の撮影を自費で敢行。すると、この写真を偶然NHKの方が見つけ、ドキュメンタリーをきっかけに、オストメイトモデルとしての活動がスタートしました。

医師であり、オストメイトである。利他的であり、利己的である
現在、オストメイトモデルであり、がん研有明病院の健診センターで内科医としても勤務されているエマさん。医師の仕事を続けているのには理由があります。

「ちょっとだけ医師で、ちょっとだけ患者の私は、患者さんたちが持つ小さなお悩みに応えることができるんです。オストメイトだと公表したことで『実は私も』という声も、たくさんいただきました。

オストメイトとしてのことはもちろん、たとえば、便秘が辛いとか、検査が怖いとか、できれば主治医に聞きたいけど、聞いていいか分からない、そんなちょっとした困りごとを聞ける立場にいるんですよ」

オストメイトモデルとして活動を始めて3年。エマさんは「まだまだ私のジャーニーは続きます!」と話しました。次なる目標は、オストメイトではない方々へオストメイトのことを理解してもらうこと。たとえば、多目的トイレで見かけるオストメイトマークの認知や、「オストメイト」という言葉自体の認知も広げていきたいそう。

「この病気が発覚するまでが平坦な道のりではなかったからこそ、命のありがたみも実感していますし、オストメイトの私だからこそ伝えられることがあると思っています」

多目的トイレのオストメイトマーク(筆者撮影)
最後に、エマさんにとってはたらくことはどのような意味をもつのかお伺いしました。

「私にとってはたらくことは、利他的であり、同時に利己的であると思います。私の好きな曲の1つに、槇原敬之さんの『僕が一番欲しかったもの』というのがあって、歌詞をご存じですか?」

1番の歌詞は、自分が素敵なものを拾ったけど、隣にその素敵なものを自分よりも必要としてる人がいて渡してしまう、2番の歌詞も、またさらに必要な人がいたから渡してしまう......と続きます。最後、「自分は何も持っていないんじゃないか」と思い振り返ると、そこには幸せそうに笑うたくさんの人がおり、「今までで一番素敵なものを、僕はとうとう拾うことが出来た」と締めくくられます。

「私も、この歌詞と同じなんです。『みんなに希望を伝えたい』『誰かの役に立ちたい』と思いはたらく中で、実は私が一番救われています。

医師として患者さんに知識が還元できていることも、オストメイトの皆さんから暖かい言葉をもらうことも、すべてが私の励み、生きる意味になっているんです」

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