from: プルーンさん
2020年03月20日 18時11分17秒
icon
Prune's White Room (//∇//)
「エレクトリック・プルーンズ」プルーンのハンネの由来ですw( ̄▽ ̄;)映画「イージー・ライダー」のサントラで使われましたね。因みにプルーンズのこのアル
「エレクトリック・プルーンズ」
プルーンのハンネの由来ですw
( ̄▽ ̄;)
映画「イージー・ライダー」のサントラで使われましたね。
因みにプルーンズのこのアルバムの他の曲は、なんだかお経みたいだったりするので、あまりオススメ出来ませんw
(//∇//;)...
from: プルーンさん
2020年07月25日 16時16分37秒
icon
もうすぐ夏ですね!
)^o^(
「夏だ!エレキだ!ベンチャーズだ!」
と言うキャッチフレーズを見たことがあります(^◇^;)
ベンチャーズを筆頭にしたエレキインスト等の所謂
「サーフィン・サウンド」は
リバティ・レコードのプロデューサーのルー・アドラーがビーチ・ボーイズの登場を受けて、
「コレからの流行はコレだ!」
と思いついたのがきっかけで生まれたそうです。
そしてジャン&ディーンやベンチャーズ等の自社所属のアーティスト達をサーフィン・サウンドに路線変更させて大成功しました。
ただそれ以前からルー・アドラーは、音楽的な新しい実験に取り組んでいました。
1950年代後半のロサンゼルスのJAZZシーンはニューヨークとは違い衰退期にありました。
ハル・ブレイン等、有能なミュージシャン達が仕事にあぶれていて、
逆を言えば有能なミュージシャンを安くで使えるチャンスだとアドラーは考えたそうです。
また1950年代にファッツ・ドミノ等を輩出したニューオリンズが、
「街の浄化」を大義名分にクラブを一掃してしまい、
アール・パーマーのような一流ミュージシャン達も仕事を求めてLAに流出しており、
ミュージシャンの供給過多に拍車をかけていたようです。
アドラーはそんなミュージシャン達を使って何か出来ないかと考えて、
スタジオ・ミュージシャンを使った作品作りを始めて行きました。
そのミュージシャン達は後に
「レッキング・クルー」
と呼ばれるようになりました。
その彼等の最初期の1960年の作品です。
The・GamblersのMoon・Dawg
この曲が、ベンチャーズ等のサーフィン・エレキインストの直接的なルーツになりました。
また、彼等の曲には別に
「LSD-25」
と言うドラッグミュージックがあり、
ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドらピッピー系のサイケデリック・バンド達にも多大な影響を与えました。
また、Moon・Dawgは日本のグループ・サウンズの
ザ・タイガースの
「シーサイド・バウンド」
の元ネタにもなりました。
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
閉じる
icon拍手者リスト
コマ、