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from: 生成門さん
2012/10/30 07:32:41
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三角錐モナドは内部観測モナドであり「自ら動く」
三角錐モナドは内部観測モナドであり「自ら動く」
<四次元能版エヴァンゲリオン:内部観測と三角錐>
三項+相互作用を駆使できるならクォータナリアンと呼んでも良い
http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100200008275
の続きです。
モナドはイデアであり、「自ら動く」と言います。内部観測論者も物が「自ら動く」と言います。物が自ら動くなら精神を持っていると言います。仏教でも「万物に魂がある」と言います。モナドは心をモデルにしていますので、「自ら動く」と言ってもおかしくはないのですが、内部観測論はモナドや仏教(特に華厳経:この世界は物事が相互に関係し重なりあっている)と同じことを言っているのです。物がモナドであるなら内部観測をガウス平面やPS三角錐で解釈できるでしょう。既に、内部観測はPS三角錐であると言いましたので、その意味で内部観測論の知見はPS三角錐の深化に役立てることができるでしょう。
内部観測とは三角錐のことである
http://www.beach.jp/circleboard/ad00178/topic/1100111136713
内部観測論は科学のカテゴリーに入ると思いますが、それなのにどうしてモナロジーや仏教と近いのでしょうか?「万物に魂がある」あるという点から考えると科学のカテゴリーからは逸脱しているからです。
そもそも、科学的というのは客観的と同じ意味であり、物が動くからと言って、そこに主体者(主感)がいるはずがありません。物には主体性(精神性)などなく、全て他の力が作用して動がされているのであって自動詞などで表現されることはないのです。「お茶が沸く」など言いますが、それは、物にも心があるという仏教の精神を持った日本人の心がそう言わせているのであって、科学者なら「お茶を沸かす」と言うでしょう。
「お茶が沸く」という場合、お茶に心があるなら、湧いたり、湧かなかったりしても不思議ではありませんが、科学においては法則があり、繰り返し起きることが必要になります。必ず、こうすればこうなるという物質的因果があります。
「お茶を沸かす」と表現するということからわかるように「お茶が沸く」という因果を支配しているのは「お茶を沸かす」人の意思に委ねられているのです。つまり、お茶がかってに沸くわけではありません。「お茶が沸く」という現象には、お茶という主体が一切関与していなのです。
内部観測論は、こうした科学の前提を覆すのです。東洋の「お茶が沸く」という表現が真実であると考えるのです。
内部観測論は西洋的な生命観・世界観を根底から覆すものです。その生命観・世界観とは「森羅万象はカオスから生成し流転する」という陰陽的な生成論であり、森羅万象が生命(主体)そのものであると言います。そこには潜在性の共鳴が内在しており、それが生成の契機となるというのです。これはあらゆるものには「魂が宿る」という仏教の考え方に近いと言えるでしょう。内部観測論者の提唱する東洋的生命観を陰陽的生成論ということにします。もっとも、生成は存在と対立するものとして見られますが、実際には同じ事柄(根源的な部分)を異なる面から述べているに過ぎないとも言えます。そして、「万物は流転する」「万物は一である」とも「一から万物が生まれる」と述べ、「根源的な一者」と「多くの表面的なもの」との関連を打ち出したのはヘラクレイトスであり、それをプラトンが引き継いでいるのですから、西洋にも似た様な考えがあることは忘れてはならないでしょう。
続く-
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