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from: Dr. スリップさん
2019年08月06日 14時13分22秒
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Lawrence of Arabia (アラビアのロレンス)
「アラバマ物語」と同じ年(1962年、日本公開は翌年12月)に公開され、男優賞、女優賞以外の賞を総なめにした「アラビアのロレンス」も私の大好きな映画の1つです。このくそ厚い日々が続く昨今ですが、酷暑をひしひしと感じさせる凄い砂漠描写の映画でした。当時の映画は70mmで3時間以上という超大作が多く、この映画も、先ず序曲があって、幕が開くというものでした。そして、メインタイトルはバイクを俯瞰した単純なシーンで、ロレンスがそれを神経質に磨いています。そして走り出し、田舎の道で猛スピードをだして子供の自転車をよけそこなって死んでしまうというショッキングな冒頭でした。この時ロレンスは46歳だったそうです。映画の前半は、彼の若さと天才的閃きから、権威を無視して、とてつもないことをやり遂げてしまうというもので、少数のベトウィンを引き連れて死の砂漠を横断し、オスマントルコの要衝・アカバを背後から攻撃して陥落させてしまうという話で、この業績で一躍有名になりました。後半は、正式にミッションが下り、中佐の肩書でアラビア戦線へ戻り、ベトウィンを指揮して行くのですが、イギリスやフランスの列強の思惑とベトウィンの王族、種族たちとの思惑が激突し、政争のルツボとなってゆく中で翻弄される、人1倍潔癖でデリケートな青年の精神状態の崩壊?が描かれます。随所に感動的シーンがありました。例えば、決死の覚悟で死の砂漠を越え、オアシスが目の前となったとき、1人の落伍者が認められ、みんなが運命なのだから仕方がないと止める中を1人で取って返し、これを救って戻ってくるシーン、ここで運命は私が作るというセリフ。砂漠が何でこんなに好きなのかとアメリカの新聞記者にインタビューされたとき、1言、"Its clean" と答えるところ。ラストで、ロレンスの存在が列強・アラブの双方によって両刃の剣と判断され、解任されて任地を離れるとき、軍服姿のロレンスにはベトウィンたちもかつてのような親しさを表わさず、孤独のうちに軍用車で去るラストシーン、砂煙を浴びせかけて追い抜いてゆく軍用オートバイが象徴的でした。などなど。
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from: 成増のヨッシーさん
2019年08月04日 14時05分13秒
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from: Dr. スリップさん
2019年08月02日 11時52分14秒
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この映画も心に残る映画でした。ウイリアム・ホールデンは従軍記者として朝鮮戦争に参加し、戦死してしまうのでしたね。ジェ二ファーはその後も丘に登り続けるのですね。多分香港政庁下でその後生きてゆけるのでしょうが、ハーフである彼女が共産党政権の圧迫に耐ええたかどうかが気になります。
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icon拍手者リスト
koko、
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from: Dr. スリップさん
2019年08月01日 12時28分53秒
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この「アラバマ物語」には印象深いシーンがいくつかありました。アメリカ中南部の田舎町の人種差別に凝り固まった法廷で、白人女性をレイプした容疑の黒人青年を孤軍奮闘で弁護する父親とそれをじっと目撃する子供たち。でっちあげであることが理論的に明確になっても考えを変えない陪審員たち。こんな中で絶望した黒人青年が判決を待たずに自殺してしまう不条理な結末。温かい家庭愛の中に突然巻き込まれるシリアスな世界。でっちあげがばれて面目がつぶれた被害者の父親の逆上。この逆上が子供たちへの魔の手となって迫る。学芸会の帰りの夜道で着ぐるみを着たスカウトはこの親父に襲われ、心優しい知的ハンディの隣の青年に助けられる。この青年のことを子供たちは怪人視していた。結果として暴漢は持参したナイフで刺されて死んだのだが、この真相が誰にも分からない。兄のやったことだと思っている父親と、暴漢は勝手にナイフの上に倒れたのだと主張する保安官との、正義と正義の論争がまた感動的でした。アメリカあの田舎町の出来事ではあるが、大変濃密な内容でした。
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from: kokoさん
2019年08月01日 05時55分43秒