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  • from: 花散里さん

    2020年07月27日 11時37分37秒

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    では、町田氏の評論を踏まえた上で、アダム・リッポンの「牧神の午後」をじっくりと鑑賞してみよう。





    ≪リッポンは、その恵まれた身体と適正なスケーティング技術によって、「牧神」の「相貌」を氷上に体現してみせた。≫ 
    まさに~(⋈◍>◡<◍)。✧♡激しく同意


    以下花散る里の感想

    初めてこのリッポンの「牧神の午後」演技映像を観たのは、2015年全米の「ピアノ協奏曲」演技映像でアダム・リッポンに一目惚れしてから、彼の過去演技をあれこれ漁りまくっていた時であった。
    牧神のポーズは、プルシェンコの「ニジンスキーに捧ぐ」で印象に残っていて、「ニジンスキーに捧ぐ」は好きなプロの一つではあったけれど、わたしの中で「最もニジンスキー風味がある演技はアダム・リッポンの牧神」に書き換えられた。(´-`*) この映像を最初に見た時には、「これをソチオリンピックで見たかったよ~!!!全世界に見せたかったよ~!!!」と残念でならなかった。

    まず、この曲にはこんな魅力があったのかと驚いた。曲自体は、以前から知ってはいた。でも以前曲だけ聴いた時には、なんだか 前衛的=小難しい ってイメージで、うにょ~~~とした旋律がこう景色を歪ませるような感覚が心地悪く、パーンと分かりやすく盛り上がる部分がなく、どよ~んとした退屈な曲と感じていた。それが、リッポンの演技を見て曲のイメージが大きく変わった。張りつめた緊張感、それがふっと緩んだ後になにかしらを予感し高まる期待、身体の内側から湧き上がるエネルギーに身をよじり急かれるように疾走する旋律が渦を巻いて空間に解き放たれていく。音のうねりの中に不思議な静寂を感じ心地良いと思った。

    リッポンプロには、彼の演技を見て、初めてその曲の魅力に気づかされることが度々ある。わたしが、彼をアーチストであり優れた表現者だと思う所以だ。

    また、アダム・リッポンは自分の体験した感情と今告げたいメッセージとを身体を使って、視覚化するのが上手い。そういう何か天性の才能みたいなものをフィギュアスケートに限らず、NHK杯エキシの歌声披露でも、ダンス番組でもみせてくれた。眼差しや口元といった顔の表情ばかりでなく、ちょっとした首の角度・指先・背筋等等、身体の表情も豊かで、振付を単なるそういう振りではなく、今まさに自然な感情が全身からあふれ出しているという風に、感じさせてくれるのだ。

    今回町田氏の評論を読んで、リッポンが牧神の演技で見せる「野生と官能」と同時に時折「垣間見える無垢な表情」町田氏の感じた「理性と野生の狭間で精神が微妙に揺れ動く牧神の内面」は、リッポンの当時の内面そのものの投影ではないかと考えた。

    「スカーフと共に取り残された牧神の心情」「『絶対の渇望者』として牧神像」って文章に、ふと、リッポン自叙伝の中のスコッティ―さんとの別れのシーンを思い出していた。自分本来のセクシャリティーに目覚め、誘われるままに恐れることも躊躇することもなく大胆に踏み出し、初体験をしたが、その対象はあっけなく消えて、一人取り残されたリッポン。オリンピックを目指すアスリートとして禁欲的なトレーニング中心の生活に踏みとどまって、恋も性生活も先送りにしながら、彼の中に目覚めた別の情熱と欲望は行き場をなくし、当に「理性と野生の狭間の揺れ動く精神」を経験したに違いない。

    とはいっても、経験したからといって、誰もが自分の経験を演技に投影できるわけではなく、ましてやより魅力的に表現できるわけではない。内面に感情の記憶をドラマチックに再現しつつ、自分を外から客観的に観察する目でもって演出を加えることで、生の体験は、初めて魅力的な演技となるからだ。アダム・リッポンは、それができる表現者だ。

    彼の牧神が官能的なのは、町田氏も指摘するようにアッパーボディーによる視覚効果もあるだろうが、内からのエネルギーに突き動かされるように焦燥感さえ感じさせて加速していく推進力と、ここぞという美しい角度や位置でピタリと止めたポーズを保ったままの加速を可能にしている抑制力、二つのエネルギーのせめぎ合いと緊張感によって生み出されているのだと感じる。

    リアルでは、スコッティ―さんに遊ばれた形のちょっぴりイタイ失恋体験が、このプログラムの中で、非常に魅力的な「絶対の渇望者としての牧神像」を生み出し美しく昇華されていると、わたしはそのように想像してしまう。

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  • from: 花散里さん

    2020年07月19日 15時23分59秒

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    町田樹著「アーティスティックスポーツ研究序説」
    第Ⅲ部 鑑賞されるアーティスティックスポーツ
    題2章 プログラム再読のすすめ
    ―アダム・リッポン≪牧神の午後≫を題材とした
    フィギュアスケートの作品分析

    ≪以下抜粋
    2-6 リッポン版「牧神の午後」の総合評価

    振付師とは、ミューズがいなければ生きられない存在だ。いくら頭に優れた振付のアイデアを思い浮かべようとも、その振付を体現することができるスケーターがいなければ、振付師は創作を行うことはできない。その意味において、アダム・リッポンというスケーターは、トム・ディクソンという振付師にとって、まさにミューズであったと言えるのではないだろうか。
    リッポンは、その恵まれた身体と適正なスケーティング技術によって、「牧神」の「相貌」を氷上に体現してみせた。




    ジョン・カリーをはじめとして牧神を演じる趣向のプログラムはいくつか存在するが、リッポン程野生を感じさせるものはない。(中略)
    またリッポンの「牧神の午後」新版は、性的描写は一切見られないが、どこか官能性を感じさせる趣となっている。その理由としては、アッパーボディー・ムーブメントが多用されていることが挙げられるだろう。フィギュアスケートの文脈におけるこのアッパーボディー・ムーブメントとは、上体を反らせたり捻ったりすることで、身体の中心軸から上半身の軸を大きく外すような動作を意味する。「牧神の午後」新版には、このような上体の動きが一般的なプログラムよりも頻繁に観られるのである。舞踏に限らず多くの舞台芸術において、性的な快楽を身体で表す時には、普通上体を大きく反らせるものだが、リッポン版「牧神の午後」におけるアッパーボディー・ムーブメントは同じような視覚的効果をもたらしているのではないだろうか



    とはいえ野生だけではなく、ときには無垢な表情を見せたり、あるいは(ニジンスキーの作意とは相反するが)フィギュアスケートならでは美しいポジションが規律正しく提示されることで、観る者はリッポンの身体から、理性と野生の狭間で精神が微妙に揺れ動く牧神の内面を感得することできるのである。

    一方で、ディクソンの振付も極めて精巧である。ディクソンの振付の優れた点としては、主に①フィギュア(=図形)のデザイン性と、②身振りと様式の踏襲、そして③マイムによる物語性の付与の3点を挙げることができるだろう。

    (1) フィギュアのデザイン性

    「牧神の午後」新版のフィギュア・ノーテーションを作成してわかることは、空間占有率が高く、かつ緩急が明確なフィギュアの美しさである。(中略)広大なリンク空間を満遍なく利用して図形を描けなければ、360度鑑賞に耐え得る良質なプログラムを生み出すことはできない。(略)ディクソンが公正したフィギャアに死角はない。さらに技術点の採点対象となるジャンプとスピンも、ほとんどシンメトリーになる形で配置されているから驚きである。

    実は見落とされやすいことだが、空間(リンク)の占有率の高さを履行するためには、圧倒的なスケーティングの速度とそれをコントロールする高度な技術が必要である。リッポンのスケーティングの驚異的な速度と技術が、この「フィギュア」の美しさを可能とする。



    そしてそのスケーティングのスピードが、牧神の野生を表象してもいるのである。


    フィギュアスケート界においてこれ程までにプログラム全体のフィギュアが精巧に作られることは、きわめてまれであると言えるだろう。

    (2) 身振りと様式の踏襲

    (略)ニジンスキーの振りを引用すること自体は決して珍しいことではない。しかしこうした身振りが、空間の二次元性までをも意識して提示されているプログラムとしては、ディクソンの振付が唯一であると評価することができる。(略)おそらくディクソンが旧版から新版へとプログラムを手直しする過程で、ニジンスキーの身振りとその表現様式を会得し、なおかつそれを新版に反映させたことを物語っているものと言えるだろう。

    (3) マイムによる物語性の付与

    (略)
    この僅かではあるが、具体性を伴った動作によって、ニジンスキーが構想した「牧神の午後」の筋書きをなぞるような物語性が、極めて抽象的ではあるが立ち上がってくるのである。

    ところで筆者は、リッポン版「牧神の午後」の最後の振付が、その直前のスピンの美しいレイバック姿勢からの流れといい、傑出していると考えている。跪いた状態で、右手は胸に添えられ、左手は何かを乞い求めるかのように前方へと差し出されている。(図14)正面のアングルから見ると、ボディーラインとシルエットの造型が美しく印象深い。この最後の振りは、スカーフと共に共に取り残された牧神の心情を表すものと言えるだろう。ニンフの薄絹に欲情した牧神が最終的に夢の中へと落ちていくニジンスキーの振付と、何かを求めるような振付で終幕を迎えるディクソンの振付は、明確に異なる。このディクソンが施した最後の振付をどのように解釈すればよいだろうか。リッポン版「牧神の午後」に付与された物語性が抽象的であるがゆえに、観る者にとっては多様な解釈が可能となるだろうが、筆者はこの振付に、「絶対の渇望者」として牧神像を見出すのである。



                                    以上抜粋≫

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  • from: 花散里さん

    2020年07月16日 12時07分07秒

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    町田樹著「アーティスティックスポーツ研究序説」
    第Ⅲ部 鑑賞されるアーティスティックスポーツ
    題2章 プログラム再読のすすめ
    ―アダム・リッポン≪牧神の午後≫を題材とした
    フィギュアスケートの作品分析

    ≪以下抜粋
    2-4-2 パートⅡ「夢想する牧神」・・・不在のニンフとの戯れ

    曲調が変わり、牧神がニンフの姿を目視し驚くような仕草(Moves45,E)を見せたところから、パートⅡは始まる。旧版では、舞台の上手側を一瞥するだけに過ぎなかったパートⅡの冒頭の動作が、突如何者かを目撃した牧神の有様が明確に伝わるような振付に置き換えられている。(図10)実はこの場面でニンフの存在が暗示されることによって、後に展開される振付の微妙なニュアンスを捉えることが可能となるのである。



    始終、神秘的なオーケストラの音に包まれるパートⅡでは、複雑なスケーティングと融和する多様な牧神のポーズが随所に見られる。ここでまず注目したいのが、3回転アクセル(moves67)と三回転フィリップ(Moves80)に向かっていく際に、リンク正面に対して平行の角度に完璧に配置されている2つの牧神のポーズ(Moves54-57,F &  Moves72,G)である。前者の3回転アクセルへと向かう助走の中に見られるポーズ(moves54-57)は、旧版では論サイドと正対する形で構成されており、二次元空間が意識されているわけではなかった。それが新版では、ロングサイドと平行するように同線の変更が加えられた。また後者のポーズ(Moves72)に至っては、旧版には一切みられなかったのだが、新版では審判側のロングフェンス間際を平行に移動しながら、左右交互に顔を俊敏に動かす牧神の特徴的な身振りとして新たに付け加えられている。この旧版と新版の振付に見出される差異は、やはりニジンスキーが志向した「空間の平面性」をディクソンも意識して再振付に取り組んだことを如実に物語っているものと言えるだろう。

    またパートⅡの終盤で展開されるステップシークエンス(Moves92-126)は、このプログラムの中でもひときわ光彩を放っているシーンである。陶酔や官能を連想させるような上体を大きく反らせた牧神のポーズ(Moves91,H)を流麗なスケーティングの中で見せた後、そのまま一筆書きのようにしてステップの起動に進入していく。ちなみに、この牧神のポーズ(Moves91)はプログラムの中で唯一、審判員と反対側のロングサイドに対して提示されるものとなっている。上半身をしならせながら、緩急時代のステップが踏まれ、まるでブドウの蔓が伸び行くような軌道が氷に描かれる(図7のScene5を参照のこと)。



    ステップシークエンスの序盤、腕を頭上から振り下ろす振付(Moves
    94,I)からは、バレエ劇中に用いられた牧神がニンフを捕える際の仕草が思い起こされる。また、突然ピタリと静止する振付(Moves102,J 1、図11)は、牧神とニンフが対峙することで両者の間に生まれる緊張状態を表しているようにも見える。



    そしてステップが集結したことを表すように、束の間、リッポンは両手を天にかざし仰ぎ見た後に、左手を斜め下へと滑らかに降ろしていく(Moves126,M)その姿は図らずも、どこかニンフの残した薄絹を陽光に透かし眺めているようにも思える(図12)もしそのように解釈することが許されるのであれば、この一振りはニンフが去ってしまったことを象徴するものとして位置付けることが出来るだろう。



    そして、この一連の動作も旧版にはなかった。このことはパートⅡの最初と最後の振り、すなわちパートの転換部に該当するかなめの振り(Moves45,E
    & Moves126,M)が、両者ともに新版で新たに再振付されたことを意味する。この再振付の功績は非常に大きい。なぜならば、構造や要素間の関係性が明確でなかった旧版とは対照的に、再振付がなされた新版では、プログラムを3つのパートに構造化できるようになったことに加え、それぞれのパートの関連を
    「牧神の登場(パートⅠ)→ニンフとの遭遇(パートⅡ冒頭)→ニンフの消失(パートⅡ末尾)」→エンディング(パートⅢ)」という一連の物語として解釈し直すことが可能になるからだ。かくしてリッポン版「牧神の午後」は、旧版から新版にかけて実施された再振付によって「構造」と「物語性」を獲得したと評価することができるのである。

    パートⅡの最後、牧神の天を仰ぐ振付(Moves126)が、ステップシークエンス(Order8)の終わりを告げる。それと同時に、牧神を夢から現実へと呼び覚まそうとするかのように、遠くからかすかに規律正しいハープの音色が聴こえはじめ、いよいよこの牧神の物語は最終局面へと移行していく。
    抜粋終わり≫


    この密度の解説がパートⅠパートⅢにも施されており、リッポンファンとリッポン版「牧神の午後」ファンにとっては、読み応えがある評論となっている(´―`)

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  • from: 花散里さん

    2020年07月15日 11時21分27秒

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    町田樹著「アーティスティックスポーツ研究序説」
    第Ⅲ部 鑑賞されるアーティスティックスポーツ
    題2章 プログラム再読のすすめ
    ―アダム・リッポン≪牧神の午後≫を題材とした
    フィギュアスケートの作品分析

    リッポンの「牧神の午後」が公の場で演じられたのは、僅かに5回のみであったが、その間に振付に大幅な変更が加えられていて、旧版から新版にかけて、プログラムの解釈に影響を及ぼすような重大な振付の異動が数多く観られ、さらに新たな振付が加えられてることが指摘されている。それにより、このプログラムが意図的に3つのパートに構造化されていることが明確となったと解説する。

    プログラムの頭から最後までの167動作の全を秒単位で解析した表が5ページにわたって添付あれてる・・・Σ(゚Д゚)




    ↑の為に、彼はいったい何度何十回リッポンのプログラムを観返したんだろう?Σ(゚Д゚)

    次に氷上にスケートのエッジが描く軌跡(=フィギュア)を記録しなければフィギュアスケートの空間構成を把握することはできないと指摘して、上記で指摘した3つのパートの構造と解釈の説明を加えつつ、演技の最初から最後までの、フィギュアのトレース図が↓の様に
    パート1で2枚 パート2で3枚 パート3で2枚 そしてパート1とパート3の空間構造の対称性を指摘する為に2つを重ねたもの等が添付されている



    ↑の為に、彼はいったい何度何十回リッポンのプログラムを観返したんだろうか?Σ(゚Д゚)まさに研究って感じ<(__)>

    そこからその技の配置その意図と視覚的効果へと分析は進み
    牧神の物語を想起される振付リッポン君の演技写真が10枚も解説付きで(#^^#)

    何ページにもわたる丁寧な解説の全てを書き写す労力すらわたしには・・・ごめん無理<(__)>なのだが、その細かな分析に基づいた解説を読む面白さを伝える為に、一部だけでも抜粋紹介したい。(今はもう時間切れ~また次回でね👋)

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  • from: 花散里さん

    2020年07月14日 13時21分06秒

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    町田樹著「アーティスティックスポーツ研究序説」
    第Ⅲ部 鑑賞されるアーティスティックスポーツ
    題2章 プログラム再読のすすめ
    ―アダム・リッポン≪牧神の午後≫を題材とした
    フィギュアスケートの作品分析
    2 氷上に紡がれた「牧神」の詩的心情

    ≪2-1プログラムの背景―アダム・リッポンの身体に見る「牧神」像からの抜粋

    (ウィキでも読める戦歴や使用曲等の部分は省略。以下町田氏曰く)

    リッポンはノービスクラスの頃からシニアクラスに至るまで、クラッシック音楽を表現することに長けたスケーターであったと言える。基本的に使用する音楽は「略」等のバレエ音楽、もしくは「略」等のクラッシック音楽を基調としていた。従って、自ずと表現スタイルもバレエを題材とし、物語を仄かに感じさせるものと、主題や物語を表現せず純粋に音楽を体現することに焦点があてられた「シンフォニック・スケーティング」が中心となってきた。これまでにリッポンが演じてきた数々のプログラムの中でも、これら2つの表現スタイルを代表するものが「Arrival of the Birds」(2017-2018年シーズンのロングプログラム、ベンジャミン・シュウィマー振付)と、「ピアノ協奏曲第1番」(2014-2015年シーズンのロングプログラム、トム・ディクソン振付)であろう。

    前者の「Arrival ofthe Birds」は、バレエを題材としているわけではないが、傷つき力を失った鳥が再び飛翔していく様を、主に首と肩から指先までの印象的な振りによって表現していくプログラムである。決して物語を描写する為の演劇的な振りが多用されているわけではないが、創意工夫を凝らした振りをプログラムの要所に散りばめることで、観る者に解釈の余地を残しながらも、根幹となる主題を的確に伝えていくような趣向となっている。

    一方、後者の「ピアノ協奏曲第1番」(フランツ・リスト)では、淀みなく流れてゆくピアノの旋律がステップはもとより、得点を稼ぐための技ではなく、振付の一部と化したかのような質の高いジャンプやスピンによって絶え間なく表現されている。このプログラムは、リッポンの身体的特徴である気品あるモダンダンサーのような佇まいをより一層際立たせていたことが印象深い。

    これらのプログラムをはじめ、リッポンの演技すべてに首尾一貫して通底する特徴がある。それはただ単に優美であるだけでなく、いずれの演技にも深く重厚なエッジワークや強度の高い身体運動が介在することで、必ず凛とした芯の強さを感じさせる相貌が立ち現れるということだ。そして本章で取り上げる「牧神の午後」は、まさにリッポンが得意とするこれら2つの表現スタイルの美質が最大限活かされたプログラムであると、評価することができるのである。

    また実はリッポンの「牧神の午後」を語るうえでは、彼自身の容姿にも言及せざる得ないだろう。なぜならば、ウェーブのかかった豊かなブロンドヘアに加え、筋肉質でプロポーションの整ったリッポンの身体は、ニジンスキーが演じた「牧神」像を想起させるからだ。このリッポンの恵まれた身体と、何よりも典雅でありながら躍動感に満ちたスケーティングスタイルが「牧神」を演じることに適していることを振付師のトム・ディクソンは早くから気付き、プログラムを長い間構想していたに相違ない。そう思わせる程に、「牧神の午後」は奥深いプログラムなのである。≫


    (*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪と、共感しつつ、読みながらマーカーで色付けしたくなった箇所には、拡大色付けしておいたが(≧▽≦)
    そう!!!自分でこんな風に言葉を綴れるならば、こういう言葉でリッポンの魅力を表現したかったのよ~!!!と、顎が胸に突き刺さりそうな程深くうなづきつつ、こういう魅力を描きたいんだけれどφ(..)哀しいことに技術が及ばないんだよ~!!!(ノД`)・゜・。表現する為の言葉を与えてくれた町田氏に感謝(´-`*)

    ここでリッポンの「ピアノ協奏曲第1番」(リスト)について触れられているのも嬉しかった。このプロについては、この板の最初でも長々と語ってしまったが、あのプログラムはそれくらいにアダムリッポンの魅力を輝かせていて、あのプログラムが大好きだから。それについては、また後で語りたい。今ここでは、語り足り~んになってしまうので(^^ゞ

    先に町田氏によるリッポンの「牧神の午後」作品評論の方を紹介したい。

    写真はリッポンの「ピアノ協奏曲第1番」
    「気品あるモダンダンサーのような佇まい」

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  • from: 花散里さん

    2020年07月10日 11時10分46秒

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    町田樹著「アーティスティックスポーツ研究序説」
    第Ⅲ部 鑑賞されるアーティスティックスポーツ
    題2章 プログラム再読のすすめ
       ―アダム・リッポン≪牧神の午後≫を題材とした
        フィギュアスケートの作品分析 

    とここから
    題1章のアーティスティックスポーツの批評―意義と方法
    で展開した作品分析と批評の方法に基づきアダム・リッポンの≪牧神の午後≫の解説に入るわけであるが、まず最初にニジンスキーがどういうコンセプトをもって「牧神の午後」を振付けたのか、このバレエ作品がどういう特徴を備えているかについて解説され、この部分も非常に興味深いものであった。

    ニジンスキー本人の手によって記された「牧神の午後」の筋書き訳
    ≪抜粋
    牧神は横笛を吹き、武道を透かし見る。水浴みに行こうとしているニンフたち。ニンフたちは牧神を見つけて逃げようとする。牧神は半裸のニンフを一人捕える。他のニンフたちは彼女を助けにまた戻ってくる。
    牧神はニンフが残していった薄絹をもって一人残る。ニンフは一人あるいはグループで幾度も現れては、牧神をからかう。牧神は大切そうに薄絹を丘の上の褥までもって行く。そしてそれを身にまとい、打ち眺め、身の周りに広げる。≫

    その美的特徴をまとめると⑴「ヘレニズムの系譜」に連なり、その時代のギリシャの壺絵のように平面的に見える振付をされていて⑵「舞踏動作の革新性(モダニズム)」⑶「露骨な官能表現」が初演当時大きな波紋を呼ぶことになった。
    モダンバレエの原点としてバレエ史の中で燦然と輝いている作品であり、その後フィギュアスケート界にも多大な影響を及ぼし続けていて
    「牧神の午後への変奏曲」を使用しているプログラムは13作品存在するとのこと。

    そのような作品群の中で特筆すべきはジョン・カリーが女性スケーターと演じたショープログラムと、2013年にトム・ディクソン振付アダム・リッポン実演の競技プロで、このプログラムはニジンスキーとカリーから着想を得たと思われる作意に満ち溢れた傑作プログラムだと評価することができると町田氏は断言する。

    ここでジョン・カリーの名前とアダム・リッポンの名前が並んでることに、震えがきて:;(∩´﹏`∩);:ニマニマが止まらんわ~(#^^#)。去年ジョンカリーのドキュメント映画観にいっただけにね(^_-)-☆



    参考までに貼っておこう
    ジョン・カリーの「牧神の午後」


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    2020年07月09日 17時17分50秒

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    町田樹著「アーティスティックスポーツ研究序説」
    第Ⅲ部 鑑賞されるアーティスティックスポーツ

    町田氏曰く

    ≪抜粋

    アーティスティックスポーツがスポーツという身分を獲得している責務として勝敗を決しなければならない以上、選手が体現する芸術性も一度点数に換算して、その優劣を総体的化することは必要不可欠な作業である。だが一旦、競技会に出場している選手達の優劣関係が決められた後には、その芸術点はもはや何の説明機能も果たさない。「〇〇選手の演技の芸術点が〇点だった」との記述は、いったいその演技の芸術性の何を説明しているというのだろうか。ここに芸術性を点数により評価することの限界がある。(中略)アーティスティックスポーツの演技の中には、点数で言い表すことができない芸術的な価値が確かに体現されている。だからこそアーティスティックスポーツは「観戦」という態度だけではなく、「鑑賞」されるにたる身体運動文化であるはずなのだ。そして、このようなアーティスティックスポーツの「アーティスティック」な側面の歴史を形作ることができるのは、点数ではなく、映像による記録や言葉による批評でしかないのである。≫

    とここから、アーティスティックスポーツのプログラムをテクストとしての分析法とそれを語る言葉と手法への考察に入り、それを表にして提示してるのがいかにも学術書。

    一観客であるところのわたしは、フィギュアを観る時、どちらかというと観戦というより鑑賞という態度でプログラムや演技を評価してしまうのだが、それは必ずしも「邪道」というわけではないと確信がもてた。Ъ(^_^.)

    少なくとも、自分がその演技や演者に見出した芸術性を点数や順位に反映しろとジャッジに要求する気はないしね(´-').。oO

    このプログラムにこのインタープリテーションや演技構成点でこの点数しか与えないこのジャッジってば分かってないなぁ。。。と個人的感想をもつことはあるが
    ジャッジの大半は、スケート技術を観る専門家ではあっても芸術評論家ではないのだから、彼らの与えた芸術点が「絶対的に正しい評価」というわけではない

    もちろんジャッジ達は一般観客より多くの演技を見てきている方達だから、その経験値からの比較対象によって下された相対評価には、一定の妥当性は担保されてるだろう。でも、その経験値故に「革新性」が理解されなかったり、忌避されることもある。またスポーツのジャッジは主観を排し公平であらねばならぬという立場上、点数化しにくい魅力は競技の評価対象とはなりにくい面もある。それらは芸術作品としての評価の対象であり、それは、点数や順位ではなく、鑑賞者の言葉によって評価されなければならぬと納得(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪

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  • from: 花散里さん

    2020年07月08日 11時14分17秒

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    町田樹著「アーティスティックスポーツ研究序説」



    日刊スポーツの 
    「日本の歴史を刻んできたフィギュアスケーターや指導者が、最も心を動かされた演技を振り返る連載「色あせぬ煌(きら)めき」。第4回は「氷上の哲学者」の呼び名で知られた町田樹さん(30)。6月に初の著書「アーティスティックスポーツ研究序説」を白水社より刊行し、いまは研究者として氷を見つめる。13-14年シーズンのアダム・リッポン(米国)のフリー「牧神の午後」から、他競技にはないフィギュアの魅力を説く。」
    ってコラムを読み

    彼が最も心動かされた演技としてアダムリッポンの「牧神の午後」を上げてるのが嬉しくて、その内容も(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪と納得共感しきりで
    最後に
    「初の著書でも図版やデータを用いて、リッポンの演技への思考を深化させている」
    と紹介されていたので、
    リッポンマニアとしては、読んでおくべき?(;゚Д゚)?と興味をそそられた。

    https://www.nikkansports.com/sports/figure/column/figuresparkle/news/202007030000935.html

    出かけた書店の棚で見つけたものの
    学術書なので本の作りが思ってたよりずっと重厚で、値段も¥高Σ(゚Д゚)、
    特に町田ファンというわけではないので、\(ーー;)う~んと躊躇はしましたが、
    コロナ禍で、家に閉じこもりがちになり、丁度、こんな雨続きの日には、しっとりした音楽流しながら、紅茶片手に本をめくりたいって気分でもあったので
    買ってしまった。(´-`*)v

    先ずは一番気になってたリッポンの「牧神の午後」に言及してる箇所を探してそこから先に読みだしたのだが
    買って良かったよ~ヽ( ;∀;)ノ
    例としてちらりとリッポンの演技に触れられているといった程度ではなく
    第Ⅲ部「鑑賞されるアーティスティックスポーツ」の中の第2章をまるまる使って
    P141からP185までがリッポンの一挙手一投足を観察し、その意味を読み取り、深い考察からの感嘆と続き・・・よくぞここまで(@_@。
    わたしの脳内で、(^^ゞ
    この章まるまる「アダムリッポンに捧ぐ」と要約されてしまう程の内容で
    こんなにも熱くリッポン演技の魅力を語ってくれてありがと~町田くん(ノД')・゜・。

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