from: プルーンさん
2020年09月15日 23時39分14秒
icon
R.I.P. SHIRO KISIBE
本日、元ザ・タイガースの岸部シローさんの訃報が入って来ました。(;ω;)謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。岸部シロー
本日、元ザ・タイガースの岸部シローさんの訃報が入って来ました。
(;ω;)
謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
岸部シローさんの追悼動画が上がっていたので貼っておきます。
ロックマニアで岸部シローのファンという人をプルーン以外には未だ見たことがないので(泣)、
岸部シローの生前の功績について少し記しておきたいと思います。
from: プルーンさん
2020年09月17日 01時05分43秒
icon
シローはタイガースに加入する前の
1968年7月から1969年3月までの約8ヵ月間ほど、ミュージックライフ誌の音楽特派員としてサンフランシスコに滞在しました。
ロックの最高の時代に最高の場所にいたんですね。
ピッピーカルチャー全盛期のサンフランシスコなので、彼もピッピーになって伝説のライブハウス
「フィルモア」に入り浸っていたそうです。
フィルモアではジミ・ヘンドリクスやジャニス・ジョプリン、ジェファーソン・エアプレイン他、様々なアーティストのライブを観たそうです。
またロサンゼルスの名門ライブハウス
「ウイスキー ア ゴーゴー」
ではdoorsのライブを観たそうです。
( ̄◇ ̄;)...
海外旅行など庶民には夢の時代でしたので、当時サンフランシスコでピッピー生活を送っていた日本人なんてシロー以外にはいないかも知れません。
またジミヘンやジャニスやdoorsのライブを直に観た日本人もシローしかいないかも知れません。
大きなオープンリールのテープレコーダーを持ち込んで勝手に録音して、おまけにコンセントまで拝借していたので当然ライブハウスのスタッフから咎められるのですが、
拝み倒して許して貰ったそうです。
(^◇^;)
そうして録音したテープを東京のタイガースの元へ送っていたそうです。
当時は海外の情報などは半年1年遅れで、しかも部分的にしか入ってこなかった時代なので、
とても貴重な情報源だったようです。
またタイガースと同じナベプロ所属の他のバンド達もそのテープを聴かせて貰っていたそうです。
いずれ、折を見てサンフランシスコ時代の体験を本にしたいと言っていたので楽しみにしていたのですが、
それも叶いませんでした。
残念です。
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
閉じる
icon拍手者リスト
コマ、