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from: eictyanさん

2024年06月30日 14時08分51秒

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未来=老後 についてETV特集死亡退院さらなる闇

東京八王子市のある問題視されている病院の実態を3か年取材した。その病院は滝山病院。取材したNHKの報道番組をみて心が辛くなった。精神を病んだ患者さんだ

東京八王子市のある問題視されている病院の実態を3か年取材した。その病院は滝山病院。取材したNHKの報道番組をみて心が辛くなった。
精神を病んだ患者さんだから仕方がない‼と言えるのか
他人事とは言えない気がした。他の病院に転院を希望すると
虐待でビデオ(内部告発)により当病院の看護師5人が略式起訴となったが、今も死亡退院の事故が継続して病院の体制には、変化がない。
東京都の方針を変えなければ、この問題は、いつまでも続く。という。地方の老人ホームも同様なことが言えます。
認知症であることで、本人の意思をまともに聞いてもらえず
人手が足りないとの一点張りで、朝からバジャマを着せてほったらかし。季節感全く無視で。頓珍漢な服装をさせている。ディサービスの時とは全く別物で、いつもベッドに寝ていれば手間が省けるとばかりに、歩く事も運動もさせず。おとなしくしている従順な人は巻き爪。歩行に痛みが伴う。施設で入所当時キーパソンを決定すると入所者本人の思いを無視してキーパソンの独壇場となり、他の兄弟や、本人の意思も無視されてしまう。認知症そして精神病の患者に対して極悪すぎる日本の医療現場。誰しも平和な気持ちでご自分の死に対して臨みたい。しかし、働き手が更に減少してゆく日本のこれからの老人介護施設、病院の実態を危惧します。何とかしなければ。まずできるだけ多くの人々が自分のこととして関心を注ぐことから始めたいものです。 

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from: ただの猫さん

5時間前

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歴史の実態が よく分かってない日本識者

豊臣秀吉は 1951年 フイリピンの総督に「降伏を勧める書状」を送ったとあるが 秀吉の実態が分ってない

報道

>朝鮮・中国・フィリピン・インド...秀吉のアジア戦略を昭和の文化人はどう評したのか?

9/20(金) 18:02配信

WANI BOOKS NewsCrunch

三英傑と呼ばれる信長・秀吉・家康。2023年の大河ドラマ『どうする家康』や、映画『レジェンド&バタフライ』『首』など、現在でも人気が高い歴史上の人物だ。政治評論家の三浦小太郎氏が、現代のグローバリズムやナショナリズムを踏まえて、豊臣秀吉のアジア戦略について検証する。

【参考写真】初代フィリピン総督ミゲル・ロペス・デ・レガスピなど

※本記事は、三浦小太郎:著『信長 秀吉 家康はグローバリズムとどう戦ったのか 普及版 なぜ秀吉はバテレンを追放したのか』(ハート出版:刊)より一部を抜粋編集したものです。

◇秀吉によるフィリピン総督への「降伏勧告」

豊臣秀吉は朝鮮出兵に先んじ、1591年11月の段階で、マニラのフィリピン総督に対し「降伏勧告」の書簡を送っている。

届いたのは翌年であるが、内容は次のようなものである。

なお、ここに記されている原田孫七郎は貿易商で、数回フィリピンにわたり、かの地は防衛が手薄であり出兵すべきことを、しばしば秀吉に説いていた。

我が国はここ百年以上、国内は様々な群雄が現れて戦乱が続いたが、この十年の間に自分がことごとく平定し統一した。これによって、朝鮮、琉球など諸国も我が国に帰服しており、これより、明国を征服する予定である。しかし、フィリピン総督はいまだに我が国に献上物も送る礼を尽くさない。「故に、まず軍卒をして其地を討たしめんと欲す」。

しかし、まず戦争の前に、原田孫七郎の貿易船によって余の意志を伝える。戦争になる前に、これ旗を倒して(降伏して)余に服従すべき時である。「来春、九州肥前に営すべし。時日を移さず、降幡を伏せてしかして来服すべし」。降伏しなければ、速やかに征伐を行うであろう。

[『スペイン古文書を通じてみたる日本とフィリピン』を要約]

まさに宣戦布告以上の降伏勧告文書である。

これに対し、フィリピン総督ダスマリナスは、戦争を覚悟してマニラに戒厳令を敷き、市民に許可なく財産や家族を市から移すことを禁じた(違反したものは処刑のうえ財産を没収、軍資金とする)。

さらに、マニラ付近の山間地帯に要塞を建設することを命ずるとともに、マニラ在住の日本人を武装解除して市外に隔離している。

また、スペイン国王にも特使を送り、援軍の派遣を求めるとともに、日本に対しては、原田孫七郎は商人であり、果たしてこの書簡が真に秀吉の正式な文書かどうかすぐには判断しかねる、しかし、日本との親交を我々は希望するという親書を送った。

秀吉は1592年8月と12月、2回にわたってフィリピン総督に書簡を送っている。

特に12月の書簡では「余が部下の将の多数はマニラに至り、その地を領すべき許可を与えられん」と、諸将もフィリピン出兵を望んでいることが告げられ「支那に渡りたる後はルソンは容易に我が到達し得る範囲内にあり」。

だが、余の願うのはあくまで親善関係である。スペイン国王に余の意志を伝えよ。「遠隔の地をもってカステイラ(スペイン)王をして、余が言を軽んじせしむることなかれ」と、フィリピン総督のみならずスペイン国王にも呼びかけ、親善を望むのならば地位ある要人を国王自ら日本に送るようにと書簡を結んでいる。

◇朝鮮出兵が終わらなければマニラは平和

フィリピンを支配していたスペイン人たちが恐れていたのは、日本軍の来襲と共に、植民地下のフィリピン人が蜂起することだった。

「フィリピンの原住民はスペイン人を憎んでいるから、日本人がスペインに行けば直ちに、原住民はスペイン人を日本人の手に引き渡すであろう」と、秀吉配下の武将が語っていたという噂が、当時のフィリピンでは流れている。

「太閤が死ねば2歳の息子しか相続人がおらず、分裂が起こり、マニラは危険から免れるであろう」と、総督の使者として1594年に来日するフランシスコ会士のジェロニモ・デ・ジェズスは語っていた。

またジェズスは、朝鮮での戦争が終わらないことを望む、そうであればマニラは平和なのだからとも語っている。いずれも、スペイン側の恐怖を表す言葉である。

奈良静馬の『スペイン古文書を通じて見たる日本とフィリピン』は、書物としては古文書を網羅して紹介しようとする意志が強すぎて、ややまとまりを欠いているが、そこには秀吉の堂々たる「神国理念」に基づいた外交文書を記録にとどめようという意思と、スペイン、そしてアメリカの植民地化に置かれたフィリピンの独立への共感がみなぎっている。

そこには歴史的共通性も根拠もあったのだ。

・・・豊臣秀吉は 元々 どん百姓の子倅で 主君 織田信長への『ごますり』で出世

「智略がない男」

主君・織田信長の妹「お市」に 秀吉が「恋焦がれていた」が お市が「柴田勝家」の妻になる

つまり 秀吉は 恋い焦がれていた「お市」を 柴田勝家に「奪われてしまい」 秀吉が 1583年、柴田勝家の城を攻める

そのため、柴田勝家とお市は 城の中で焼死 しかし秀吉の家臣が「お市の娘」を 救出

このお市の娘が 恋い焦がれていたお市に似て 美形だったので 秀吉が寵愛する

これが「淀君」で 淀君と秀吉の間に 男の子「鶴松」が誕生

そのため 秀吉は 鶴松を自分の「跡継ぎ」と定め 寵愛するが 病気になり 全国から

名医を集めるが 病死してしまう

ここから 秀吉は「常軌を逸する」ようになる

そして今度は「北条家」の 小田原城を攻める

1590年 北条氏が 立て籠もる小田原城を 秀吉の軍勢22万が包囲

秀吉は 北条氏の始祖「北条早雲」を祀る「早雲寺」に 本陣を置く「常軌を逸した行動」

つまり 秀吉と北条の天下分け目の戦い

この秀吉の 直臣下が 秀吉とは 父親が違う異父弟の「豊臣秀長」

秀吉とは 異父弟の 豊臣秀長が秀吉のやり方を いさめる

そのため 秀吉は 異父弟の豊臣秀長を 言いなりにならない奸臣として暗殺

そして茶人だった「千利休」が 商人であり弟子だった「山岡宗二」を 秀吉に紹介する

しかし山岡宗二は「北条家」に忠誠を誓っていたため 秀吉の 言いなりにならず 秀吉が 山岡宗二の

鼻や耳を削ぎ落し 首を斬り落とす さらに千利休にも 切腹を命じる 秀吉野頭が狂っていた証拠

切腹は 武士に命じるが 茶人に切腹など命じない そして1590年 秀吉の22万の軍勢が

北条家の小田原城を、攻め落し 天下統一を行う

そして1591年 フイリピンも征服するため フイリピンの総督に 降伏する書簡を送る

百姓の子倅が 権力を持ち「傲慢」となり「常軌を逸してしまう」

人間とは そういうもの 日本識者は 歴史に精通していても 豊臣秀吉の「精神状態」を 理解していない

秀吉は「頭がオカシクなっていた」 だから「性的過剰」で 房事過多となり 腎虚になり 死亡したという

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from: ただの猫さん

1時間前

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ま~~~~~~~だ 核心が分らん 脳タリン日本ちんころ

   ニュース

>中国・日本人男児刺殺〉「急に石を投げられ...」ヘイトを隠さない中国人たち。世界の日本人学校での風当たりは?「国へ帰れ!」や"つり目ポーズ"をされることも...
9/21(土) 12:16配信

集英社オンライン

各国の日本人学校の実情は...

中国南部・広東省深圳(しんせん)で9月18日午前、日本人学校に通う10歳の男児が刃物で刺され、19日未明に死亡した事件。その衝撃は日本国内だけでなく世界中に衝撃が広がっている。現地に住む日本人やアジア圏の日本人学校関係者に今回の事件について聞いた。

【画像】事件に対する中国人ネットユーザーによる誹謗中傷

アフターコロナで風当たりが強くなる在中日本人
9月18日午前、中国南部の広東省深圳で日本人学校に通う10歳の男子児童が保護者と一緒に登校していたところ、男に腹部を刃物で刺される事件が発生した。男児は病院で手当てを受けたが、19日未明に死亡した。現地警察によると、男性容疑者(44)がその場で逮捕された。

これについて岸田文雄首相は19日にXにてこのようにポストした。

「昨日、中国広東省深圳市で男に襲われた深圳日本人学校の児童が、19日未明に逝去されたとの報告を受けており、深い悲しみを禁じ得ません。心からのお悔やみを申し上げます。極めて卑劣な犯行であり、重大かつ深刻な事案と受け止めています」

中国外務省・林剣報道官の19日の記者会見によると、死亡した男児は深圳日本人学校に通う小学5年生。男児の父親は日本国籍、母親が中国国籍だと説明しているが、「これまで把握した情報から、これは個別の事案。類似の事件は、どの国でも起こりうる」とし、犯人についても前科者であること以外、動機などを含めて明らかにしていない。

「日本教育文化の象徴であるランドセルは海外の日本人学校でも例外ではない。犯人はランドセルを見て、被害男児が日本人だと判断したのかも。日本人学校に子どもを通わせるある保護者は、『目印になってしまうので、(子どもに)ランドセルを背負わせるのはやめようかと思ってる』と話すなど、現地日本人に警戒が広がっています」(中国駐在記者)

文部科学省が認定した「在外教育施設」にあたる日本人学校は、2024年4月15日現在で世界49カ国・1地域に94校存在する。そのうち、中国大陸の日本人学校は9都市に10校(上海に2校)と最多である。

中国にある別の日本人学校に勤務する30代男性教諭はこう語る。

「今回の事件を受けて、本校でも緊急職員会議が開かれ、大変慌しい状況です。今回の事件はいち教員として、非常にショックを受けました。同じ中国国内の日本人学校の児童がこんな目にあってしまうなんて、言葉になりません。今後、本校も子どもたちを守るために全教職員で一丸となり、対策を強化する予定です」

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