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from: プルーンさん
2020年09月15日 23時39分14秒
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R.I.P. SHIRO KISIBE
本日、元ザ・タイガースの岸部シローさんの訃報が入って来ました。
(;ω;)
謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
岸部シローさんの追悼動画が上がっていたので貼っておきます。
ロックマニアで岸部シローのファンという人をプルーン以外には未だ見たことがないので(泣)、
岸部シローの生前の功績について少し記しておきたいと思います。
コメント: 全4件
from: プルーンさん
2020年09月16日 01時26分42秒
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シローとブレッド&バター「野生の馬」
ザ・タイガース解散後、シローは本格的なアーティストとして再起を図ります。
兄の岸部一徳とのユニット
「サリー&シロー」
そして
「シローとブレッド&バター」
と立て続けに本格的なフォーク/フォークロック路線の作品をリリースしました。
元々シローはロックや洋楽に非常に精通していて、タイガースの音楽アドバイザーを務めていました。
ただサブカルチャー/カウンターカルチャーのフォークと対立軸の正反対側の、
芸能界でスターだったタイガースの元メンバーと言う肩書きとイメージが足を引っ張ってしまったようです。
(ーー;)
フォークユニットのブレッド&バターとのコラボは、もっと評価されて良いかと思いますね。
鈴木 茂、林 立夫、加藤和彦、後藤利次、石川鷹彦、山内テツ、矢野 誠、近田春夫、柳田ヒロ
と言った、錚々たるメンバーが参加しています。
:(;゙゚'ω゚'):
from: プルーンさん
2020年09月15日 23時48分53秒
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テレビ番組等では話を面白くする為に、
「岸部シローはギターが弾けないのにタイガースに加入した」
と言う部分が誇張されていましたが、タイガース加入後に練習を積んで一応弾けるようになってます。
またタイガース加入直後はアヒルを絞め殺しているような声で、
「花の首飾り」を歌っていましたが、その後歌もかなり上達しています。
と言うか、かなりいい声の持ち主で、天性の才能の持ち主だと思います。
「出発の他に何がある」では、
リードヴォーカルと右のチャンネルのリズムギターを披露しています。
とても聴き心地の良い声ですね。
冒頭のジュリーの詩の朗読の後半から、
「タタタ・タタータ〜」
とスキャットのコーラスが被ってきますが、
聴いての通りまるでトッポが加わっているかのように聞こえます。
シローの高音が伸びやかでソフトなヴォーカルが、トッポが抜けた穴を見事に埋めていますね。
メンバーの弟と言うだけでタイガースに加入して、全く役に立たなかったと言うのは大間違いです。
from: プルーンさん
2020年09月17日 01時05分43秒
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シローはタイガースに加入する前の
1968年7月から1969年3月までの約8ヵ月間ほど、ミュージックライフ誌の音楽特派員としてサンフランシスコに滞在しました。
ロックの最高の時代に最高の場所にいたんですね。
ピッピーカルチャー全盛期のサンフランシスコなので、彼もピッピーになって伝説のライブハウス
「フィルモア」に入り浸っていたそうです。
フィルモアではジミ・ヘンドリクスやジャニス・ジョプリン、ジェファーソン・エアプレイン他、様々なアーティストのライブを観たそうです。
またロサンゼルスの名門ライブハウス
「ウイスキー ア ゴーゴー」
ではdoorsのライブを観たそうです。
( ̄◇ ̄;)...
海外旅行など庶民には夢の時代でしたので、当時サンフランシスコでピッピー生活を送っていた日本人なんてシロー以外にはいないかも知れません。
またジミヘンやジャニスやdoorsのライブを直に観た日本人もシローしかいないかも知れません。
大きなオープンリールのテープレコーダーを持ち込んで勝手に録音して、おまけにコンセントまで拝借していたので当然ライブハウスのスタッフから咎められるのですが、
拝み倒して許して貰ったそうです。
(^◇^;)
そうして録音したテープを東京のタイガースの元へ送っていたそうです。
当時は海外の情報などは半年1年遅れで、しかも部分的にしか入ってこなかった時代なので、
とても貴重な情報源だったようです。
またタイガースと同じナベプロ所属の他のバンド達もそのテープを聴かせて貰っていたそうです。
いずれ、折を見てサンフランシスコ時代の体験を本にしたいと言っていたので楽しみにしていたのですが、
それも叶いませんでした。
残念です。
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